ラララ劇場
ダメ人間でも幸せに生きていいんだ、という安心感が沸いてくる
ラララ劇場 いましろたかし
名無し
まだまだ若いつもりでいましたが、ちょっとした動作で自分の年令を思い知ることが多い昨今。鏡に写る、童顔とおっさんが交じり合った自分の奇妙な顔に絶望する毎日。そんなパッとしない中年男性のしょーもない感じをいましろたかし先生は残酷に描き出すのです。『釣れんボーイ』では自身をモデルにした漫画家・ヒマシロタカシがマンガよりもアユ釣りに夢中になり、通っていた病院の先生に勢い余って連絡先を渡したり、アシスタントを軽くいびってみたり、将来の不安で頭がいっぱいになったり…見ているだけで俺も頭を抱えたくなるようなことが、コミカルに描かれていました。  僕がさらに頭を抱えたのは『ラララ劇場』『盆堀さん』に登場する盆堀さん。このシリーズは、キャラクターは共通しながらも、毎回様々にシチュエーションが変わる、オムニバス作品です。  盆堀さんは一見ナイスミドルながら、中はかなりダメ人間。見栄っ張りでだらしないまま、中年になってしまい、なにかというと「あーめんどくさ あーもうイヤッ」なんて言っています。  『ラララ劇場』の第三話は、不倫相手に子供ができてしまい、バックレたところを共通の知人に詰られるというシチュエーション。「いいから養育費払えよ」と言われてものらりくらり。挙句の果てに「なんにも出来ないくせに 見栄っぱりで 大物ぶりたがる 口先だけの しょーもない カス人間です!」そう自分で言い切って自虐に走るあたりが本当にダメ人間ですね。当然、そのあともバックレるのですが、こういったトホホなエピソードが続くのです。  盆堀さんが、他人からどのような目で見られているかというと、「盆堀くんの 話には内容がないねえ…」「ダメですな 彼は」とか「あのバカ」なんて言われています。  そんな風にいわれても、「俺は直球勝負だ! めんどくせーから」と若い女を直球で口説きフラれたり、送別会終わったあとに「さて…と ソープ行こう!」と若手を誘ったり。盆堀さんのダメな日常はそれなりに続いていくのです。  なんというか、どうしようもないダメ人間でも幸せに生きていいんだ、という安心感が沸いてくるのです。俺も俺なりに生きていけばいいんだと。
化け猫あんずちゃん
当時の小学生はどんな気持ちで読んでたんだろうか
化け猫あんずちゃん いましろたかし
hysysk
hysysk
割と自分も(後になって気づくと)大人向けのマンガを読んでいたので面白みは伝わると思うが、一般的に想像するような子供向けマンガのドタバタ感や分かりやすいオチはない。 地下道に住んでる大妖怪カエルちゃんとのやり取りが最高。 あんずちゃん「お前ここで何やってんの?」 カエルちゃん「何にもしてないよ 寝たり起きたり」「穴掘るのが趣味だからさーたいくつだと穴掘って遊んでるんだ」 あんずちゃん「かっこいいじゃん」 あるがままの自分でいい、ということではなく、こうなるしかない、みたいなキャラクターがいましろ作品の魅力。何もしてなくてもいい。宝くじで3億円が当たっても、やりたいことはなくていい。 とかく夢や目標を持たなければ駄目だと言われがちな小学生(そしてそれを分かっていて大人が喜ぶようにうまく立ち振る舞えてしまうやつ)にとって、こういうスタンスは目から鱗なんじゃないかと思う。 『グチ文学 気に病む』というエッセイにこの作品を描いている時の話が出てきて面白い。小学5年生が「先生と話がしたいから家に遊びに来てくれ」というファンレターを送ってきたり、宝くじが当たると色んな人がたかりにくる噂は都市伝説であることを担当編集が調べてたり(えらい)。 個人的には、いましろ節が利いてて、モラルの面でも思想的な面でも安心して人におすすめできる作品。