マエストロ

マンガを読んでいる時間にしかマンガは存在しない

マエストロ さそうあきら
影絵が趣味
影絵が趣味

『神童』とそれに続く『マエストロ』で、文字通り音楽漫画のマエストロになったさそうあきらですが、長年に渡り疑問に思っていたことがあります。さそうあきらを筆頭に『のだめカンタービレ』の二ノ宮知子や『BECK』のハロルド作石らの描く音楽漫画はどうしてここまでひとの心を打つのか、ということについてです、肝心の音楽は実際には耳に聴こえないのにもかかわらず。 この謎をひとつ解き明かしてみようではないか、ということで、数年ぶりに『マエストロ』を読み返してはみたものの、まあ、最後のコンサートではボロボロに泣いてしまったんですけど、謎は謎のまま残ってしまいました。 ただ、ちょっとヒントになりそうな台詞が作中にありました。 「音楽って切ないね」 「今確かに美しいものがあったって思っても、次の瞬間には消えてしまうんだ」 「川の、流れのように―――」 「だからこそ、愛おしい―――」 「大切に思うんだ」 つまり、音楽は音楽を聴いている時間にしか存在しないけれども、マンガもマンガを読んでいる時間にしか存在しないということ。この不可逆性、このマンガというコマのうねりと連なりをひとつびとつ読んでゆくことの幸せを今日も逃すことなく噛み締めようと思う次第なのでありました。

南回帰船

伝説として

南回帰船 たなか亜希夫 中上健次
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

中上健次は、戦後文学界に突出した小説家である。 漱石や鴎外、谷崎や三島に比肩するほどの、我らが時代の作家だ。 その中上が、漫画原作のためオリジナルに作品を書き下ろす。描き手は『迷走王 ボーダー』(原作:狩撫麻礼)のたなか亜希夫…このニュースに触れた時、心が震えた。「真正の小説家が、本気で漫画に立ち向かうのか。遂に漫画は“そこ”まで来たのか」と。 結果は、拍子抜けするような失敗であった。 だが、これ以降現在に至るまで、中上健次のような才能が、真っ向から「漫画」に挑んだことはない。 その意味で、本作は「伝説の失敗作」である。 作品内に乱反射するテーマを見れば、中上が本気であったことは間違いない。たなかも渾身の仕事で応えている。 しかし、マイク・タイソンまで繰り出したその「漫画」は、まるでこれまで存在した劇画のパロディのように上滑りした印象のまま、未完に終わった。 たなか亜希夫であるなら、盟友・狩撫麻礼との諸作は当然として、石井隆と組んだ『人が人を愛することのどうしようもなさ』や、ヒット作『軍鶏』(原作:橋本以蔵)のほうが、明らかにそのマリアージュは成功している。 なぜ中上健次ほどの巨大な才能がこんなにも不格好な空振りをしたのかを考えるのは、興味深い比較文学論になりえるだろう。 とにかく、これだけははっきり言える。 「漫画は“そこ”をとうに超えてしまっていたのだ」と。 アクション・コミックス版『南回帰船』1巻のあとがきに、中上は書いている。 “「南回帰船」はオデッセウスのように自己発見の旅に出るその少年の叙事詩である” 刊行当時、自分はこの一節を読んで、「おお、これは狩撫麻礼×谷口ジロー『LIVE!オデッセイ』へのオマージュ、あるいは挑戦なんだな」と思った。狩撫とのコンビで有名なたなかと組んで、「オデッセウス」とか「自己発見の旅」というなら、当然そうなんだろう、と…。 だが、それは間違っていたようだ。 中上健次は、たぶん『LIVE!オデッセイ』を知らなかったのだろう。 惜しい。 もう少し中上が、自らが挑むジャンルへの知識と執着を持っていれば、結果は違っていたかもしれなかったのに。 フォークナーがハワード・ホークスと組んで、ヘミングウェイの原作を映画化した『脱出』やチャンドラー原作の『三つ数えろ』が出来たような、そんな「伝説」になっていたかもしれないものとして、自分は今も『南回帰船』を忘れられずにいるのです。 以下は、余談として。 『南回帰船』の原作は、散逸していた中上の原稿を収集した「劇画原作小説」として単行本化されており、その監修者である大塚英志による「解説」もネット上にはある。中上が目指した「劇画」と大塚原作の資質は随分と異なるのだが、検索してみるのも一興だと思う。

夜明けの図書館

「調べ物」で市民の人生お手伝い!

夜明けの図書館 埜納タオ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

図書館のレファレンス・サービス、それは利用者の「知りたい事」を探すお手伝い。新米司書の葵ひなこは、日々様々な要求に応えるべく奮闘する。見つけた先に、利用者の喜びが待っているから! ----- 図書館にある書籍・資料は、文学から実用、科学から法律、児童書から専門書と多岐に渡る。そのため、図書館には様々な知識を求める人々が集まり、そこでは日々、思いがけず沢山の人生の物語が紡がれる。 苦しみ、切なさ、懐かしさ……多種多様な物語がレファレンス・サービスによって解決する時の、優しい着地と利用者の喜びには、とても感動させられる。 その一方で、利用者から得られる少ない情報、あやふやな記憶を頼りに、膨大な分類をしらみつぶしに当たっていく「レファレンスの苦労」を共に見てきた私達は、そこを乗り越えた司書達の達成感を、一緒に味わえる。 物語の爽やかな終局に似つかわしくない、ギリギリのジタバタっぷりを見せる司書達のあがき。その落差によって最上の「舞台裏漫画」となっている。 巻が進むと、図書館の社会問題への参画も描かれ、図書館の存在意義について、前向きな提言となっている。 図書館と図書館司書を知り、応援する作品として、最高に面白い! 2000年代に華道の作品を描かれた埜納タオ先生。白場が美しい、独特の凜とした画面は、当時から一貫している。最近流行りのギッチリ描き込まれた漫画に慣れた身としては、一周回って新しい!

アコロコタン

30年以上の積み重ねが生んだ精緻なアイヌ漫画にイヤイライケレ

アコロコタン 成田英敏
兎来栄寿
兎来栄寿

アイヌというと皆さんはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。近年ではゴールデンカムイやうたわれるもの、咲-Saki-といった作品で興味を持つ方も増えていると思います。 そうして少しでもアイヌに興味がある方にぜひ読んで欲しいのがこの一冊。筆者は30年以上前からアイヌの漫画を描きたいという想いを持っており、それが遂に結実したのが本書です。 1話10ページ前後の短編で、様々なアイヌの風習や文化、日々の営みが紹介されていきます。アイヌ式の求婚や犯してはならないタブーなど、今まで知ることのなかったアイヌにまつわる知識が得られます。特に丁寧に数多くルビが振られたアイヌ語は沢山学ぶことができます。 アイヌの歴史は悲劇の歴史でもあり、アイヌへの差別などについても意志を持って触れられています。元々、アイヌではなく知識も全然無かったという筆者が、それを自覚して真摯にアイヌについて長年調べて学び、蓄積していった膨大な知識が漫画という形に昇華されています。 私はかつて阿寒湖に行った時にアイヌコタンに入りカルチャーショックを受けましたが、この本を読んだ後に行くとまた違った視点から見ることができそうです。 これだけ高純度でかつ読み易いアイヌの本もなかなかないのではないでしょう。読んでおいて損はない一冊です。