トピック立てるほどかな〜とちょっと悩んだんですけど先日椎名高志先生が単行本を「集める」という表現が違和感あるって言ってたんですよね。
マンバでも「集める」派と「揃える」派、あるいは第三勢力に分かれたりするのかな〜と思って聞いてみます。

単純な興味なので、普段使ってることばとかマンガを入手する時の感覚とか、なんでもいいので書いてってくれると嬉しいです。

(椎名先生のブログも貼っときます)
http://cnanews.asablo.jp/blog/2021/03/25/9360179

ちなみに自分は「集める」でも特に気にならない派です。
漫画って新刊出たら買うとか、ちょっとずつ増えてくことが多いからかも。

単行本を全部…
持ってる>買ってる>集めてる>>>揃えてる

揃えるが一番使わないな。だって揃えようとして買ってるわけじゃないし。読むために買ったら勝手に揃うんだから(笑)

 間違っているとは私も思わないんですよ。「資料用の本を買い集める」「希少本を蒐集する」って言い回しにはおかしなところはない。でも書籍は「コンテンツ」として中の情報の方に重きを置くのがふつうなわけで、「集める」には「アイテム」というニュアンスが多めに入るんじゃなかろうか。

てか自分で言っちゃってんじゃん。
今の時代ネカフェや電子の無料配信とか買わずに読む手段がいくらであるわけで、わざわざ金はらって買うんだから中身より漫画よいう物理的アイテムがほしいんだって。

個人的にはこんなイメージ
集める -> 情報がない状態で情報込みで少しづつ購入していくのが集める
例:手塚治虫の単行本未収録を集める

揃える -> 情報がある状態であとは購入するだけを揃える
例:手塚治虫のブラックジャックを揃える

蒐集する-> 集めるために人生の全てを捧げるようなことを蒐集する
例:ひばり書房の漫画を蒐集する

みなさん色々意見ありがとうございます。感覚それぞれ違って面白いですね。
小説本とかにもそのまま当てはまるのかな。

これ、究極的にはいつでも読める「状態」にしておきたいという意味で揃え(ておき)たいが使われてるのかもよ

どっともあんまり使わないけど
どちらかというと「揃える」派かな

twitterでも「集める」割りと見るけど
なんとなく読む事より持つ事重視してそうな感じある(偏見スマヌ)

蔵書○○冊目標!とか

なんで!?

なんで!?

日常の様々なシーンで出てくる言葉、「なんで!?」。言葉は一つでも、その意味は決して一つではない。喜び、怒り、悲しみ、驚き……いろんな感情が入り混じったとき、人は「なんで」という言葉を発するからだ。 笑える「なんで」、泣ける「なんで」、心がほっこりする「なんで」……「なんで」の数だけ「ドラマ」がある。そんな様々な「なんで!?」を切り取ったオムニバスストーリー。

純!!

純!!

ひとりぼっちになってしまった少年・伊坂純(いさか・じゅん)が、ボクサーへの道を歩んでいく熱血ボクシングコミック。祖父・佐吉(さきち)と二人きりでつつましく暮らしていた高校生・伊坂純。そんなある日、佐吉がスリの現行犯で捕まってしまい、純はひとりぼっちになってしまう。その時、声をかけてきた佐吉の仲間でヤクザの利一(りいち)に、しばらく面倒をみてもらった純だったが……!?

先生!

先生!

島田響は高校二年生。ある日、友達から頼まれたラブレターを間違えて伊藤先生の下駄箱に入れてしまったことから運命は動き出した。今まで恋をしたことがない響だが、女ギライでクールだけど本当は優しい伊藤先生に徐々に惹かれていき…?

ブラック・ジャック

ブラック・ジャック

全身が傷だらけで黒マント姿の天才的外科医ブラック・ジャック。彼は患者に法外な料金を提示し、華麗なメスさばきで次々と不可能を可能にしていく……。 相棒・ピノコが誕生した「畸形嚢腫」、手塚治虫漫画全集未収録の「ふたりの修二」を含む18編を雑誌掲載順に収録した『ブラック・ジャック』の決定版! 満を持して登場!! <収録作品>医者はどこだ!/海のストレンジャー/ミユキとベン/アナフィラキシー/人間鳥/雪の夜ばなし/海賊の腕/とざされた記憶/ふたりの修二/鬼子母神の息子/ナダレ/畸形嚢腫/ピノコ愛してる/後遺症/ダーティー・ジャック/ピノコ再び/灰色の館/二度死んだ少年

マンガを「集める/揃える」…どっち使う?にコメントする