ビリヤードとヤクザが融合して弾ける稀有な人生ドラマにコメントする
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人気のコメント

名無し
1年以上前
かわぐちかいじ先生の作品の登場人物は 野生的なタイプと理知的なタイプがライバルとして 登場するパターンが多いような印象がある。 泥臭いタイプとスマートなタイプ、ともいえるかも。 「沈黙の艦隊」とか「ジバング」「バッテリー」など。 「獣のように」では 兄貴分の竜三が野生的タイプ、弟分の健次が理知的タイプ。 供に認め合い、馴れ合ってもいるような面もあるが、 互いの違いを理解しており尊重している感じ。 相手に、自分には無い物があることを認識しているというか。 そして竜三は健次を気遣い、 健次は竜三を慕い尊敬しつつも恐れつつ、 それでも近づき超えたいと思っているように感じた。 ビリヤードは基本的に相手を排除して生き残る競技だと思う。 対戦相手がともに勝利者になることはない。 どちらかはポケットに落とされる。 そして実力勝負ではあるがそれだけで落とされるほうが 決まるわけではない。 時により運や流れやその他の要素も絡んでくる。 しかしどちらかは確実に落とされる。 獣のようにでは、野生と理知のどちらが勝って どちらが優れているかという結論が描かれているかと 言えば、描かれているようで描かれていないと思う。 それはビリヤードが確実に勝者と敗者が決まりながら どこか強弱とか優劣が決まったとは言い難い競技で あることと、ヤクザ社会との類似のようにも感じる。 どちらかが落とされることも。
この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもあえて女性のリアルな部分を描きすぎない選択をしたのは、原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

獣のように(1)
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