名無し
6ヶ月前
“ゾゾッと鳥肌の仕掛け”と作者様のXに書いてあったんですね。。。 イサキちゃんは卒業式の日に倒れて、亡くなったのだと思います。 倒れたのが校舎が横向きに描かれているページ。ここでは花びらが舞っているのですが、これはイサキちゃんが後輩からもらったフリージアのものです。画面が横向きになっているのも倒れたことを表している。 前ページで「わたしはもらったお花あるから一旦家に戻って、またくる。中見は?」「俺はここにいるよ」と会話しているので、学校を出てすぐ倒れたのでしょう。 校舎横向きの次のページでは水鳥が飛び立っており、イサキちゃんが天国へ行ったことを暗喩しているように感じます。 その次のページでは橋の前で「待ってた?」「ううん、寄り道しながら来たから丁度よかった」と二人の会話がありますが、中見は学校でイサキちゃんを待っていたはずで、辻褄が合いません。 ですから、ここからの夜のお楽しみ会のシーンは現実ではないです。僕は、イサキちゃんの意識が薄れゆく中での妄想だと思っています。まあ卒業式より前にあったことの可能性はありますが。 101話では怖くなり橋を渡りきる前に声を発してしまっていますが、最終回では無言で渡りきっています。あるいはこのシーンは「あの時渡りきっていたらずっと生きていられたかも」というイサキちゃんの想いの表現なのかもしれません。 次の、年取った中見のアップのシーンから最後のページまでは、はっきりとはわかりませんが、一貫してイサキちゃんの顔が描かれていないことから中見は現実の12年後であり、このシーンのイサキちゃんは中見の妄想で実際には存在していないのだと思います。 二人の服装は59話で未来を想像した時に出てきた服装です。 ただ、この服装はイサキちゃんが想像したものなので、あるいはこれら12年後のシーンも全て死にゆくイサキちゃんの想像なのかもしれません。 最終回は一見するとハッピーエンドなんですが、ハッピーエンド派の人も違和感は感じてる人が多いと思います。 僕も最初は気付かずコメントなどを見て思い至りました。 この解釈はバッドエンドではあるのですが、切なさと生きていくことの儚さ大切さが伝わり感動しました。 どこかに書きたかったところ、ここを見つけたので1年前の投稿にですみませんが返信させていただきました。
ゆゆゆ
ゆゆゆ
10ヶ月前
原作となるイザベラ・バードの本は読んだことがある。 でもこれほど情景豊かに想像はできなかったし、イザベラ・バード視点のみなので、やはり周辺情報が客観的に描かれる漫画はやはり違う。 絵があると、それがすべて本当のように引っ張られてしまうのが弱点と何かで読んだ。 でも、自分だけの想像力では描ききれない、田舎の恐ろしいほどのノミやその他虫、そして不衛生さ。 それらが日常の様子として描かれ続けているので、漫画とはすごいものだなと思い知らされた。 そもそも、バード女史、よく行ったな。肉もないのに。 また、環境だけでなく、懐からボトルに入れた筆を取り出し記録をしたためる鶴吉の一連の仕草。 大人になったことを誇りに思う女の子の表情。 細やかな当時の人々の日常が、ドラマの何気ないワンシーンのように描かれていて、今は消え失せた文化を知らされる。 ちなみに、ヨーロッパより難儀な雑草が多い日本で、バード女史が農民が勤勉に働き雑草を刈るから「雑草がない」と表現したコマに、フフとなった。 有名な場面ですね。 キリスト教的な倫理観が根付いている現代の我々が、当時の日本へ気軽にトリップできる、すてきな漫画です。