後藤家と地下牢の狂爺大好き人間
1年以上前
後藤銀の死の真相 熊に襲われて死亡とされているが? 腕には牢の中に居る老人の仕業と思われる歯形が残されていた・・・ そしてもっとも気になるのは洋介が熊を射殺した後に恵介の口から・・ 「洋介がアンタの仇を 討ちとった 悪いけど そういうことにさせてもらうぞ この村の為や  わかってくれるだろ ばあちゃん・・・」 これは単行本1巻にはっきりと書いてある台詞で これからの展開を大きく左右する台詞だ 恵介は間違いなく後藤銀の死の真相を知っているだろうしこの村の食人文化についても全てを知っている人物と目される おそらく後藤銀は後藤家の誰かかあの地下牢の狂爺に殺されてしまったと思われる しかしそれは後藤恵介達が意図して銀を殺したのか・・・それとも地下牢付近もしくは山中で敵も味方も区別できない狂爺に襲われて死亡したのかが分からない?狩野の死体も銀の死体も何故か山中で発見されている・・殺した後に山中に放置したのか山中で殺されたのかもわからない?狂爺は牢の中で勝手には出てこれないと思われるから山中で狂爺に襲われる可能性は少ない・・・もしかすると理由があって恵介達が殺したのか?それとも狂爺の仕業だが狂爺の存在だけは知られたくなくて山中に運びこみ熊の仕業にみせかけたか・・・ あの人の正体が誰かよりも最近はとにかくあの爺はなんなんだろう?なんでリスクを背負ってまであんなもん匿っているんだろうか?迷惑なら殺すなり警察や司法に指しだすなりすれば良いのに・・・ それが出来ない大きく恐ろしい理由があの狂爺には隠されているんだろうな・・・これからの展開から目が離せないね
sogor25
sogor25
1年以上前
前作「彼女は宇宙一」の評判が私の周りでやたら良かったので、谷口菜津子さんの名前を見つけてあらすじも何も見ずに今作に手を伸ばしたんです。冴えない感じで超ネガティブ思考の彼氏・一郎とそんな彼のことが大好きな美人の彼女・ゆきか…読み始めは「地球のおわりは恋のはじまり」みたいな幸せなラブコメなのかと思ってました。 そしたら突然明らかになるゆきかの過去に関する噂。生来のネガティブさもあってその噂を異常なまでに気にし始める一郎。そして唐突に登場する噂の真偽を確かめることのできるふしぎ道具。疑惑とそれを検証する術を目の前にして激しく揺れ動く一郎のメンタル。予想以上に読者の倫理観を揺さぶってくる恐ろしい作品でした。谷口さんの絶妙にデフォルメされたキャラクター造形、ベースは整然と並んだ長方形なのに突然崩れたようになるコマなど、いろんな方法で作品のリアリティラインを曖昧にしてきているのもその揺さぶりを効果的に支えているように思います。 1巻の段階ではその噂が事実かどうかは分からないけど、少なくとも現在のゆきかの気持ちは一郎に対して一途であることが伺い知れます。一郎の視点のないゆきかだけしかいない空間の描写からもそれは分かります。それを鑑みると、この作品の肝はゆきかの過去に囚われてしまった一郎の心の移り変わりにあるのだと思います。一郎が現在のゆきかだけを見て過去の噂など気にしないという態度を取ることができたなら、もしくはその噂を検証する手段があったとしてそれを実行しなければ、この2人はこれまでと変わらず穏やかに過ごすことができた、でもそうすることができなかった一郎の咎と、それを一概に否定することのできない読者側の人間の性、を描いた怪作だという印象を受けました。 「hなhとA子の呪い」「青春のアフター」「それはただの先輩のチンコ」等、好きという感情とそれに付随して回る負の感情をファンタジー設定を交えて描く作品が好きな方と相性のいい作品ではないかと思います。 1巻まで読了。
ナベテツ
ナベテツ
1年以上前
自分は確実におたくなんですが、コスプレという分野に興味はそれほどなくて、話題になっていたから読んだのですが、本当に色々考えさせられ、心に深く突き刺さりました。 もしこの作品を読んで何も感じない人は、幸運なのか無趣味なのか想像力がないのか、そのどれかだと思います。 コスプレイヤーがいつまでコスプレを続けるのか。その問いかけを「容姿」だけに限定して読んでいるならば、無縁に考えるかもしれません。しかし、この作品が問いかけ、そして考えさせるのは、誰にとっても「年齢」というのは無縁ではいられないからです。 例えば、身体を動かす趣味、ランニングやスキー、草野球やサッカーやフットサルを一番の趣味にしている人は、それを加齢によって諦める未来を想像してしまうと思います。あるいは、スタンディングのライブに行けなくなる年齢。老眼で文字か読めなくなる未来。この作品の表象はコスプレですが、読者は恐らく、自分自身にとって大事な趣味というものを諦める瞬間を、嫌でも考えてしまうのではないかと思います。 勿論、結婚や出産で趣味と離れてしまうことはあると思います(作中でも語られています)。しかし、多分我々の生きている「今」は、それらの人生のイベントの後でも趣味を続けられる環境がある程度整えられています。 かつて、「老いは恥ではないのだよ」と語って40歳を過ぎてからチャンピオンにカムバックしたボクサーもいました。しかし、どうあっても「老い」は現実に訪れるものです。寿命が伸びている今、自分が趣味を諦めることになる可能性について考えることは、体験として貴重なものなのではないかと思います。