pennzou
pennzou
1年以上前
『コーラル ~手のひらの海~』は2007年から2014年にかけて『ネムキ』(朝日新聞社、朝日新聞出版)および『Nemuki+』(朝日新聞出版)にて連載された、TONO先生による長編作品です。全5巻の単行本に纏められています。 交通事故に遭い入院している少女・珊瑚。事故当時、珊瑚の母は珊瑚には本当の父親が別にいると言い残し、家を出ていってしまった。珊瑚はコーラルという人魚を主人公とした、人魚がいる世界の物語を空想している。人魚たちは人魚の兵隊を使役する。人魚の兵隊は人魚を守るために命を与えられた、男の水死体である。 人魚の兵隊・ソルトの姿形は、珊瑚が入院先で仲良しになり、そして亡くなってしまったサトシをモデルにしています。珊瑚が空想する物語にソルトが登場することは、珊瑚がサトシを(物語の中で)生かし続けることを意味します。 このように人魚の世界は珊瑚の空想でできているので、珊瑚の思うままです。ソルトを登場させるだけでなく、もっと願望を重ねた理想的な世界にすることだって出来るはず。物語が現実逃避の手段であるなら、なおのことそうするのが自然な気がします。しかし珊瑚はそうしません。人魚は、その血肉が万病に効くという理由で人間に襲われるし、身体を蝕んでくる回虫などから常に身を守らなくてはいけない。さらに人魚たちも一枚岩ではなく、それぞれに悪意もあるし意地悪さも持っている。そういう風に人魚の世界は作られています。それはちょうど、現実の珊瑚の身の回りに不安やノイズがつきまとっていることが反映されたかのようです。 珊瑚は、どうして人魚の世界をそのように空想するのでしょうか。 TONO先生のマンガには、ハードな状況に対峙する勇気や強い気持ちをもった子どもたちがたくさん描かれています。それはTONO先生が、子どもたちという存在に対しての信頼というか祈りというか、そういった希望を載せてマンガを描いているからだと思います。同時にそれは、現実世界や大人たちのイヤな部分を克明に描いているということでもあります。 この傾向は『チキタ★GUGU』や『ラビット・ハンティング』に顕著でしょうか。21年10月現在の最新作である『アデライトの花』も4巻で特にその傾向が強まったと考えます。 本作においても、珊瑚やコーラルはそういう勇気を持った子どもたちとして描かれていて、人魚の世界がハードにできているのはこれを描くためだと自分は考えています。勇気を持って頑張るコーラルの物語を想像することで、珊瑚は現実で勇気を持つことができる。大雑把な捉え方ではありますが、これは自分が物語全般を読む・見る理由のひとつでもあるので納得感もあります。 ただその上で、自分がもっと重要だと思うのは、勇気を持った子どもたちが描かれることは大人をも肯定することなんじゃないか、ということです。なぜなら、大人は子どもが育っただけだからです。(いい意味での、『少年は荒野をめざす』の日夏さんですね) 大人と子どもの違いって色々あるように思ってしまうけど、加齢していることと、大人には子どもに対して責任があること、本当のところはそれぐらいしかなんじゃないでしょうか。 そういうのもあって、自分はTONO先生の作品を読むと、現実社会を、時に勇気を持ってでも真摯にやっていかなきゃな…という気持ちになります。本作だと、ラスト付近の展開なんかに強くそう思わされます。 絵について書きます。『チキタ★GUGU』の連載後に開始された本作の段階で、TONO先生の絵柄はかなり確立されていると思います。キャラクターのみならず、背景の、例えば模様のような印象をもつ海藻などにも、TONO先生の絵!としか言いようのない独自の魅力があります。単行本表紙イラストなどの、淡く、それでいて少しくすんだような色合いの水彩で描かれたカラーは、きらびやかなだけでない人魚の世界を表しているかのようです。 先述の通り本作では現実と対峙するための方法として空想の物語を大きく扱っていますが、それ以外の方法も扱っています。そういうところも自分はとても好きです。 好きついでに、自分の本作の特に好きなところを挙げると、4巻途中(ボイルというキャラクターがね、めちゃくちゃいいんですよ…ポーラチュカ……)からガッとギアがシフトアップして物語の一番深いところまで達し、そこから少しずつ凪いだ水面に向かっていく、あの感じです。これは『チキタ★GUGU』にも同じようなところがあるので、TONO先生の作家性なのかもしれません。 最後に『薫さんの帰郷 (TONO初期作品集)』の表題作のモノローグを紹介させてください。以下引用です。 「勇気がいるな 幸せになるにはいつだってね 楽しい毎日を送るにはどうしてもね」(『薫さんの帰郷』、朝日ソノラマ、1998年、p174)
名無し
1年以上前
タイトルを見ただけで 「ああ下衆極まりないようで実は人情深い警官が  色々な問題を解決する話なんだろうな」 と想像した。 それは殆どは当たっていたと思う。 だが想像が外れた部分もあって、それが良かった。 予想に近いベタな設定だったが、 違う意味でベタではない部分があった。 ベタ(ありきたり)な設定だったが ベタべタした薄甘いストーリーではなかった。 それが良かった。 警官なのにそんなことしていいの、という漫画には 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という 先駆者にして大御所が存在する。 先駆者なので当然、当時にその設定は斬新だった。 そのうえ「こち亀」は下町人情話的な温かい部分もあった。 「こち亀」の両さんはオ下劣な面を出すこともあったが、 時に人間くさい面もだし、人情味を醸し出していた。 そして「こち亀」が40年の連載を経た今では そういう設定の漫画はベタな設定ということになるだろう。 「ゲスのポリス」の主人公・八王子は題名通りに ゲス(品性が下劣)だ。 それでいて実は思慮も人情も深そうなところは 垣間見せる。 このへんは「こち亀」と共通する部分があると思う。 だが、八王子は基本的にはゲスであることを貫く。 ゲスであり続けるので人間関係は湿っぽくはならない。 だから問題が解決してハッピーエンドになっても ハートウオーミング過ぎて湿っぽくなりすぎることはない。 ゲスなままでやりぬくから。 なのでストーリーの途中やラストなどで人情味を 感じる部分は結構あるが、全体的には 殆どベタベタしたイメージを感じることがない。 むしろゲスだからこそ爽やかだとも感じた。 第一巻の後半なんかは、それこそ 「踊る大走査線」の青島と室井の話か、というような ストーリーが出てくる。 良く言えばオマージュされた、 悪く言えば焼きなおした、みたいな話。 青島や室井ほどの熱さは感じないが、 ゲスな面が混じると、暑苦しく感じることがない。 その方が良い、とまでは思わないが、 こういうのも良い、とは思った。 ゲスな部分が適度に爽やかさを演出する漫画だと感じた。
タイトルを見ただけで
「ああ下衆極まりないようで実は人情深い警官が
 色々な問題を解決する...
ANAGUMA
ANAGUMA
1年以上前
また現れたってわけです、因果律がバグっているタイプのキャラクターが。あらゆる能力を兼ね備えているのになぜだか気の毒な目にばかり遭って1ミリも恋が報われない。そんな「負けヒロイン」の概念を体現するのが不憫可愛い主人公・姫ヶ崎櫻子ちゃんです。 どれくらい不憫かと言うと意中の夏樹くんが高校進学した途端に超美人の転校生と同棲を始める程度には不憫。運命に負けている。 comicwalkerの画像の「負けヒロインだって恋がしたい!」が哀愁を誘いますね。なんて悲愴なコピーだよ。 https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF06201721010000_68/ でも実は夏樹くんも櫻子さんのことが好きなので安心してください。本当にありがとう。 ヒロインから主人公への告白が話の都合でキャンセルされるのはラブコメでよく見かけますが櫻子さんの場合は逆。実は夏樹くんから何度も告られているのに彼女が聞き取れなかったり邪魔が入ったり、絶対に伝わることがないのです。 このすれ違いを積み重ねた結果、夏樹くんは本当は好きなのに「どうせあかんやろ」と常に平熱状態で過ごしているため、櫻子さんが一層やきもきすることになる負のスパイラル。負けるための因果が彼女を縛っている。この運命から逃れられる日が来るのか見守っていきたいですね。勝ってくれ〜〜〜。 最後に1巻で特に面白かったエピソードをお伝えしますと、姫ヶ崎さんが壁の穴にハマって抜け出せなくなる壁尻回です。本当にあるんだ信じて読んでくれ!