Xジェンダーは複雑だけど奥が深い。
まあ奥が深いと言っても、私自身に知識がなくて知らないことがたくさん描いてあるなと思ったというだけなんですが。 Xジェンダーの定義は、心の性別が男女どちらでもない(どちらでもある)ということらしい。その中で著者は、体は女性で、恋愛対象は女性。 ここで心も女性であれば「レズビアン」に該当するのだけど、性的指向は男性寄り(性交ではタチ=攻めしかできない)なのでレズビアンではないようです。複雑だ。 物語としては、交際していた女性があっさりと男性と結婚し、しかも妊娠したという事実に大変ショックを受けたことで、女性同士の出会いを求めてオフ会へ参加しようとする…というものです。 フッた女性を見返して幸せになってやると意気込む主人公に良い出会いは訪れるのでしょうか。
本作は作者の「苦しみ」と解放のノンフィクションです。
性的マイノリティとしての苦難を描くのですが、その苦難とは何かと言えば、
①肉体的苦痛・違和感
②社会=人間関係からの精神的苦痛
①についても具体的に、生々しく語られて抉られるのですが、冒頭から印象的に語られるのは②について。
同志と思っていた人の裏切り、仲間を探しに行った先での疎外感、過去に受けた裏切りなどの歴史が語られます。性的マイノリティの間でも居場所を得て安心することが難しかった「陰キャ」の作者の呪詛が、かなり明け透けに語られる。この恨み節には性的マイノリティだけではなく、「陰キャ」同志も同調できると思います(私にも響いた)。
切ない思い出と「陰キャ」の為の恨み節は、実は意外と広い賛同を得られるのではないか。そしてそこをきっかけに、(性に限らない)多様性への理解と、そこへと開かれた表現の可能性も広がるのではないか、とも思うのです。
自らの性交渉について諦めている「レズビアンではない」作者が、戦前の「エス文学」に救いを求め、美しい百合御伽噺を創作した第9話は「百合」の本質を明瞭に解き明かしている。そしてそれは、何故マイノリティの為の物語が必要か、という事……潜在的読者がどれだけいるのか、という事への回答だと言えるでしょう。