和太鼓ガールズ

堂々と叩け! お嬢様は和太鼓で変わる!

和太鼓ガールズ すたひろ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

生の「一音」で持っていかれる音楽体験は、長い人生でも得難い貴重な体験である。それはバッハのゴルドベルグ変奏曲の一音目であったり、テクノの一発目のキックだったり人それぞれだろうが、その経験は時に人を狂わせ、時に人を救う。 『和太鼓ガールズ』の主人公・ミッション系お嬢様学校に通う環は、和太鼓の強烈な「一音」に、人生を変えられる。 それまで品行方正に、そつなく八方美人に己を作り上げてきた環は、言葉を失ったシスター姿の上級生・マリアの放つ和太鼓の響きに、心を奪われる。 初めて感じた音楽の喜びのために、少しずつ思い切って自分を変えていく物語は、解放の喜びに満ちている。 この物語のメッセージは、添付の画像に込められているだろう。何かの為に、照れず・恐れず・自分を曝け出す。その先に新たな光景が待っている!和太鼓の為に変化した環が獲得した真の聖性は、周囲も、私達をも魅了する。 描き込まれた圧の強い画面は、和太鼓が常に鳴っているような迫力と熱気、昂る感情と和太鼓部設立を巡るドタバタコメディが凝縮されていて楽しい。 ♫♫♫♫♫ マリアの物語や、周辺人物との関係などまだまだ描ける内容はあったと思われる。現在(2020年7月)作者のすたひろ先生によってkindleで、『和太鼓†ガールズ~改訂版~』が始まっている。 作品ページはこちら https://manba.co.jp/boards/121523 1巻は旧作の大幅な改訂だが、ニコニコ静画で一部見た限りでは、かなり人物の感情描写にリアリティを増している。果たして2巻より先の物語は描かれるのか……? そして2020年秋には実写映画化とのことで、この機会に色々チェックしてみると良いかも知れない。

西岸良平名作集

世良田波波さんの漫画がついに世界に羽ばたいた!!

西岸良平名作集 西岸良平
影絵が趣味
影絵が趣味

めでたい! なんと目出鯛ことでしょう! 世良田波波さんの漫画がついに世界に羽ばたきました! 世良田波波ってだれ? って人は、いますぐツイッターの世良田さんのアカウントまでいって『きみは、ぼくの東京だったな』という14Pの漫画を読みましょう! 読んでいただければ、どうして西岸良平の短編集に、このことを買いているのかが何となくわかっていただけるかと思います。 世良田さんは無名ながらアックスで細々と活動を続けておられて、もう7、8年になるでしょうか。寡作ながらコツコツと息の長い作家さんで、まだ単行本は出ていません。おそらく今回の件をきっかけに、まずはアックスへの仁義を立てて、青林工藝舎から過去作を集めた初の短編集がでるような気がします。そのあとは、やっぱりトーチでしょうか。まあ、筋金入りの寡作家なので、また沈黙してしまうかもしれません。でも、とにかく、こんなに目出鯛ことはありません。 久しぶりに世良田さんの漫画を読んだら、西岸良平の漫画を思い出しました。比較的最近では『岡崎に捧ぐ』の山本さほなどもそうですが、極端にデフォルメ化された人物が特徴的ですよね。そして特に世良田さんと西岸を結びつけるのは背景への眼差しだと思います。背景への優しい眼差しがあるような気がするんです。お二人とも、背景を人物と同程度に描き込む。背景と人物のタッチがまったく同じなんです。それ故に人物は背景に溶け込んで、背景はただ背景にとどまらず、パースや遠近感を捨てて、コマの平面上に殺到しようとしてくる。背景が後方に逃げていくのではなくて、コマの前面にわらわらと押し寄せてくるのです。語弊を恐れずに言えば、小学生の夏休みの宿題の絵のような気合いの入り様とでも言いますか、おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャした手触り感覚を平面であるところの漫画に憶えるんですね。これは凄いことだと思います。 今回、世良田さんの短編が深い共感を呼んでいるのは、この背景への優しい眼差しがあるからなのかもしれません。だって、この背景の街々は、私たちが暮らしている街でもあるんですから。あるいは西岸良平の背景に感じる郷愁もそうです。みんな、いっせいに盛り上がれ! このコマの前面に!

奈落の羊

神様は何もしてくれない

奈落の羊 きづきあきら サトウナンキ
野愛
野愛

人に見つけてもらう、気づいてもらうことの喜びで人は生きている。それが幸か不幸はわからない。 昔は人気者だった配信者しゅーじが、売春でなんとか食い繋いでいるメイと出会うところから物語が始まる。 メイを利用して過激な企画で注目を集めるしゅーじだが、ヤクザや売春組織が絡み事件に巻き込まれていく。 命の危険に晒されても、人間としての尊厳を失っても、しゅーじとメイなら見つけてもらえないよりはマシだと言うんだろうな…恐ろしい。 2人の境遇にはかなり差があるけれど、根底にある部分が似ていたから妙な絆が生まれたのかもしれない。 しゅーじは浅はかだしクズだし、メイはかわいそうではあるものの自己評価が低すぎて見ていてイライラしてしまう。共感なんかひとつもできないけれど、救われてほしいだなんて勝手に思ってしまう。しゅーじの配信にコメントする人達と同じくらいの感覚。 最終話は無理矢理感もあるけれど、まあそうだよなと納得はできた。ギリギリ救いはあったかなあ、くらい。 そう簡単に元通りとはならないし、みんながみんな更生できるわけでもないし、もどかしいけどいい方向に進めばいいねくらいが現実的。 神様みたい、という言葉が印象的だった。

ウヒョッ!東京都北区赤羽

壮大な赤羽サーガ、ひとりの男の人生譚

ウヒョッ!東京都北区赤羽 清野とおる
野愛
野愛

ゲラゲラ笑って読んだ東京都北区赤羽からさらに進んで、これはもはや壮大な赤羽サーガと言えるでしょう。 ペイティさんや赤澤さん、ちからのご夫婦などおなじみの赤羽人はもちろん、GOING UNDER GROUNDにGLAYにスチャダラ、山田孝之など錚々たる顔触れが赤羽に登場します。 これは赤羽の磁場のせいなのか、清野先生の人間力のおかげなのか。 赤羽で穏やかに過ごそうと思えばきっと過ごすことはできるはず。でもそれをしなかった清野先生と、清野先生にそれをさせなかった赤羽の巨大な力(幸福地蔵とか自由の女神とかペイティさんとか?)が働いたとしか思えません。 中上健次でいうところの「路地」が清野先生にとっては赤羽だったんだな、というのがこの作品群を読むとわかります。赤羽という地が創作の力を与え、赤羽という血がその体に流れているからこそ今の清野先生があるのだと感じました。 最終巻を読めば、この赤羽サーガは清野先生が人として漫画家として一歩前に進むためのイニシエーションを記録したというものであるということがひしひしと伝わるはずです。 とりあえずワニダに行ってみたいです。でも怖いのですしざんまいに行きたいです。