吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
1年以上前
最近、縦スクロール漫画をいろいろ読み漁っているところです。 この『全知的な読者の視点から』を読み始めてまだまだ序盤ですが、いろいろ読んだ中でも特に面白かったです! https://manga.line.me/product/periodic?id=Z0000822 平凡なサラリーマンのキム・ドクシャ(金独子)が、趣味でWeb小説『滅亡した世界で生き残る3つの方法』を中三から10年以上も毎日読み進めていたがついに最終話となってしまう。 その小説には最初こそ読者は何人かいたものの最後の方は自分しかいないようだった。 読み終わると突然、世界に異変が起こり、これまで読んできたファンタジー小説『滅亡した世界で生き残る3つの方法』に起こっていたことと全く同じ状況が目の前で繰り広げられていく。 自分だけが、これから起こる出来事のすべてを「読者の視点から」知っている状態で、モンスターが現れ特殊能力を手に入れ、人間同士でさえ殺し合いに発展していく滅亡していく世界で生き抜いていく! ファンタジー的なことが巻き起こりますが、登場人物も世界も一応現実の延長線上ですし、ピリッと緊張感漂うシリアスな状況で、絵も上手いのでかなり引き込まれます! ゲームのメニュー画面みたいなものが出てきたり、レベルや能力もあるので、いわゆる「強くてニューゲーム」的なシステムかと最初思ったんですが、微妙に違うのが面白いところ。 こういうのでよく見られるようなタイムリープしたり、やり直すような形ではなく、あくまで読者として、知識として知っているというのがポイント。 というのも、読んでいた小説の主人公ユ・ジュンヒョクこそが何度もやり直している最強の男として存在しているから。 それでも、あくまで知識だけとはいえ、知識こそ武器です。 知識があれば、どうやって強くなればいいか、誰と仲間になればいいかもこの先の展開で何を準備したらいいのかも分かるので、アドバンテージとしてかなり強い! どうなっていくのか楽しみで仕方ありません。 「トッケビ」という、妖怪?妖精?の存在と、彼らが「星座」に対してこの状況を配信するという形は、ある意味デスゲームで富豪が配信を見てる状況のようで面白いですね。 規模が世界規模だから人知を超えたそういう形になってるのかな? 「星座」という概念は、神様みたいなものでしょうか。 神話で語られたり、歴史上の偉人だったりした人たちが宇宙のどこかからこっちを覗き込んでるような。 そして配信を通して化身と呼ばれる人間(プレイヤー達)に投げ銭したり、直接能力やスキルを授けるような支援をしていくものとなっています。 韓国発のマンガでも日本へローカライズされたときには、名前や地名などなど日本のものになることが多いですが、こちらは主人公の名前・ドクシャに意味があるからなのか、韓国の名前や地名のまま。 個人的には無理に日本っぽくしなくてもと思うこともあるのでこうやって読むのも好きです。 第1話で語られますが、ドクシャは韓国語で「一人っ子」という意味もあるようですが、父は「強い男になれ」という意味で付けたとのこと。
ナベテツ
ナベテツ
1年以上前
7月の銃撃事件が起きたことにより、本来著者が描きたかったこととはまた別の意味を持つことになったことが、作品にとって幸福なのか不幸なのかは分かりませんが、この国において、他者を搾取する新興宗教が存在する限り、この本は読まれ続けるべきだと考えます。 実在の宗教団体の信者を親に持つ、7人の体験を元にしたノンフィクションは、読者にとって決して遠い出来事ではありません(実際、それらの教団の施設は、身近な所に存在しています) 人間の悩みを減らし、心を救済することが、宗教の本来の目指す姿だと、個人的には考えます。ここで描かれる宗教は、共同体によるぬくもりを与えながら、そこではお布施という名前の収奪が繰り返される、どこまでも「汚い」現実が描かれています(お布施以外にも、様々な形での収奪が描かれています)。 最初の連載が、ある団体からの圧力で中止に追い込まれたことが、後書きにより明言されています。恐らく、広告出稿という形で、様々なメディアに圧力がかけられているであろうことも、容易に想像させられます。 言うまでもないことですが、人間は生まれてくる場所を選ぶことは出来ません。全ての宗教2世に、魂の休まる日が 訪れることを、願います。
まみこ
まみこ
1年以上前
映画『この世界の片隅に』いや、どうにもこうにも大傑作ですよ。 私も映画館で3回観ましたしね。 ただ、あれが大ヒットしてしまうのも、ちょっと居心地悪いんですよ。 欠食児童も、傷痍軍人も、片端の乞食も、被差別部落民も、強制連行された朝鮮人労働者も居ない、そんな戦中の呉なんてウソだし、ぬるいまやかしだろ?って思うんです。 ここら辺、他の人と、広島との地理的/心理的距離感の差があるのは認めます。 私は近過ぎるんです。 で、戦時中の広島を描いた作品って、他にないのかな?って思って調べても、全然無いんです。 しょうがないですね、どうしたって(所謂)「ヒロシマ」と言う性(さが)を帯びてしまうので、よっぽどの覚悟がないとダメなのです。 やっと本題なのですが、「五色の舟」は、太平洋戦争末期の広島を舞台にしたお話です。 ジャンルは、人によって捉え方は色々でしょうけど、私は(所謂)「怪談」だと思ってます。 怪談と言うのは、妖怪や幽霊を反射として、人間の業や愚かさを、面白おかしく/残酷に/切なく/美しく描くものなのです。 はい、読者は(所謂)「神の視点」を持っているので、昭和20年の夏、広島に住む、”特別な家族”が、どういう結末を迎えるかは、読んでいるうちに薄々気付くわけですけどね。 そう、この作品は、妖怪「件」を通して、近年の最大の愚行である、太平洋戦争の愚かさを、私たちに教えてくれ、その上で、私たちは、最後の結末の、その美しさと切なさに呆然とするのです。 だからこそ、色々な台詞が、重く刺さるのです。 「立派な建物だろう 産業奨励館ていうんだよ」 「あのきれいな灯り… また見たいわね 早く戦争が終わったら……」 「みんなが 僕を見て 足を止めるのは 僕が 特別な子供だからだ」 「特別な子供が 特別なお父さんのために 走っているからだ!」 「みんなも! ほかのみんなも幸せに!」 幸せを願って実現した世界では、”特別な家族”は緩く解けていくのですが、その因果の是非は、皆さん読んで確かめて下さい。 この、切なく、残酷で、柔らかく、優しくて、美しいラストを読めただけでも、私は幸せです。 (原作者、津原泰水が2022年10月2日に亡くなったことを受けて、2017年に書いた文章を思い出して書き直しました)