お慕い申し上げます

魂の行く先

お慕い申し上げます 朔ユキ蔵
ナベテツ
ナベテツ

仏教ってなんだろう。多分、ほとんどの人間は気にせずに生きていると思います。お墓参りをする。お葬式で手を合わせる。法事でお坊さんの話を聞く。日常向き合う機会はそんなに多くは無いけど、でも欠かすことは出来ない。 ブッダの説いた教えと、今の日本で日常に溶け込んでいるお坊さんとの距離は、恐ろしく離れています。そして、その距離に対して本気で向き合うお坊さんがいたとしたら―。 作者の朔ユキ蔵先生は、エロスとタナトスを描く作家さんなのですが、この作品は我々の人生に(恐らく)欠くことの出来ない日本の仏教というものを題材にして、自分の持つ作家性とテーマを発揮した作品だと思っています。 主人公の佐伯清玄は日本の坊主としてではなく、仏陀の教えを実践する宗教者として生きていきたいと願っていながら、己の抱える煩悩を捨てることが出来ず、揺れ続けています。 読者は清玄の揺れる心情と、展開される物語に心揺さぶられながら最後まで作品を読み続けることになると思います。 ラストシーンの美しさは、一瞬の時間を永遠のものとした詩のようであり、だからこそ読者の脳裏に忘れ難く刻まれます。最近完結した「神様の横顔」とともに広く読まれて欲しい。そう願って止まない傑作です。

きせかえユカちゃん

必読!東村アキコの名作

きせかえユカちゃん 東村アキコ
かしこ
かしこ

小学生の時に本屋でジャケ買いをした思い出。「海月姫」「東京タラレバ娘」から人気が爆上がりした東村先生ですが、今の絵柄になったのは「ひまわりっ ~健一レジェンド~」「ママはテンパリスト」で週刊連載と育児を抱えて超多忙になられた頃からではないでしょうか?それ以前はこの「きせかえユカちゃん」のような女性マンガらしい線の細い(自伝的マンガ「健一レジェンド」では祥伝社系とご自身がネタにされていたと思います)絵柄でした。とはいえオシャレな表紙だと思って買ったものの内容は東村節全開のギャグです!ちなみにギャグを描かれたのもこれが初だと思います。しかし個人的な意見を正直に言えば数ある東村作品の中でもズバ抜けて面白い!月刊連載で時間に余裕があったのかなと邪智してますが凝ったネタが多いです。超大好きなのは「ボイン夏の陣」の話。主人公ユカちゃんがお姉ちゃんの彼氏に「お前ボインな女と浮気してないだろうな?!」と問い詰めるんですが、ライバルのボイン含め脇役キャラも主役級に濃くて最高!この「きせかえユカちゃん」があるからこそ私はずっと東村アキコ先生が好きなのです。

ONE PIECE COVER COMIC PROJECT「ロロノア・ゾロ、海に散る」

これは読み比べたい!!他の作家がワンピースを描いてみた!

ONE PIECE COVER COMIC PROJECT「ロロノア・ゾロ、海に散る」 Boichi 尾田栄一郎
名無し

ジャンプ作家陣は、何か記念ごとがある度にトリビュートイラストを贈り合っているイメージがあります。 「岸本斉史が書いたジョルノ・ジョバァーナ」とか「尾田栄一郎が書いた悟空」とか「荒木飛呂彦が描いたナルト」とか。正直そういうのメチャクチャ大好きです!! なのでまさか「もし他の作家がONE PIECEを描いたら…」というIFを実際に本誌で、しかも丸ごと1話読むことができるなんて興奮しました。 Dr.STONE描きながらこの話も作画してたのすごすぎでは…? 読んでみると、Boichi先生のキャラクターデザインが普段と異なり、かなりデフォルメされて可愛らしかったのが印象的でした。 ワンピース51話「ロロノア・ゾロ、海に散る」は、あのセリフが超有名な回ですが、実際コマ割りがどんなだったかは全然思い出せず、「よ、読み比べてぇ〜〜〜!!」とウズウズしてしまったのですが、なんと!大変ありがたいことに、当該の原作エピソードをネットで公開してくれています。 https://www.shonenjump.com/p/sp/1907/op_cover/ ちょっとじっくり読んで差を見つけて、Boichi先生がこだわった部分がどこか探したいなと思います。 全何回の企画なのか不明ですが、第1回ということで次回のカヴァーを誰が担当するのか今から期待しています…! (追記) この『カヴァーコミックプロジェクト』、ワンピースに限らず他の作品でもやってくれないかな…。 ドラマは名作をキャストを変えて何度も演じますし、海外小説や古典は翻訳者ごとに違う版があります。 漫画でも、小説が原作で複数コミカライズがあるもの(銀河英雄伝説、薬屋のひとりごと)や、漫画原作でリメイクがある作品(左ききのエレン・ワンパンマン)もあります。 権利関係が難しいとは思いますが、面白いのでもっとやってほしいです。 (画像は少年ジャンプ+ ONE PIECE COVER COMIC PROJECT 「ロロノア・ゾロ、海に散る」より) https://www.shonenjump.com/p/sp/1907/op_cover/img/top.jpg

まくむすび

創作活動に触れる全ての人々に送る物語

まくむすび 保谷伸
sogor25
sogor25

主人公の土暮咲良(つちくれ さくら)は中学の頃から密かにマンガを描き続けていたのだが、本当に些細な、でも本人にとってはとてつもなく大きなきっかけによって、完全にマンガを書くことを諦めてしまう。そこから高校に入学し、新たに部活に入るという段階で出会ったのが"演劇"だった。 創作活動に対して挫折を味わった主人公が、それまでの経験を活かせる、でも全く違う分野で新たな創作活動に光を見出すという物語。個人的には、挫折から新たな才能を発露するという展開を高校1年生までの非常に若い年齢までの中で、しかも1話の導入の段階ではっきり描いていることを凄く新鮮に感じていて、またその導入があるからこそ、作品全体としてはとても軽妙な雰囲気なのに、作品のバックグラウンドに大きな熱量を感じられる作品になっていると思う。 この作品を読んだ時に2作品ほど頭の中をよぎった作品がある。1つは「フェルマーの料理」。こちらは数学の道に挫折した主人公が料理の道に活路を見出すという物語。主人公が目標を見つける経緯には近いものがあり、理系主人公の作品が「フェルマーの料理」なら文系の作品は「まくむすび」と言えるかもしれない。 もう1作が「イチゴーイチハチ!」。こちらも主人公は怪我という形で野球の道に挫折するが、それまでの経験とは全く異なる生徒会の活動に邁進していく物語。個人的には、最初は半ば強引に引き込まれたものの周囲の人々の影響で徐々に演劇部に馴染んでいく咲良の様子が「イチゴーイチハチ!」の主人公・烏谷や幸に重なって見え、今年惜しまれつつも完結したこの作品のロスを抱えるファンの心を埋める作品になってくれるんじゃないか、という期待をしている。 最後に、これは本当に全くの偶然なんだけど、2019年7月19日という日に「創作活動に対して挫折を経験した主人公がまた創作活動に向き合っていく物語」である今作の1巻が発売され読むことが出来たということは私にとっては救いだった。創作をする人であってもそうでなくても、この作品に触れることでどれだけ傷ついても前を向いて歩んでゆける、そんな作品になっていくのではないかと思う。 1巻まで読了

王様の仕立て屋~サルト・フィニート~

いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ

王様の仕立て屋~サルト・フィニート~ 大河原遁
名無し

普段から、多浪生と見間違えられるほどしょぼくれた格好をしていても、特にとがめられない仕事についている為か、梅雨や真夏のスーツの苦しみを味合わずに済んでいます。ただ、スーツ姿の同級生と出会うとあまりの見栄えの違いに居心地が悪さを感じてしまう30代。彼らにはもう、嫁も子どももいるのですよ!  そんなサラリーマンの戦闘服・スーツをテーマにした漫画が『王様の仕立て屋~サルト・フィニート~』です。ナポリ伝説の職人で“ミケランジェロ”とも称された故マリオ・サントリヨ唯一の弟子・織部悠が、様々なトラブルを抱えた依頼人の悩みを、その卓越した腕で解決しいくオムニバス作品。いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ。仕立ての知識はもちろん、時計や靴といった服飾の知識、同じヨーロッパ圏ということで一緒くたにしがちな、イタリア、フランス、イギリスのスーツに対する考え方の違い、さらにはヨーロッパ文化と日本文化の差異にまで話は広がり、知識欲を多いに満足させてくれます。スーツが話の柱と聞いて、正直、長い連載にならないと思っていました。ネタがすぐに無くなってしまうだろうと思っていたからです。それが『王様の仕立て屋』は、今連載中のシリーズ『王様の仕立て屋~サルトリア・ナポレターナ~』と合わせるとすでに35冊以上にもなる長期連載になっているのです。  それはもちろん、仕立てというジャンルの奥深さがそうさせるのでしょうが、魅力的なキャラクターに依るところ部分も多いと思います。ちょっと老成してる悠の周りには、変わったキャラクターが数多くいます。中でも女社長ユーリア率いるカジュアルブランド・ジラソーレ社はどこを見ても(一癖ある)美女ばかり。往々にして彼女らに流されて巻き込まれてゆく悠に若干の嫉妬を感じます。名言や歌を用いた細かなネタに、細かに挿入されるギャグがリズム感を生んで、長いウンチク部分も冗長にならずあれよあれよと読み進められる、稀有な作品だと思います。  この漫画のお陰でコーデュロイやビキューナ(超高級素材。Amazonで調べたら掛け布団が800万円を超えていた!)、とこれまでの生活では全く知る由もなかったスーツの世界を垣間見ることができました。ただ、それを実践するのには気が遠くなるほどの金額が必要なのです…。

神々の山嶺

「これしかない人生」を歩む

神々の山嶺 谷口ジロー 夢枕獏
名無し

僕の地元・長野県には、中学校集団登山という拷問のようなイベントがありました。一学年240人がみんなで3000m級の山に挑むという荒行です。しかも、登る予定の山で起きた遭難事故を描いた新田次郎の「聖職の碑」の映画版を見せられるという、嫌がらせとしか言いようのないオマケもついていました。とはいえ、このイベントで山に目覚めた人もいないわけではなく、それなりに意味のある行事な気もします。僕は下山中に便意に襲われ、6時間死ぬ思いで我慢するという、これまでの人生で一番の苦行を味わったので、二度と山には登らないと決めています。  とはいえ、山ものの作品を読むと、山もいいかもしれないと思ってしまうのです。『神々の山嶺』は数多い名作を生み出し、海外でも評価の高い谷口ジローのまさに最高峰だと思っております。   『神々の山嶺』には羽生丈二という一人のクライマーの姿が、カメラマンの深町誠の視点から描かれます。  この羽生丈二、初登場シーンから圧倒されます。「その時…むっと獣の臭いが店内にたちこめたような気がした」。この存在感がどこからくるのか、深町は彼の過去を調べていくのです。  羽生を関係してきた様々な人に取材していくうちに、彼の孤高としか言いようのない半生が明らかになっていきます。  羽生は可愛げのない、根性はあっても鈍重で無口な男でしたが、クライマーとしては抜群の才能を発揮。しかし、全てを山に集中する羽生は、普通の生活を送る人間と温度差がうまれ、山岳会でも孤立していきます。誰もが登れなかった壁を登り、山岳界の話題をさらうものの、羽生自信は不遇のまま。海外の山に挑戦することができません。  誰よりも山を想っているのに資金や人脈や名声がないだけで、挑戦できない苦しみを味わい、自分を慕う人間の死があり、やがて羽生は自分から孤立していきます。そして消息を断った羽生がなぜカトマンズにいたのか?彼がなにをしようとするのか、物語は加速していきます。  羽生の姿は、新田次郎の小説ではないですが、まさに「孤高の人」なのです。孤高の人は、人の共感は求めません。自分でも言葉にできない衝動に突き動かされるまま、「これしかない人生」を送るのです。  羽生はいいます「いいか。山屋は山に登るから山屋なんだ。だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!!」また、なぜ山に登るのかという問にこう答えます。「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」  「これしかない人生」を送る男の寂しさと美しが同時に描かれ、僕もこのような生き方に強く憧れるのです。  いや、既に僕は僕にとっての「これしかない人生」を歩んでいるかもしれない。この、マンガとゲームにあふれた人生は。