3.11後の8.6
陰キャな男子高校生の主人公が修学旅行で広島に行った際に、1945年8月6日早朝の広島にタイムスリップしてしまうお話。 釜石に住んでいて被災してしまった祖母を持ち、東京で3.11を経験した主人公。広島に原爆が落とされる前後の時間を過ごしていく中で、自身の経験を通した彼の思考に読者も様々なことを思わされます。 原爆と大地震。異なる部分はありますが、個人の力など到底及ばないそれまでの日常を吹き飛ばしてしまう無慈悲な破壊であることは共通しています。そんな経験は、時代を多少隔てたとしても同じ人間として普遍。そうであるからこそ、主人公はヒロシマでできることがあるのではないかと試行錯誤していきます。そして、時に無力さに打ち拉がれます。もし自分だったらそこで何を思い、何をするだろうか。何ができて、何ができないだろうか。そんな考えをせずにはいられませんでした。 ヒロシマから3/4世紀、東日本大震災から8年経った今こそ大いなる戒めとして改めて読み、思考する価値のある一冊です。
子供の頃、広島に住んでいて、原爆や戦争に関する授業はたくさん受けてきた。
当時の感覚は分からないまでも、広島に住んでいる人から語られる話はとても強く、嫌というほどに擦り込まれてきた。
通っていた小学校は全ての教室の本棚に『はだしのゲン』が置いてあり、雨の日に少しずつ読み進めていた。
読むたびに冬だろうが手汗をかき、夏だろうが血が冷えるようだった。
とにかく恐ろしく、こんなことは二度と繰り返してはならない、誰にも経験させてはならないと強く思った。
そして、この漫画である。
まさか、現代の原爆資料館から原爆投下されるその日にタイムスリップしてしまう主人公。
それを考えただけでもう恐ろしすぎる。
主人公にとってあまりに突然のことでリアリティが希薄なのかわりと平然としていて、ほんとに?と思うが、そうか、生きるのに必死なのかもしれない。
ダメだ、読むのがつらい。
と思うものの、どういう話に落としどころを持っていくのか行く末を見守りたい気持ちとせめぎ合う。
戦争を、原爆の辛さを机上で知っている主人公が現場で何を見出すのか。
現代の人にとっては3.11の記憶がいまだに鮮烈に残っているはずなので、状況が違うとはいえ、その記憶と3.11当時の感覚を上手く利用してその恐ろしさを伝えようとしてくれている。
彼は現代に帰れるのか。
この経験を経て何を志すのか。
我々は、決して忘れてはならない。これが何を意味するのか改めて考え、伝え引き継いでいかなければならないのだ。
風化させてはならない。
デリケートな原爆や3.11のことを扱うことで批判するひとは出てくるだろうけど挫けず最後まで描ききって欲しい。