会社で上手くやっていくには周りと打ち解けないといけない、と思う。ある程度は。 昨今、コンプラが強く意識されるようになった!と言われてはいるものの、本当に全ての社会でそうなっているとはまだまだ到底言えない。 どこでも目立たない弱者が発生するのがコミュニティだと思う。誰かが飛び出ていたらその分の偏りは必ず生まれる。 本作の主人公フジイは別に無欲の仏なわけでも、強運の持ち主なわけでもなくて、本当に居そうで居ないだろうなっていう不思議なキャラ。 そんな彼が、何かしらに固執というか執着に囚われて上手く気持ちの整理が出来ない同僚や関わった人たちの考えや気持ちに少しずつ変化をもたらしていく物語。 結果として少しの変化が発生しているところまで見せてくれるので、割とスッキリできたりする。 なんかすごく、いいなぁ と思う。
ぶれないフジイさんが羨ましい。 自分の好きなことや趣味、感性が赴くままに行動する姿。 理想だ! ひとりで楽しむことのできる人って本当に自分を持っていて素敵♬ 私も、きっとフジイさんが傍にいたら話しかけて友達になりそう。 フジイさんって、表面的にじゃなくて、深い付き合いができる人間。 肩ひじ張らずに自然体で生きていくことって本当に難しいと感じる今日この頃・・・。
人が好き。だけど、無理して人の輪には入らない。 純粋な興味と愛を持って周りと接する姿勢にはハッとさせられるものがあるね。 町田くんの世界のおっさん版みたいな。
『リボーンの棋士』鍋倉夫さんの新作です。 人間はどうしたって他人の目が気になる生き物。 SNS全盛の現代社会ではますますその傾向は強まり、承認欲求に囚われてしまう人は数限りありません。 しかし、そんな世の中の潮流に逆行するように自らの道をマイペースに突き進む男・藤井こそがこの作品の主人公です。 同僚から見れば、存在感がなく冴えない40歳の独身非正規社員。真面目ではあるものの鈍くて友達もいなさそうで、こうはなりたくないと思われるような存在です。しかし、そんな彼の中にはこのご時世では稀有な豊かさが宿っているのです。 映画や小説、昆虫の飼育、DIY、絵画や陶芸、ギターなど無数の趣味を持っていて、どれもさして上手くはないものの本人は心の底から好きで楽しんでいる。孤独であることを厭わず、何なら不老不死になってずっと永く人生を謳歌していたいというその在りようが、本当に素晴らしいです。藤井のように、真に豊かで自由な人生を謳歌できている人は少ないのではないでしょうか。 それ故に、すべてがつまらなくなってしまっていた青年・田中や、とある事情を抱える職場のクール美人の石川さんらの方に多くの人は共感しやすいことでしょう。ある種、藤井が鏡のように自らを写し出す存在としてさまざまなキャラクターの藤井との関わりを通して生まれる変化が描かれていきますが、その様子ひとつひとつに感じ入ります。 分かりやすい地位や名誉や物質的な豊かさ。多くの人が欲して憧れる、何ならそれを持つことこそが「普通」とされるものに特に興味を示さない。そのせいで、異端扱いされ疎外されても気にすることはない。私もどうしたってそんな藤井の生き方や精神性の側なので、それをこんな形でマンガにしてくださる鍋倉夫さんの着眼点や言語化能力の高さに感謝してしまいます。 『リボーンの棋士』より一層地味な主人公と物語ですが、静かで深い味わいがありこちらも大好きです。 余談ですがスピリッツ本誌の筆者コメントの欄で「漫画史上最高のカップル」というお題の際に鍋倉夫さんとジョージ朝倉さんが共に『狂四郎2030』の狂四郎と志乃を挙げシンクロしていたのが何とも言えない感慨がありました。
特にマウント合戦や承認欲求などSNS疲れしてそうな現代人に響きそうな題材。 自分はSNSをやらない派なのですが、それでもニュースとかで入ってくるインフルエンサーや一般人の方々が、ちょっとした言動で炎上する様をみると現代社会の息苦しさを感じてはおります。 本作のフジイは、ホントになんの取り柄もない一般人。 夢、野心といったギラギラしたものはないし、40過ぎて正社員でもなく職場の同僚からも小馬鹿にされている。 でも、毎日楽しそうで、休みの日は散歩して目に映るものに、心ひかれるまま過ごす。 友人もいないから、一人で過ごす。 誕生日の日も1人でケーキを食べるような人間だ。 ただ、そこに侘しいとか寂しいとか、そういった気持ちはない。 また、ギターや絵画、陶芸など色々手広くやっているが、どれも決して上手いわけでもない。 ただ、本当に自分が満足するためだけにやっている感じ。 努力した以上結果や成果ばかり求めてしまう自分とはエライ違いだ。 フジイの中で、他人にどうみられるとか、誰かに評価して欲しいとか、そんなものはない。 背伸びもなく、卑屈な考えもない。 あるがままを生きている姿、人間関係や上述のようなSNSに疲れた人に刺さるのではないかなと思いました。 人生楽しむってこういうことだよなー 頑固というか、マイペースで自分の考えがしっかりしているフジイだけに、少しづつ周囲との人間関係で、彼も影響受けていく様はみてみたいなと思う。
将棋漫画の主人公と言えばプロ棋士or奨励会員が定番だが、これはその奨励会から脱落した棋士が主人公。挫折から立ち上がり前を向いて歩き始めた主人公と、それをライバル視する偏屈メガネの関係が良い。他にもベテランのアマチュア棋士たちや、ネットに強い若い世代など、みなキャラが立っており人物背景がしっかりと描かれている。プロ編入までが物語のゴールなのかは分からないが、続きが読みたくなる作品であるのは確か。
手塚治虫『リボンの騎士』をパロったタイトルのこちら『リボーンの棋士』いいですね。 少し読んだらタイトルの意味もなんとなく分かります。 年齢制限により将棋のプロ棋士になれず、将棋に一切関わらない生活を選んだ主人公だったが、ひょんなことからまた将棋を指すことになり、プレッシャーで負けられなかったがゆえに奨励会時代に打っていたような堅実な手ではなく、将棋がただただ楽しかった頃の可能性を探るような自由な打ち方に立ち返る。 プレッシャーから解き放たれた彼の将棋は自由に、強く生まれ変わっていた。 リスタートしてリボーンしたわけですね、棋士として。 いまのところ楽しそうに打っててしかも強いっていう主人公らしさ、強さの片鱗が感じられてて楽しいです。 プロになるだけが将棋じゃありませんし、将棋とは人生においていろいろな形で付き合っていくやり方があるかとは思いますが、この主人公はどうしたいのか。 プロ編入制度という狭き門をくぐるのか。 どん底、逆境スタートって、なんだか燃えますよね。 読むたびにだんだん楽しみになってきてます。
"26歳"という年齢制限により将棋のプロ"四段"への夢を断たれた、元奨励会員の主人公。どうしても将棋への想いを捨てきれずにいた彼はアマチュアという新たな世界に出会うことで、目指すべき頂点へと再び歩み始めるのだった。 「1話でプロへの道が断たれてしまったなんて、これからどう物語にするっていうんだ」みたいな感想も耳にしました。でも実際には、将棋以外の道、アマチュアで頂点を目指す話、ハチワンダイバーみたいな話、など無限に可能性があったわけです。藤井聡太さんはマンガの主人公みたいだとよく喩えられますが、その道のスーパーホープが並みいる敵をバッタバッタ薙ぎ倒しながら王道を往くよりも、道なき道をゆく「リボーンの棋士」の冒険感のほうが個人的にはワクワクできます。 将棋の世界に関しては連日の藤井さんの報道や3月のライオン、ハチワンダイバーくらいでしか知らないド素人ですが、Tシャツにジーンズ姿で大量にフラッシュを浴びるこのカラーイラストが如何に型破りで掟破りなものであるかは分かります。でもだからこそ物語への期待が膨らむというものです。 私はどうしても、小説や漫画に限らず映画、アニメ、音楽など、楽しみ方を狭めるような消費の仕方をしたくありません。 例えば、これは何度も色んな人に申し上げていることなんですが 「『君の名は。』では二人がお互いに惹かれあう描写が希薄だったから駄目だ」 一昨年よく耳にした評でしたが、必要ないから描かれなかっただけです。スペクタクル、映像美、カタルシス、極上だった点を挙げればキリがない。 「『けいおん!』には中身がないからクソだ」なんて言う萌え豚は居ませんし 「本職のアーティストの方が上手いからキャラクターソングは無価値だ」なんていう二次元アイドルファンは居ませんし 「絵が雑だし休載ばっかり」なんてハンタヲタは百も承知なわけです。 私は絵が雑なマンガが苦手なのでハンタは読みませんが、別に否定はしません。読まないだけです。 話が逸れましたが「リボーンの棋士」には、藤井フィーバーに湧く我々素人には想像もつかなかったような"道"と"頂"を見せてほしいです。
会社で上手くやっていくには周りと打ち解けないといけない、と思う。ある程度は。 昨今、コンプラが強く意識されるようになった!と言われてはいるものの、本当に全ての社会でそうなっているとはまだまだ到底言えない。 どこでも目立たない弱者が発生するのがコミュニティだと思う。誰かが飛び出ていたらその分の偏りは必ず生まれる。 本作の主人公フジイは別に無欲の仏なわけでも、強運の持ち主なわけでもなくて、本当に居そうで居ないだろうなっていう不思議なキャラ。 そんな彼が、何かしらに固執というか執着に囚われて上手く気持ちの整理が出来ない同僚や関わった人たちの考えや気持ちに少しずつ変化をもたらしていく物語。 結果として少しの変化が発生しているところまで見せてくれるので、割とスッキリできたりする。 なんかすごく、いいなぁ と思う。