玄米せんせいの弁当箱

食文化のありがたさを身をもって教えてくれる

玄米せんせいの弁当箱 魚戸おさむ 北原雅紀
マウナケア
マウナケア

このタイトルにこの表紙だと、弁当を扱う食マンガと思われがち。確かに食マンガであり弁当ネタも多く出てはきます。ただ、私はむしろ教育的な部分が大きい作品だと思うんです。主役は國木田大学農学部のちょっとかわった講師・結城玄米。この人、授業にぬか床を持ちこむは、大学に勝手に畑は作るは、やることなすことマイペース。ですがその正体は食文化史のエキスパート。「食べることは生きること」という信念に基づいて、一家で囲む食卓の大切さや、食べ物に対する感謝の気持ち、食文化のありがたさを身をもって教えてくれる、言動一致の人。そして彼の想いは関わる人たちにしっかりと受け継がれていきます。それは母親への気持ちの変化であったり、郷土料理の本質を深く知ることであったり。それを通して教え子たちが成長していく過程が感動的で、うらやましくもあります。押しつけがましくないのに、すっと人の心の中に入ってくる玄米先生の授業だったら、何度でも受けてみたいですね。私も農学部出身なので、もしこんな先生がいたら今ここでこの原稿を書いてはいなかったかも。

夕映えの丘に―そこも戦場だった―

胸が塞がる戦争と親友の記憶

夕映えの丘に―そこも戦場だった― 佐藤まさあき
なつき

導入から終わりまでの構成、作画、ストーリー、どれもが素晴らしい読切でした。途中辛いシーンがありますが、何より**最後まで読んだときの喪失感とやりきれなさが一番胸に残りました。** この作品は**佐藤まさあき先生ご自身の体験を描いたノンフィクション**だと読後に知り、あらためて戦争の残酷さを突きつけられました。今のサンデー読者にも届いてほしい傑作です。 【ビッグコミックオリジナル第18号】 https://bigcomicbros.net/magazines/25108/ 【あらすじ】 大阪で育った主人公・藤本は兄とともに愛知・祖父江町の祖母の元へ疎開する。小学校では地元の子供達に線を引かれ、意地悪なボスから『ソカイシャ』と呼ばれいじめを受ける。ある日、空襲で両親と片腕を失った少年・西田が名古屋から転校してきて、2人は都会育ちの疎開者同士友情を育んでいく。 やがて大阪は空襲に遭い、藤本の父は黒焦げになって死に、母は全身を油で焼かれ薬もなく与えられぬまま死んだ。 打ちひしがれる藤本に唯一、同じ立場で寄り添うことのできる西田は、丘の松の木を見て「俺たちも運命を呪わず真っ直ぐに生きよう」と鼓舞する。以来2人の仲はさらに深まっていった。 やがて中学を卒業した藤本は、漫画家になるという夢を叶えるため上阪する。週に一度は手紙のやり取りをしていた2人だが、「郵便局に就職した」という便りを最後に西田から連絡が途絶える…。 【扉絵の解説より】 >週刊少年サンデー1970年4・5号合併号に『新春感動大作シリーズ第5談』として掲載された、劇画家・佐藤まさあき氏による読み切り作品。 >1955年4月に上阪するまで、佐藤氏が過ごした愛知県稲沢市祖父江町を舞台に、彼の実体験を基に描かれたノンフィクション。作中に登場する松の木も実在するもので、執筆当時「思い出の松の木は、ちっとも昔と変わっていなかった」と語っている。本作は佐藤氏にとって念願のテーマであり、自身の心の傷に立ち向かった渾身の一作である。

どうらく息子

名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語

どうらく息子 尾瀬あきら
名無し

趣味ってのはなんでもそうだと思いますが、身近に先達がいないとなかなか身につきません。誰かが順序よく教えてくれないと、途中でイヤになってしまうのですね。それ以前に、どこから入っていいかわからず手を出せなくなってしまったり…。私が今、手を出そうか躊躇しているのは、Jazz、競輪、そして落語です。  『どうらく息子』は落語家の漫画です。落語を題材とした漫画といえば私の中では『寄席芸人伝』(古谷三敏)が永遠の金字塔であります。『寄席芸人伝』には名人と呼ばれた落語家達の、人間模様が描かれていました。彼ら名人は皆、自分だけの道を探しだし、その道を歩んでいきます。『どうらく息子』で描かれるのは、名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語です。  主人公・翔太は親戚の幼稚園でバイトする青年です。どうしたら子どもたちは笑ってくれるだろうか、どうしたら自分の話に引き込めるかを考えていた翔太は、人に進められるまま入った寄席で惜春亭銅楽の「時そば」を観ることに。まるでそこにそばがあるような銅楽の芸にのめり込んだ翔太は、銅楽の弟子になろうと、強く思い始めます…。  やがて、銅楽の弟子になり、銅ら壱という名前をもらった翔太の、金ない、ひまない前座の生活がはじまります。先輩方の生き方を見ながら、少しずつ銅ら壱は落語家としての道を歩んでいくのです。  『どうらく息子』は落語のシーンも魅力的です。落語のシーンは作中作として、登場人物が熊さんや与太郎として登場します。3巻の「牛ほめ」のちょっと抜けた与太郎は、まだまだ駆け出しの銅ら壱が登場しますが、その時の銅ら壱の状況とあわさって、なるほどなあと感じます。  私が特に心に残っているのは10巻で描かれる『紺屋高尾』。とても美しい話です。紆余曲折がありながら、二ツ目に昇進が決まった銅ら壱は、『紺屋高尾』という廓噺をものにしようとします。花魁と紺屋の職人の身分違いの恋の話ですが、花魁の了見がわからず苦戦します。しかし、時間をかけ、自身の恋愛も交えていくうちにだんだんと形を出来てきます。そして初見世。熱演する銅ら壱を象徴するように、シリアスに描かれる『紺屋高尾」の物語。そして、美しいクライマックスの後、舞台のシーンが一瞬交錯しそのままラストに…。  読み終わったあともしばらく余韻が残ります。

七帝柔道記

喜怒哀楽から楽を切り捨て「誇り」を得る青春物語

七帝柔道記 一丸 増田俊也
名無し

ゆとり世代だとか言われる昨今の大学生活は 甘えられ、甘やかされる世代とも言われる。 そうでなくても、子供から大人への過度期においては 自分を甘やかそう世間に少し甘えよう、 楽をしよう楽しもうと思えば かなりそういうことも出来たであろう。 ましてや国立大学に入学したというのであれば ソレまでの努力に免じて多少はノンビリしたとしても それをとがめるのも野暮かもしれない。 30年ほど前、国立・北海道大学に入学しながらも 明るく楽しい学生生活ではなく ひたすら苦しく辛く死ぬほど痛い目にあう青春を 過ごした若者達がいた。 普通に勉強してバイトでもして趣味も楽しんで そんな学生生活も選べただろうに。 北海道大学柔道部に入部し、 年に一度の七帝戦での北大勝利に、 かつての最強・北大の再建に、全てを費やした男達。 毎日毎日、畳の上で締め落とされ関節を決められ。 しかも輝かしい個人成績の勝利ではなく 団体戦で引き分けることに全力で挑んだりした。 北大柔道部の勝利のために。 なかには留年してまで部に在籍して戦う者まで。 およそ世間の価値感や常識では考えられない青春。 楽、ラクとかタノシイとかを放棄した青春。 そこまでするほど価値が真実が七帝柔道にあるのだろうか? 喜怒哀楽から楽を捨て、そのかわりに 彼らは何を得ようとし得ることが出来たのか? 原作者・増田俊也先生の自伝的小説を 一丸先生が汗臭くも綺麗な絵で漫画化している。 ときにホッとしたり泣かずにはいられないシーンも交えて。 一般的な勝利や栄誉とは違った、 普通ではなく損得でもない異常で特殊な勝利を目指して。 仮に比類するものがあったとしても比べようがない 凄い青春譚だ。

あんどーなつ 江戸和菓子職人物語

洋菓子から転向!下町と修行と人情と

あんどーなつ 江戸和菓子職人物語 テリー山本 西ゆうじ
たか
たか

「パティシエールを目指していた女の子が、和菓子職人の弟子になる物語。「そんなん面白いに決まってんじゃん…!」と読んだら、案の定面白かった! (違う世界に挑戦する話が大好きなんです…Real Clothes、スピナマラダ!、空手小公子 小日向海流みたいな) まずこの絵柄がいい! キラキラした少女漫画やシュッとした少年漫画じゃ出せない「素朴さと温かみ」が下町の義理人情を引き立ててたまらない。 そして職人の在り方・心構えをガッツリ丁寧に描いてるところがいい! 和菓子を作るには、材料から日本の四季と文化に精通しなくてはならない。よって親方や女将さんがなっちゃんを育てるために、あれやこれや手を尽くすし、なっちゃんも期待に応えるために真剣に努力する。 店には親方、兄弟子、店を取り仕切る女将さんがいて、和菓子の道を極めるうえで主人公彼らとは「師弟関係」という線引きがある。 尊敬と愛情で繋がる「親しいが馴れ馴れしさはない」、職人の世界の人間関係がすごくよかったです。 そして何より、全く道の厳しい世界でもヘコたれない、主人公の真っ直ぐな心とタフな根性が読んでいて気持ちがいい! こういう子好きです。 何も知らずに読み進めていたところ、20巻のあとがきで衝撃を受けました。 作者の方がご病気で逝去されており、その遺志を継いで未完のまま完結させるというお知らせでした。 アメリカから来た新しい弟子となっちゃんの関係がどう決着するのか本当にワクワクして読んでいただけに、「ここでなっちゃんの世界は終わり」といきなり知らされショックで呆然としました…。 未完ではありますが、作中の下町人情や美味しそうなお菓子、日本の伝統文化は本当に最高。 最初から未完であると知ったうえで楽しんで読んでほしい名作です!