まだ、生きてる…

死んだ気になれば生きることぐらいはなんとかなる

まだ、生きてる… 本宮ひろ志
マウナケア
マウナケア

リストラされたサラリーマンの末路を描く、本宮ひろ志作品にしては珍しい内容の作品。職を失くし、家族には捨てられ、生きる希望をもてなくなった岡田憲三。失意のまま首を吊ろうと山に入るが失敗、そこでなにかふっきれてしまいサバイバル生活へ、というやけくそになった男の人生が描かれます。人の世話にならず、ただ食って生きていく、そう決めた男は強いです。明らかに眼つきも変わり、イノシシと格闘し怪我をしても医者の世話にならず、小屋も立て畑まで開墾してしまうってんですから。そんな生活をしながらも、決して文明や人間性否定という方向にいかない、というのも”ただ生きる”という意味で妙にリアル。火をつけるのにはライターを使うし、捕まえたイノシシを殺さなかったり、と単なる破天荒なサバイバルおやじになっていないのがいいです。で、私は思いましたね。人間、開き直ることって大切なんだな、と。死んだ気になれば生きることぐらいはなんとかなると。後ろ向きなタイトルだと思いましたが、年の瀬のアントニオ猪木の言葉と同じぐらい、その内容に勇気づけられました。

緑の黙示録

植物から“人間”という存在そのものを考えさせられる

緑の黙示録 岡崎二郎
名無し

手塚治虫や藤子不二雄、少女マンガの諸作品を読んでいて思うのは、昔は本当に短編マンガが多かったなあということです。そのどれもに鋭くきらめくようなアイディアがあって、それが短いページ数でドラマチックに展開してハッとする落ちそして、いつまでも記憶に残る読後感がそこに生まれます。手塚治虫作品でいえば「ドオベルマン」、藤子・F・不二雄作品なら「カンビュセスの籤」に「ノスタル爺」。大友克洋作品で「宇宙パトロール・シゲマ」。諸星大二郎作品なら「感情のある風景」と、どの作品も、読んだその日の情景まで思い出させるほど、記憶に強く残っています。  そういえば、『ブラック・ジャック』『MASTERキートン』のようなオムニバスの作品も減ってきたイメージ。短編マンガは、現代のマンガ状況では完全に日陰者のようです。  そんな今でもショートショートのような味わいの短編を数多く発表しているのが岡崎二郎という漫画家です。代表シリーズの『アフター0』は、これはもう完全に星新一ショートショートの世界。一編一編新しいアイディアのつまった短編がこれでもかと並んでいてとても贅沢な作品群となっております。その後、発表された作品は完全に短編という形ではないものの、やはり連作短編形式のものが多く、一話一話できちんと完結し、独特な読後感を残す作品ばかりです。  僕が特に好きなのは『緑の黙示録』です。樹木と心を通い合わすことができる少女・山之辺美由の4編の物語です。  山之辺美由の能力は超常的なものですが、そこから起きる事件に関しては科学的な説明がなされるというのも面白いです。「第一話 ウパス」では温室で育てられたウパスという木の下で人が死んでいたという事件に山之辺美由が関わるという筋書きです。もともとウパスは矢毒につかわれるような毒を持つ木ではあるのですが、原因がわからない。そこで美由が自分の能力で事件の真相に近づこうとします…。  岡崎二郎作品の魅力はこういった科学的なワンダーが全て人間につながって行くことです。恐竜や宇宙や動物や植物といった人間以外を題材にしていながら、そこから“人間”という存在そのものを考えさせられる、そのダイナミックな読後感にいつもぼーっとなってしまうのです。

山賊ダイアリー リアル猟師奮闘記

的確に 狩猟の世界を描いている漫画

山賊ダイアリー リアル猟師奮闘記 岡本健太郎
名無し

小さい頃から、やることなすこと漫画に影響されて生きてきたと自負しておりますが、30歳にもなってもその性分が抜けていませんでした。この『山賊ダイアリー』を読んで、妙なテンションになってしまった私は、突発的に狩猟免許を取ろうと志し、現在、試験の結果待ちという状況です。  『山賊ダイアリー』のなにがそんなにも私の心を動かしたのか。それは、鳥・狩猟をし、それを捌いて調理し、おいしくいただくという、猟師の日常に対する、とてもシンプルな憧れです。『山賊ダイアリー』はダイアリーという通り、作者である岡本健太郎の猟師としての日常を描いています。仲間と獲物を探したり、罠を仕掛けたり、先輩猟師からおすそ分けしてもらってり…そんな出来事が淡々として描かれているのですが、狩猟とは縁遠い人間にはそのどれもが新鮮に映ります。  よくよく考えてみれば、狩猟という文化も間違いなく日本の文化の一部で、2~3代遡ればもっと身近なものだったのに、今はとても遠くのものにあるように感じます。実際、狩猟について色々調べてみましたが、やはり銃を持つということは大変に難しいということがわかりました。そりゃそうです。人口の大部分が熊害も鹿害も猪害も無関係な都市に住んでいる現在、市民生活を脅かすおそれのある銃を許可する必要があるのかということですから。  それでも、この『山賊ダイアリー』に描かれている「DIY【Do It Yourself】精神」には自分の日常を変えるきっかけになるのではないかと思います。

コスモス楽園記

マタタビドングリアンパン

コスモス楽園記 ますむらひろし
名無し

どこか遠くに、遥か遠くに逃散したいというのは、金持っていようが彼女がいようが、誰もが持つ願望ではないでしょうか。僕が想像するどこか遠くは『コスモス楽園記』のロバス島のイメージです。  作者のますむらひろしといえば、ヨネザアドという物言う猫と人が共存する世界を描いた「アタゴオルシリーズ」が有名です。『コスモス楽園記』も等身大の猫がでてきますが、舞台は現代日本となっております。  主人公は番組制作会社に勤める藤田光介という青年。「秘島探検シリーズ」という番組の下調べのため、無人島であるロバス島に単身向かった光介は、そこで二足歩行の猫による街を見つけてしまうのです。驚き戸惑う光介は、“マタタビドングリアンパン”という、島でご禁制のブツを楽しんでいた文太という猫に出会い、猫の社会に入りこんでいきます。ロバス島の掟で、人間社会にもどれなくなってしまった光介は、人と同じようだけど、どこか異なる猫たちの文化を目撃していきます。  巨大迷路を抜けないと診てくれない「迷路医者」、すべてのオキアミの救済を祈る「オキアミ教」、ゴッホの絵画にでてくる建物そのままを設計するジプレッション氏など、人間の文化を下敷きにしながらも、猫達の文化は独自に発展しているのです。  猫達がなぜ、このような文化を築くことになったのか、その創造主は誰なのかという問題に対して物語はハードに展開していきます。が、基本的に南国雰囲気なロバス島の和やかな日常が描かれています。  椰子の木に囲まれた露天風呂に入りながら寿司を食べたり、谷川の水で沈んだ街の底にある、潜水具をつけて行く床屋、海に沈んだ幻の酒・ジョジマアルを飲む昼下がり…。現実には体験できないけれど、自分がそこにいるような気持ちにさせてくれる、そんな不思議な漫画なのです。もし、漫画の中に入れるのなら、僕は間違いなく『コスモス楽園記』を選びます。

日々にパノラマ

とてつもなく心地良い箱庭世界

日々にパノラマ 竹本泉
名無し

よく言われるネタではありますが、私も学生時代に竹本泉が男か女か問題で友人と喧嘩しました。「こんな可愛い作品を描く人が女性じゃないなら…俺はもう何を信じたらいいかわからない…」と言っていた友人は、今でも独身です。  確かに、竹本泉先生が描く絵は可愛らしく、ストーリーものほほんとしたものばかり。だけど少女漫画のような乙女チックすぎて引いてしまうこともなしし、オタク系漫画のような萌えすぎて引いてしまうこともない、オトナになりきれないオトコへの絶妙な浸透圧がある気がします。  『日々にパノラマ』は竹本泉作品でもよく登場する、火山島が舞台。一応、東京の一部という設定です。一応の主人公は小南智尋という中学生の女の子。彼女が塔上洋太や転入してきた大原深海(ふかみ)たちと、浜で泳いだり、ボートにのったり、イルカと遊んだり、島の遺跡をめぐったり、台風にあったり、うじゃうじゃしたり。恋愛要素もなくはないですが、とても薄っすらとしています。  誤解を恐れずに言えば、これだけストーリーのない作品もないのです(竹本泉作品は全てそうですが)。なにかのイベントがあって物語が動くのではなく、箱庭世界をただのぞくような、そんな感じです。その箱庭世界がとてつもなく心地良いのです。ある意味ゲームの『ザ・シムズ』に近いような気がします、キャラクターを含めた世界観がしっかりと存在していて、キャラクターの目線で語られる様々な日常が、確実に俺を癒やすのです。

神々の山嶺

「これしかない人生」を歩む

神々の山嶺 谷口ジロー 夢枕獏
名無し

僕の地元・長野県には、中学校集団登山という拷問のようなイベントがありました。一学年240人がみんなで3000m級の山に挑むという荒行です。しかも、登る予定の山で起きた遭難事故を描いた新田次郎の「聖職の碑」の映画版を見せられるという、嫌がらせとしか言いようのないオマケもついていました。とはいえ、このイベントで山に目覚めた人もいないわけではなく、それなりに意味のある行事な気もします。僕は下山中に便意に襲われ、6時間死ぬ思いで我慢するという、これまでの人生で一番の苦行を味わったので、二度と山には登らないと決めています。  とはいえ、山ものの作品を読むと、山もいいかもしれないと思ってしまうのです。『神々の山嶺』は数多い名作を生み出し、海外でも評価の高い谷口ジローのまさに最高峰だと思っております。   『神々の山嶺』には羽生丈二という一人のクライマーの姿が、カメラマンの深町誠の視点から描かれます。  この羽生丈二、初登場シーンから圧倒されます。「その時…むっと獣の臭いが店内にたちこめたような気がした」。この存在感がどこからくるのか、深町は彼の過去を調べていくのです。  羽生を関係してきた様々な人に取材していくうちに、彼の孤高としか言いようのない半生が明らかになっていきます。  羽生は可愛げのない、根性はあっても鈍重で無口な男でしたが、クライマーとしては抜群の才能を発揮。しかし、全てを山に集中する羽生は、普通の生活を送る人間と温度差がうまれ、山岳会でも孤立していきます。誰もが登れなかった壁を登り、山岳界の話題をさらうものの、羽生自信は不遇のまま。海外の山に挑戦することができません。  誰よりも山を想っているのに資金や人脈や名声がないだけで、挑戦できない苦しみを味わい、自分を慕う人間の死があり、やがて羽生は自分から孤立していきます。そして消息を断った羽生がなぜカトマンズにいたのか?彼がなにをしようとするのか、物語は加速していきます。  羽生の姿は、新田次郎の小説ではないですが、まさに「孤高の人」なのです。孤高の人は、人の共感は求めません。自分でも言葉にできない衝動に突き動かされるまま、「これしかない人生」を送るのです。  羽生はいいます「いいか。山屋は山に登るから山屋なんだ。だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!!」また、なぜ山に登るのかという問にこう答えます。「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」  「これしかない人生」を送る男の寂しさと美しが同時に描かれ、僕もこのような生き方に強く憧れるのです。  いや、既に僕は僕にとっての「これしかない人生」を歩んでいるかもしれない。この、マンガとゲームにあふれた人生は。

いそあそび

楽しく食べて、ほのかに感じて 田舎の海岸の中学生日記

いそあそび 佐藤宏海
名無し

題名を見て 「海って楽しいよ!」「海はいいところだよ!」 という感じのマリン・レジャー漫画かと思って読み始めた。 だが冒頭から出刃包丁を棒の先につけた銛で 魚を狙っていて、あれ、違うみたい、と思った。 更に、あからさまに漁業権無視のサザエ獲りとか始めたので あーこりゃ中途半端なダメなサバイバル漫画かと思った。 ソレも違った。 そのへんは話の導入部、伏線的な展開だった。 父親が事業に失敗し、海岸沿いの田舎で 一人暮らしをすることになった少女。 半自給自足的な生活をせざるを得ず、 海に入って食材を狙うが上手く行かない。 そこに地元の中学生男子との出会いがあって・・ 当初は海の食材の採り方や料理の仕方が中心で、 レジャーとしての捕獲・採取が楽しい、とかの 描写はあまりなかった。 食材ゲット!腹が満たせる、嬉しい! という感じはあっても。 「いそあそび」というより「いそごはん」 という感じがした。 だが、ほとんど常に腹ペコ状態の少女も 意外とタフで前向きなキャラだったりするので 悲壮感とか貧乏くささはあまり感じない。 それでいて食材をゲットしたときには とても嬉しそうな笑顔や仕草を見せる。 なので、「海って楽しいよ!」と ストレートな展開の話で見せられるよりも、 一周回った上で「海って楽しいところなんだな」 と感じさせられた。 サバイバルというほどの厳しい狩猟を行うわけではない。 我を忘れて没頭するほど楽しい遊びをするわけでもない。 海沿いの田舎の集落での生活を、都会暮らしより素晴らしいと 主張しているわけでもない。 友達止まりで恋とか愛にはほど遠い中学生な夏。 面白くは描いているが、それを絶賛しているわけでもない。 海がある集落の生活だから、 食べることとか遊びとか、生活の殆ど全てに海が関わるんだよね、 という感じの、 一見は奇抜な設定のようで、結構色んな部分で 自然体の中学生の海岸物語だ。