美と実用の究極・日本刀

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人を殺すための道具、日本刀。
生殺与奪の究極の実用品にして美的な存在。
天下泰平の世を経て、武器としてよりも
侍の権威の象徴であり美的な存在になりつつあった日本刀が
幕末・維新の時代に武器として再評価された時代。
それは日本刀が最期の輝きを示した時代でもあった。
人を斬るために、命を守るために、
美の追求のために、金儲けのために、
様々な目的と思惑で日本刀が扱われた時代。
そんな時代に生まれた女性刀鍛冶師・お涼。
刀鍛冶師であった父が残した玉鋼・青玉砂の存在と
自身が刀を打つ意味、打ちたい刀の姿、
それらを自問自答しながらたどりついたのが
水の剣 火の刀水の剣 火の刀
お涼は、その刀を打てるのか?
悩むお涼を追い越すように時代は流れ動き、
人は生きて死んでいく。

人を殺すための...

実用的な道具が有する美があるなら、
その究極の存在とも言える日本刀。
だが、いかに美しくあろうが、それが
人斬り人斬り包丁」
であるなら意味が、価値があるのだろうか?
平和な令和ならいざ知らず、
手打ち、天誅、世直しなどと
勝手な名目で突然に刀で斬り殺されることもあった幕末に
それは身近かつ理不尽な日常日常の問題でもあった。
好きなだけで刀を打つには、
無視できない問題がすぐ近くにあった時代。
刀鍛冶師としては天才的な素質を有しながら
人間として女性として、
当たり前に未熟な若いお涼性が悩み苦んで
見出した結論が「水の剣 火の刀水の剣 火の刀
その刀は、単なる夢物語、理想像だったのだろうか。

実用的な道具が...

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