名無し約1ヶ月前ジョージ先生も描かないという選択肢があると言ってましたけど、 それって、売れた漫画家さんだからできることだと思うんですよね。 例えば、初めて単行本を出す新人が『お金出ないなら、描きたくないです』って言えるのか?って話。 それと、描かない・デザイナーに任せる選択ができるのも、おそらく週刊誌の単行本だからではないかと思います。 (元々、雑誌で読んでて内容を把握。その作品が好きだから、単行本を買うというケースが多く、 週刊誌の単行本は表紙で売り上げが左右されることがあまりない。そもそも忙しくて描く時間がないetc) でも、それ以外の月刊誌連載だったり、流通の少ない雑誌連載だったりすると、 表紙で気を引くことも必要、売り上げの為に描かざるを得ない、こんな感じではないかと。自由広場独り言広場2わかる
名無し約1ヶ月前主人公は高校生なのであまり似てないかもですが、「湯神くんには友達がいない」はどうですか?人生を一人で楽しんでるところは一番だと思います。 誰一人嫌な人はおらず、イケメン枠すら、どうしてもおもしろ人間にしてしまう作者さんがウィットに富んだ人物に思えます。コメディです。 路傍のフジイ『路傍のフジイ』に雰囲気が似ている漫画があれば教えてください!2わかる
名無し約2ヶ月前1位 社外取締役 島耕作 2位 イリオス 3位 盤上のオリオン 1位に関しては面白いというよりも、図らずも一週間ずっと考えざるを得ない状況になったから選びました自由広場【全雑誌】今週読んで面白かった連載中の漫画BEST31わかる
名無し2ヶ月前 主人公が外部要因ではなく、あくまで自分自身によって自分が何者でもないと現実にたたきつけられるお話で、ストーリーが最高に潔くて好きです。 そんな情け容赦ないテーマと感情極まる演出が嚙み合ってたまらない一作です。本当に描いてくださってありがとうございます。 また綿本おふとん先生の作品が読みたいです。ファンになりました。創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊潔さが最高に気持ちいいです3わかる
線セーショナル2ヶ月前この作者は漫画の物語やフリ、サスペンス、盛り上げ、伏線、葛藤などのシーンは退屈と思いながら漫画を読んできたのではと思わされるくらい、バトルシーンしか存在しない。ある意味チェンソーマンよりチェンソーマンしている。とにかく目まぐるしくキャラを取り巻く時間と空間が飛ばされアクションのみに傾倒したような荒ぶるような線が、空間をバトルシーンを物語を歪めていく。 この70年代後半から80年代前半の様な絵柄も漫画史的な愛も感じる。荒削りな部分がまだまだあるが、この段階で連載させた編集者にも感心する。 個人的に好みではないが、近年の中でも最も期待を込めたい作品の一つである。龍子 RYUKO線は運動を越え、躍動する6わかる
あうしぃ@カワイイマンガ2ヶ月前静かさが張り詰める。「し…ん」という音が余白に満ちる。 カボちゃ先生の作品には、いつも静寂がある。『ファインダー越しのあの子【コミックス版】』全2巻では、その静寂は夏の暑さとして内向的な女子高生達の連帯を包み込み、読切『ふた切れのケーキ』では名残雪の光景として、姉妹の緊張感を演出する。 本作『三角形の壊し方』でも、静寂は常に三人の女性の間にある。「し…ん」という空気の中で、神隠から生還したもののひとり取り残された中学生と、先に大人になってしまった同級生達の、互いを想ったり、相手に踏み込めなかったり、欲望に懊悩したり……心の機微が、静寂と響き合う。 静かな、耳鳴りのするような張り詰めた三人の世界で、彼女たちはじっと互いの心の糸を引き合っている。いじらしいほど切実に。 (電子のみで発売されていた本作ですが、2024.10.10に紙版が出るとの事で #1巻応援 タグで応援したいと思います)三角形の壊し方静寂は心の機微と響き合う #1巻応援6わかる
名無し2ヶ月前“ゾゾッと鳥肌の仕掛け”と作者様のXに書いてあったんですね。。。 イサキちゃんは卒業式の日に倒れて、亡くなったのだと思います。 倒れたのが校舎が横向きに描かれているページ。ここでは花びらが舞っているのですが、これはイサキちゃんが後輩からもらったフリージアのものです。画面が横向きになっているのも倒れたことを表している。 前ページで「わたしはもらったお花あるから一旦家に戻って、またくる。中見は?」「俺はここにいるよ」と会話しているので、学校を出てすぐ倒れたのでしょう。 校舎横向きの次のページでは水鳥が飛び立っており、イサキちゃんが天国へ行ったことを暗喩しているように感じます。 その次のページでは橋の前で「待ってた?」「ううん、寄り道しながら来たから丁度よかった」と二人の会話がありますが、中見は学校でイサキちゃんを待っていたはずで、辻褄が合いません。 ですから、ここからの夜のお楽しみ会のシーンは現実ではないです。僕は、イサキちゃんの意識が薄れゆく中での妄想だと思っています。まあ卒業式より前にあったことの可能性はありますが。 101話では怖くなり橋を渡りきる前に声を発してしまっていますが、最終回では無言で渡りきっています。あるいはこのシーンは「あの時渡りきっていたらずっと生きていられたかも」というイサキちゃんの想いの表現なのかもしれません。 次の、年取った中見のアップのシーンから最後のページまでは、はっきりとはわかりませんが、一貫してイサキちゃんの顔が描かれていないことから中見は現実の12年後であり、このシーンのイサキちゃんは中見の妄想で実際には存在していないのだと思います。 二人の服装は59話で未来を想像した時に出てきた服装です。 ただ、この服装はイサキちゃんが想像したものなので、あるいはこれら12年後のシーンも全て死にゆくイサキちゃんの想像なのかもしれません。 最終回は一見するとハッピーエンドなんですが、ハッピーエンド派の人も違和感は感じてる人が多いと思います。 僕も最初は気付かずコメントなどを見て思い至りました。 この解釈はバッドエンドではあるのですが、切なさと生きていくことの儚さ大切さが伝わり感動しました。 どこかに書きたかったところ、ここを見つけたので1年前の投稿にですみませんが返信させていただきました。君は放課後インソムニアラストシーンが、どうしても気になっちゃって16わかる
かしこ3ヶ月前オッドスピン ずっと青春ぽいですよ 一緒にごはんをたべるだけ 妻と僕の小規模な育児 化け猫あんずちゃん 風雲編 私がひとりで生きてくなんて 誰も知らんがな 恋じゃねえから 最近コミックDAYSで読んでるのはこんな感じですね モーツー移籍組が多いかも自由広場コミックDAYSを語るトピック【感想・雑談】1わかる