イカロスの山

山と友情と愛情が複雑に絡み合う

イカロスの山 塀内夏子
hysysk
hysysk

誰もが人生のどこかで、諦めたり、自然に遠ざかってしまった夢や恋心というのはあると思う。すっかり忘れてしまっていたり、心の奥底に引っかかってはいるけども日々を過ごすのに精一杯だったり、ある程度現状に満足していたりするかも知れない。 そこにどうしようとなく惹かれるチャンスが巡ってきたらどうするだろうか?主人公の三上は医者として働き、好きだった女性と結婚して子供も産まれ、何不自由なく生きているように見える。しかし三上のかつての夢、クライマーにとってはその世間一般での幸せこそが、ある意味では不自由なしがらみとなってしまう。 物語はヒマラヤに未踏峰の山が見つかり、学生時代のパートナーであり、全てを山にささげた平岡と再会するところから動き出す。山に惹かれること、平岡との絆、そして妻の真の思い…。これらが8000m級の厳しい登山に挑戦する中で明らかになっていく。 自身もワンダーフォーゲル部出身で、スポーツマンガの名手と呼ばれ取材力にも定評がある作者ならではの迫力と細かな描写が素晴らしい。山で人が亡くなった場合の手続きなど、登山シーン以外でもこの世界の大変さが語られる。 マンガに影響されて登山に憧れるのはやばそうな気がするし、何故みんながここまで山に惹かれるのか分からないほどに厳しさが描かれているのだが、仄かにこういった極限状態に置かれてみたいような気持ちになるのは確か。

漫画 黒川温泉新明館

もはや1人鉄腕DASH…! 1949年から始まる温泉旅館物語

漫画 黒川温泉新明館 柴田敏明
ぺそ
ぺそ

1949年の熊本県黒川温泉。温泉旅館・新明館の長男である主人公の哲也さん(19)は暮らしを支えるため学校を辞め、家業の他に近所の農作業や土木作業をして働いている。ちなみに19歳というのは数え年なので今で言う17歳です。 道が舗装されていない、バスが通ってない、ズックが貴重だから普段はわらじ、家族10人暮らしで家にラジオがない、林間学校の生徒たちが米を持参してくる、家族で晴れ着で百貨店に出かける…というのが当時の暮らしぶり。 家でわらじを編んだり道がまだアスファルトじゃなかったことは、父や祖父から聞いた昔の話と重なり実感を持って読むことが出来ました。 温泉を引くための配管もまだ竹で高熱に耐えられないので4・5カ月に一度新しいものに替えなくてはならず、山から竹を取ってきて節を抜いて設置するのも哲也さんの役目。 そのことについて「わしは長男じゃからあたりまえばい」というセリフがあり、山道を2俵(120kg)の米や石炭を「おいこ」で運ぶ姿とあいまって「リアル炭治郎だ…」と、なんだか感じ入ってしまいました。 https://togetter.com/li/1612718 常に自分たちの温泉を良くしようと考えている哲也さんは両親に呆れられながらも、露天風呂から見える裏山の竹を切ってツヅジやサツキを植えたり、岩肌をノミで(!)彫って洞窟温泉を作ったり…。 向上心が強く勤勉な哲也さんの姿に頭が下がる思いがします。 新明館そして黒川温泉が今後どうなっていくのか続きが楽しみです。 【現在の新明館の公式サイト】 https://shinmeikan.jp/spa/

本日は休診

受け継がれるもの

本日は休診 石川サブロウ 見川鯛山
野愛
野愛

『本日も休診』が素晴らしかったのでこちらも読んでみました。 那須高原で小さな診療所を営む見川センセが主人公…といっても、今度は息子の見川鯛岳センセが主人公です。お父さんよりは腕に自信がありそうですが、しょっちゅう休診にしちゃうところやお人好しなところはお父さん譲りのようです。 那須の大自然のもと、図太く生と性を謳歌する人々の描写には相変わらず胸を打たれます。 しかし、変わらないものだけではないのが『本日は休診』の魅力です。 これは見川鯛山センセ亡き後の物語なのです。 今作の主人公である鯛岳センセも、お父さんと同じように愛され頼りにされています。それでも、父親のように信頼されているわけではないと思案するのです。それもそのはず、お父さんを訪ねて来る人や昔から知る人に囲まれて診療所を営んでいるのですから。 しかし、鯛岳センセはお父さんの名残りに甘えず鯛岳センセとして人々と向き合っています。 命と命がバトンを繋いで新たな生を紡いでいくのだ、というのが『本日は休診』のテーマなのかなと感じました。馬の出産に立ち会うことになったのも、鯛岳センセだったからだと思います。 変わらないようでいて、変わりゆく新しい時代を感じさせるような作品でした。

本日も休診

人間賛歌

本日も休診 石川サブロウ 見川鯛山
野愛
野愛

那須の田舎町で生きる人々の日常を、小さな診療所を営む見川センセの視点で描いた短編集。 郷愁を誘う美しい大自然と、とぼけた表情の人間味あふれる人物描写から心温まる作品かと思って読んでみたところ、良い意味で裏切られました。 あくまでも那須の田舎町の中だけで、見川センセの見える範囲で物語が展開していきます。短い物語の中、登場人物は見川センセと一瞬心を通わせても、町から去ってしまえばその後のことは誰も知らないのです。 人は自分の見える範囲のことしかわからない。少しだけ思いを馳せて、後は忘れてしまうしかない。 その無力さとやるせなさを嘲笑うことも慈しむこともせず、粛々と移ろう那須の四季の鮮やかさ。 ただ漠然と、生きるってこういうだよなあという感想を抱きました。 美しい四季に目もくれず、メランコリーに浸ることもなく、性を貪りその日を暮らすこと。その強さ、尊さに心が震えます。 泣くほど悲しいとか感動するとかそういうお話がある訳ではないのです。艶っぽいお話も多いですし、ちょっと笑えるような場面もあります。 この作品に描かれているのは間違いなく生身の人間です。素手転の、丸腰の人生です。 読んだら間違いなく、生きること死ぬことに思いを馳せるはずです。

八百森のエリー

野菜の流通で繋ぐもの、繋げる意味

八百森のエリー 仔鹿リナ
名無し

グルメ漫画でもありビジネス漫画でもあり 人間ドラマでもあるという感じがする良い漫画。 いきなり第一話から第三話くらいにかけて 青果市場・仲卸という野菜流通の現場が とてもリアルに判り易く描かれている。 漫画らしく都合よすぎではあるがテンポが良いし、 深刻な場面も適度に愛嬌のある展開で面白く読める。 その中に野菜への愛着と人間関係の愛情みたいなものも ちゃんと、たっぷりと入っているが、 けしてくどくなく、ベタベタしたところがない。 まさに新鮮野菜の風味が生きている煮物、 という感じの美味しい面白さ(笑) グルメ漫画は、美味いが絶対、になりやすい。 ビジネス漫画は、リアルに描きすぎると怜悧な感じになりやすい。 人情漫画は強く描きすぎると、重くてクドクなりがち。 その点「八百森のエリー」は、どれかの要素が突出しすぎたり することがなくて話が上手く整っている感じがする。 バランスがとれているというか。くどくなくて後味がいい。 読後感は健康的に良いと言ってもいいだろう。 野菜をメインに扱った漫画だけに。 リアリティがない?部分をあえてあげるとすれば、 やたらと長身イケメン、ややジャニーズ系、少々BLっぽい、 そんなキャラが市場男子として多数登場することか(笑)