誰にでもいつか“目覚め”の刻が来る……!!! 果てしなく続く、穏やかで退屈な中学生活。それは、いつまでも変わらないはずだった──。あいつに出会うまでは……!!
桜の花びら、音楽、そして嘘。君と出逢った日から世界は変わる――母の死をきっかけにピアノを弾かなくなった、元・天才少年ピアニスト有馬公生(ありま・こうせい)。目標もなく過ごす彼の日常は、モノトーンのように色が無い……だが、友人の付き添いで行ったデートが、少年の暗い運命を変える。性格最低、暴力上等、そして才能豊かなヴァイオリニスト……少女・宮園(みやぞの)かをりと出逢った日から、有馬公生の日常は色付き始める!!胸を打つ青春ラブストーリー!!
津軽三味線を背負い、単身、青森から東京へやってきた津軽三味線奏者・澤村雪(さわむら・せつ)。師でもあった祖父を亡くし、自分の弾くべき音を見失ってしまった雪だが、様々な人と出逢いながら今、自らの音を探す旅を始める。――「赤ちゃんと僕」「しゃにむにGO」羅川真里茂(らがわ・まりも)が贈る、今一番アツい津軽三味線×青春ストーリー!!
【※電子版KC全巻 新デザインで登場! サブタイトルは『和歌のお嬢様、ラップはじめました。』屈強なラッパーにも立ち向かう可憐なお嬢様の物語。女性読者にもおすすめのタイトルです!!】『capeta』『昴』、天才を描き続ける曽田正人が新たに臨む舞台は、”ラップバトル”! 言葉を武器に少女は戦う!去年栞は名門女子高に通う15歳。清潔で窮屈なしおりの毎日は、ある日を境に一変する。同級生・ミキとの縁で足を踏み入れた渋谷のクラブ。そこで出会ったのは、言葉を武器に戦う「フリースタイルラップバトル」の世界だった!!
「月刊少年マガジン」が送る巨弾新連載!吹奏楽×青春ストーリー開演! 「息が合う」という言葉は、吹奏楽のためにある。プロのトランペット奏者を父に持ち、吹奏楽を愛する少年・宇宙零(たかおきれい)。しかし、気持ちに反し、ぜん息を患う体が、彼のトランペット奏者になる夢を阻んだ。夢を諦め、吹奏楽部のない高校に進学した零。そこで出会ったのは、創部したての吹奏楽部と自由なトランペット吹き星野水音(ほしのみお)。彼女に“吹奏楽好き”を見抜かれた零は、入部を誘われるが…。
数年ぶりにハロルド作石の『BECK』を通して読んだら、もういい歳のくせに、ページをめくるそのたびに泣き腫らしてしまった。まだ青春時代と呼ばれる十代の頃、自分も『BECK』を読んでそう思うまでもなく、すでに社会の爪弾き者として、自身のインスピレーションに従って生きて行くしかないと心に誓ったものだったのが、いつしか歳を重ね、つまらない反骨精神だけは相変わらずだが、そのいっぽうでは自身は社会によっても生かされていると思うほどには大人になった。ようするにある程度の分別がついたのである。いまだに社会人などいう言葉には虫唾が走るが、ふいに気がついてみれば、あの頃にはあんなにも嫌悪していた社会の構成員としての大人になっている自分がいる、そんなつもりはなくても税金を払ったり健康保険の恩恵に授かったりしている自分がいる。 つまらない話になった。単に『BECK』のように徹底的に社会の爪弾き者となり、次々と難題が降りかかり、追い詰められ、尚且つそれらを乗り越えてゆくというのはマンガだからこそ起きうる事態であり、だいたいどんなに非市民的に見える人間であっても実は社会と地続きに繋がっているという意味で凡庸さからは抜き出ていないということである。もっとつまらない話になってしまった。嗚呼、マンガとは所詮嘘いつわりの虚構ではないか、夢もへったくりもあったもんじゃない、死のうかな。とでもなりそうなものだが、まだ死んでいないのは、数年ぶりにハロルド作石の『BECK』を通して読んだら、もういい歳のくせに、ページをめくるそのたびに泣き腫らしてしまうほど感動したからに他ならない。 なんか言ってることが矛盾してるんとちゃいますか、と死亡遊戯の金本くんばりの関西弁で言われてしまいそうだが、はい、その通りです、と頷くほかもない。じっさい『BECK』ほど嘘くさい話もないというか、あたかもマンガのように次々と問題が降りかかり、どうにか乗り越えたと思ったら、もっと大きな問題にぶち当たり、それら問題-解決は回を追うごとにどんどん雪だるま式に大きく膨れあがり、とうとうコユキはスターにまでのぼりつめる。そこで、ああ嘘くさい! 言い切ることができるのなら今すぐにでも自殺して楽になれるのだが、そうはならないのは『BECK』というマンガがめぐる季節の内部にあるからではないのか、という仮説が立つ。とりわけこのマンガは夏という季節から始まり夏という季節で終わる、すなわちこのマンガは夏という季節の内部にある。だいたい音楽マンガであるくせに、ライブハウスとかスタジオのコマなんかよりも釣り堀とかプールとかコインランドリーとか夏の一部を切り取るようなコマが多すぎはしないか。そして何よりも、あの夏の、膨張して怪物のように膨らんだ白い雲。それが問題-解決的なものの契機のたびに大きなコマで挿入される。だいたい雲というのは気体であるくせに、なんであの夏の雲というやつはくっきりとした輪郭をもっているように見えるのか、それこそ、ずいぶんと嘘くさい話ではないか。 私たちは誰もが皆めぐる季節の内部にいるが、その内部にいればこそ真偽の答えは常にその外部にしかない。とりわけ夏休みという季節がそうで、夏休みのあいだはすべてのことが何がなんだかわからないのが常である。そして夏が過ぎてから、そこに夏があったということを、さながら夢でも見ていたように悟る。季節はめぐり、夢は募る。あの夏の雲を見上げるたびに、私たちはまるで嘘のような夢に魅入られたひとだと気づく。