スポーツマンガの感想・レビュー1565件<<3031323334>>攻撃のない野球 ~その涙のゆくえ~甲子園の空に笑え! 川原泉影絵が趣味2018年の夏の甲子園といえば、金農旋風が世を席巻しましたが、農業高校が9人の固定メンバーで県予選から甲子園の決勝まで勝ち進んだことが、川原泉の『甲子園の空に笑え!』とまったく同じだと密かに話題になっていました。偶然って、本当におそろしいですね。まさか、川原泉も自分の描いた嘘でたらめのようなマンガの物語が現実に起ころうとは夢にも思わなかったことでしょう。決勝戦で春も制した優勝候補の大本命に負けてしまうところまで同じですからね。 さて、この季節になると、もともとが涙もろい性格なのに、それにさらに拍車がかかります。今年は春夏ともに甲子園はありませんでしたけど、それでも、地方大会や交流試合の中継をみて涙をこぼしてしまう。それだけでは済まなくて、ネットのニュース記事を読んだだけで泣けてきてしまうから困ったものです。それで、まあ、『甲子園の空に笑え!』を読んだら、これまたボロボロに泣いてしまい、今に至るというわけです。こんなに泣けてしまって、自分ってもしかして何かの病気なのかなって思い立ち、色々と調べはじめるぐらいですからね。悲しくて泣いたことっていうのは、たぶん人生で一度もなくて、何かを美しいと思ったときとか、人の懸命な頑張りの軌跡みたいなものを感じとったときにとにかく弱い。つまり、受け身で泣くということはなくて、自分がそこに何かを見出したときに涙が出るみたいなんです。じゃあ、そこに何を見出したのかといって、球児たちの美しさを見出しましたなんていまさら言えるはずもなく、仕方がないので人が泣くことについて調べてみる。 ふむふむ、近年の心理学的見地では「無力感の認知」と泣くことの関連性が言われているらしい。例えば、人が予期せぬ朗報を受け取った時に泣くのは、表向きには、起こっている事態に対して無力である、影響を与えることができないと感じるためである、と。 閑話休題。 野球というスポーツの特異点は、まず何と言っても攻撃と守備の時間が明確に分かれている点にあると思います。攻撃と守備がまったく無関係に独立している、とまでは言いませんが、ルールの上では無関係に徹している。表と裏と言いますけども、表裏一体なんて言葉もありますけども、野球にかぎっては表裏がたがいに独立している。もっといえば、表と裏をひとつの単位にした回というものも、1回から9回までそれぞれに独立しています。三者凡退の回もあれば、ビッグイニングの回もある。さらにもっといえば、各バッターの打席ごとに独立していますし、ピッチャーの投げる一球ごとに独立しています。こうしたひとつびとつのプレイには全て判定があり、名前が付けられています。ストライク/ボール、アウト/セーフ、三振/四球/死球、犠打/単打/長打/本塁打、盗塁/盗塁刺、刺殺/併殺/失策/捕逸、挙げていけばきりがないですね。もちろん記録に残らないプレイというのもあるにはあるんですけども、基本的には全てのプレイに名前があり、記録として残されます。こうしたプレイのひとつびとつが一回一回を進め、野球という時間をつくっていきます。ここらへんがサッカーやバスケといったスポーツと大きく異なる点で、野球は時間のなかで行われるのではなく、ひとつびとつのプレイが野球という時間をつくってゆく。プロ野球のナイターでは、18時に始まって、24時過ぎに終わった試合まであるそうですからね、なんと6時間! ちなみに最短は55分だそうです、短! ちょっと話が逸れましたが、野球というスポーツは、ひとつびとつのプレイ、ひとつびとつに名前があって、それぞれに独立しているプレイのひとつびとつが時間をつくってゆく、尚且つ、それらは記録として残される。良い記録も、悪い記録も、勝敗を分ける点数に結びつく記録も、結びつかない記録も、それぞれに独立していて、それら全てに名前があり、記録として残されるのです。 これは野球にかぎった話ではありませんが、よく失敗を挽回するなんてことが言われます。でも、どんなに次の機会に頑張ったとしても、失敗は失敗としてそこにあるわけで、あったことを無かったことにはできません。失敗は失敗としてあり、挽回は挽回としてあり、それらは表裏一体のような体をなしておらず、あくまでも、それぞれに無関係に独立していると思います。こういった考えは残酷と思われるかもしれませんが、あったことを無かったことにできるというのなら、その逆もまた然りというわけで、成功もまた失敗によって無かったことになってしまう。そんなことが許されますか、めっちゃ頑張っていい球を投げられるようになったのに、たった一球の失投をホームランにされて、それまでの好投は無かったことになる、そんなことが許されてたまるもんですか。でも、試合は試合ですし、相手だってこの一球を逃さないための練習を重ねてきていたからのホームランです。 コロナで春のセンバツが中止になったとき、頻りに救済案ということが言われました。結果として春夏ともに甲子園大会は中止になりましたけど、仮になにか救済案があったとして、それでもセンバツを戦えなかった選手たちの無念は残ると思うんです。救済は救済としてあるかもしれない、でも、それは選手たちの無念とは無関係にすれ違ったままだと思うんです。数学ではマイナス1にプラス1をすれば0になりますけど、人の心はそんなふうにはできていなくて、マイナス1も、プラス1も、ともにそこに変わらずにあり続けると思うんです。 ある意味でこのことは、いっぽうからしてみれば、もういっぽうに影響を及ぼすことができない「無力感の認知」ということにもなり得ます。とくに攻撃と守備が相互に独立している野球というスポーツにおいて、この「無力感の認知」はよりいっそう顕在化されると思います。夏の甲子園の球史に深く刻まれた一試合に「日本文理の夏はまだ終わらない」でよく知られる、中京大中京vs日本文理の決勝戦があります。10-4と大差をつけられた日本文理が9回裏二死から怒涛の追い上げで1点差まで詰め寄ったところで、最後の快音が三塁手のグローブに吸い込まれて終わるのですが、負けた日本文理は負けたのに晴れやかな顔をしていて、勝った中京が悲愴な顔をしている。しかも、優勝インタビューを受けた四番でピッチャーの堂林が帽子で顔を隠して泣いているんです、ほんとうに情けなくて悔しいです、と。このことを書きながら自分もまた泣いてしまっているんですけど、この試合で堂林はホームランを含めた三安打で得点のほとんどに絡んでいるのにもかかわらず、9回裏の情けない自分を悔いて泣いているんです。しかも、10点をとられて負けた日本文理のピッチャーの伊藤、9回裏二死が続いて、なんということか偶然にも彼の打席で満塁となり、三遊間を破るヒットで走者を二人還して二点差まで詰め寄ります。このとき、二塁まで到達した伊藤のガッツポーズもまた忘れられない、さらに次の代打のヒットで伊藤はホームベースを踏んでついに一点差まで! また、このことを書きながらボロボロに泣いてしまっているんですけど。 そして、広岡監督の率いる豆の木高校は守備のチームです。というのも、赴任してきた広岡先生はドライでクールな生物の教師として、何故かやりたくもない野球部の監督を押し付けられ、そもそも汗と涙の高校野球なんてキモチワルイとすら思っている。それで、まあ、ストレス発散にノックで生徒たちをいびっていたら、いつのまにかチームの守備力が向上していたという能天気ぶりなんですけど、そんなドライでクールな広岡先生が不純な動機とは無関係にいつのまにか高校野球にのめりこんでいくんですよ。 守備だけをひたすら鍛えたチームですから、点なんかとれやしない。広岡監督は選手たちに言います「うちのとりえは守備だけなんだから、たとえこっちが0点でも、相手に一点もやらなけりゃ、少なくとも負けることはないのさ」そして、自分自身にも心の中で言うのです「そーだ、守るんだ、それしか生きる道はない」。となれば、攻撃はもはや神頼みしかない、祈ることしかできないわけです。まさに自分たちの守備に誇りを抱いて、人事を尽くして天命を待つですよ。 ところで、甲子園交流試合の鶴岡東5-3日本航空石川では、5-3の9回裏、追いかける航空石川が2アウト1・2塁と逆転のチャンスをつくって、勝利目前の鶴岡東は最後の打者を打ちとったと思ったんですが、それまで投手のピンチを何度も救ってきた遊撃手がエラーしてしまい、満塁の大ピンチを招いてしまいます。結果としては次のセカンドの好守備に助けられて鶴岡東が逃げ切ったんですけど、自分があの遊撃手なら高校最後のエラーを忘れられないと思うんです。だからといって高校最後の試合を勝利でおさめたことが消えてなくなるわけでもない。どちらとも、ともに、それぞれに無関係に独立にして、そこにあり続けると思うんです。 それはちょうど、恋人にフラれてしまっても、かつて恋人と過ごしたきらきらした日々が消えてなくなることのないように、いつか見た川のせせらぎのきらきらが消えてなくなることのないように、全てのあったことは、ネガティブなことでも、ポジティブなことでも、どちらでもないことでも、あったこととして、そこに変わらずにあり続けると思うんです。自分さえそう信じていれば。 思えば、人生なんてどんな人でも負け戦だと思います。あの清原が見事に体現してくれているように、裕福な家に生まれようが生まれまいが、才能があろうがなかろうが、努力で這い上がろうが這い上がるまいが、多かれ少なかれどんな人生もひとしく負け戦だと思います。攻撃のない野球みたいなものです。誰も彼もボコスカに打たれまくって肩で息をしているピッチャーみたいなものだと思います。攻撃のない野球ですから、どんなに上手く守ってもゼロ、最高のパフォーマンスを発揮してもゼロ、ゼロじゃあ試合には勝てません。たぶん、生きるということは大洪水の川のなかにいるのにひとしくて、流されないように辛抱するのがせいぜいで、進むことなんてできやしない。でも、それでも、と信じさえすれば、守備とは無関係のどこかできっと攻撃が繰り広げられていると思うんです。どんなに清原が落ちぶれようとも、かつて清原が打ったホームランは消えてなくならないように、かつて清原が日本シリーズで流した涙がぜったいに消えてなくならないように。 豆の木高校の豆っ子たちが点をとれなくてもあの手この手で(自分たちの手には負えないやり方で、でも、守備だけは懸命に頑張った!)決勝まで勝ち進んだように、今日もどこかで日本文理の終わらない夏が9回裏の奇跡のような猛攻をどこかで繰り広げていると思うんです、すくなくとも自分がそう信じさえすれば!!!! キャラが立ってて読みやすいHANAGATA こやす珠世名無しロシア育ちでバレエをやっていたという主人公は精悍な顔立ちの気が強い青年なんだけど、母から日本語を覚えたため喋り方が女っぽい…というキャラのパンチがすごくよかった。 面白いかって言われるとうーんって感じなんだけど、とにかくキャラがよくて歌舞伎の描写もリアルで重厚で読み応えがあった。全ての道は「おひ釣りさま」に通ずおひ釣りさま とうじたつや名無し上条星羅(カミジョウセイラ)は才色兼備の24歳独身OL。 趣味は釣り。それも徹底して一人での釣行に拘っている。 求道者レベルで釣りに打ちこみ楽しんでいる。 あらゆる物事が釣りを連想させ、釣行に走ってしまう。 しかしセイラさんは孤高の「おひ釣りさま」ではあるが、 けして単なる釣りバカとか釣りオタクではないと思うし、 そこが面白い。 実は釣り以外の趣味や娯楽にも精通していそうだと、 いや下手をすればそれぞれの趣味のマニアよりも 詳しいのではと、そう思わせるフシがチョイチョイあるのだ。 例えばナマズ釣りの面白さを、ミュージカル観劇で 感じる面白さと比較して例えたり、 釣りのアワセの醍醐味を野球での豪球豪打に例えたり、 微妙なニュアンスではあるが、他ジャンルの面白さも 色々と尊重しつつも釣りをもっとリスペクトしてくる。 普通の人は広島カープファンの応援スタイルとか知らんし、 釣りと結びつけて考えたりしないし、とも思うが(笑) どこをどうやったら24歳のOLがあらゆるジャンルの 面白さにそこまで精通してしまうんだよ、 しかもそれでも釣りの面白さが一番なのかよ、と あきれてしまう。 そういう意味でセイラさんは孤高で面白くてスーパーな 「おひ釣りさま」だと思う。 抱えてるものが大き過ぎる青春体操漫画空のキャンバス 今泉伸二名無し※ネタバレを含むクチコミです。 灼熱カバディ、アニメ化決まったから改めてプレゼン書きます灼熱カバディ 武蔵野創のれん雛テレビアニメ化も決まって、好評‼︎!&好調!‼︎ いつも最新話には予想外の面白さで驚かされてばかりです。 https://youtu.be/J_v6bG-ZUGk 改めてマイナースポーツ「カバディ」を題材とし、迫力ある作画&抜群のストーリーで読者を魅了する熱い王道スポーツ漫画、灼熱カバディのクチコミを書きます。 灼熱カバディの魅力を伝えたい!と思って過去にマンバさん主催のプレゼン大会に2回参加しました。その内容の一部を書きたいと思います。 【参考】 マンバプレゼン大会レポート2018年↓ https://note.com/manba/n/n36cdf65aa204 マンバプレゼン大会レポート 2019年↓ https://note.com/manba/n/ncc6660ba71c4 灼熱カバディの魅力として、 ①キャラクターがとても良い‼︎ ②高い共感性のある台詞が多い‼︎ ③誰かが誰かに影響を与える人間模様が凄い‼︎ を重点的にプレゼンしました。 ①キャラクターがとても良い‼︎は、 まず主人公である宵越君がとても良いキャラクターであると思います。 そもそも彼は最初カバディを知らずに、カバディを馬鹿にしております。カバディを好きな人にとっては敵のような存在が主人公なのです。 99%の読者もカバディのことをよく分かってないと思います。そのカバディを馬鹿にしている宵越君視点だからこそ知っていくのは新鮮で、読者は宵越君と一緒にカバディを理解でき、カバディの奥深さを知る要因になってると思います。 宵越君自身も一見斜に構えた態度をしてるキャラクターなのですが、いちいち笑ってしまうネタを沢山持ち、負けず嫌いと勝ちへの執着、その最善を尽くす姿は大好きになってしまいます! ②高い共感性はとてもあります。 どの話も素晴らしく、マンガや推しを愛したことがある人なら、ヒロ君の「すげー選手が見たけりゃ金を払うし、遠くにだって足を運ぶ。労力を使うモンだろ。」に共感を抱くと思います。みんなお金を払ってますし、労力を使ってますから!! また、最近個人的に面白いと思った話が名もなきキャラクターの視点回でした。この回で、数多くの読者が自分がした部活動を思い出し、思い出を語りました。 自分の経験がダイレクトに響く作品を読めるのは凄いと思いますし、面白いと思ったのは作者である武蔵野先生はインタビューで「熱い部活動とは無縁」と答えているのです。ビビりました…。 【参考】↓ https://comics.shogakukan.co.jp/news/11965 無縁であっても刺さる人(懸命に打ち込んだ人)に刺さる話を作れて、同じく熱い部活動に無縁の私もその物語を楽しめて嬉しいです。 ③誰かが誰かに影響を与える人間模様が凄い‼︎ これは誰と誰をピックアップしても多いと思います。同じ学年同士や先輩後輩だけではなく、「え?そこから?」とあったり、驚かされます。でも、まるで必然であったかのようにシックリ来るのです。変化を与え化学反応を起こす展開には鳥肌が立ちます。 この話をする時に、私は中心的にライバル校であり、2位の実力を持つ英峰高校3年主将神畑さんと、主人公高校の能京高校1年関君の話を出します。 カバディにはルールの一つに体重制限があり、減量に苦しめられている関君の話があります。同じく2m3cm高身長故に減量に苦しめられている神畑さんと関君は合宿編で話す機会があります。 合宿編で関君は神畑さんの仲間を想う「かっこいいところ」や試合で「汗もかけずに命を燃やす」姿を見ることになります。関君が減量に成功した描写は体型でわかるほど小さな描写でしたが、神畑さんの影響あって、成功したと自然にわかります。 また、大会で関君が活躍した時に、強敵との死力の闘いで思い出したのは神畑さんというのが、とても熱く、この描写は是非本編で読んでくれ!!!!!と叫びたくなります。 関君の台詞ひとつひとつに神畑さんのリスペクトがあり、最高です。 そして、これはほんの一つの例であり、もっと沢山の人間模様が展開されております。 以上、3つに絞ってプレゼンしましたが、まだまだ書き足りないことは沢山あります! 漫画としての面白さはもちろん、魅力的なキャラクター、夢中になるストーリー、驚かされる積み重ね、「どーやって勝ち上がるんだよ…」という強敵&絶望、納得できる展開、読了後の高揚感、数々の小ネタ、全てが詰まってる漫画、灼熱カバディです。 アニメがとても楽しみですね!!小山ゆうの素晴らしさが凝縮されている短編集小山ゆう短編集 小山ゆうマンガトリツカレ男これに掲載されている「ワシとタカ」と「メーンエベント」はマジで何回読んでもいい。 「ワシとタカ」はタカはたった一人で亡き父親の教えを守り男らしい真の男になるため悪を倒す。悪といっても「タカ」が一方的に決めているの悪かどうかも怪しい。それに対抗して「ワシ」が同じようにタカの真似を続けるがこちらは悪かどうかの判別するしていない。ただ「タカ」に対抗したいだけで行動をする。 最終的に「タカ」と「ワシ」は大げんかをし「ワシ」の引越しにより別れることになるがこの二人だけにしか理解できない友情が書かれてむちゃくちゃ好き 「メーンエベント」はボクシングが題材だが「がんばれ元気」みたいな内容ではないし、おまけに主人公のボクシングの試合すらない。今日が引退試合の主人公にフォーカスを当てて控え室で今日がデビューの選手と試合前から過去の話などしながら進む。主人公のボクシングに全てをかけてきて、色々な事情があるなか引退試合をする事になる。ラスト1ページの全くセリフがないが顔だけで心情が理解できる。 人生と向き合うタイミング高速スライダー 幸運な男・伊藤智仁 渡辺保裕 長谷川晶一starstarstarstarstar干し芋野球に詳しくない私でも、リハビリ中に出会う少年のお陰で、伊藤智仁選手の人生がわかりやすかったです。 人生のピークから一挙に地獄に投げ出された時、人間の真の強さが出てきます。 その辛い時期に何を考え、どう過ごすかのか。 愚痴一つ言わず黙々とリハビリするピッチャー伊藤は、常に観客の事を考え、チームのことを考え自分の事は後回し。 身体を酷使しての引退の時は、心と身体のバランスが難しい。 でも、ここばかりは、自分としっかり向き合って後悔しないように決めて欲しい。これからの、人生のためにも。 そして、心の拠り所の妻の包容力、本当にありがたい! それにしても、野村監督の表情筋すごいことになってます。(笑) 14歳でデビューかぁ…夜からはじまる私たち ときわ藍名無し若干14歳で小学館新人コミック大賞を獲ったという「アイドル急行」が読んでみたくて買ってみた。なんかもう全体的にキラキラしていて眩しかった。もうトーンの使い方が凄いのなんの。実の姉がアイドルだけあって、ストーリー・展開ともにアイドルファン目線だけでは描けないレベルだと感じた。本人の出自に触れるのはアレかもしれないけど、ほんと漫画の主人公みたいなポテンシャルの持ち主よ。今後の作品が楽しみ。読んでから気づいたBAT DAYS 徳光康之starstarstarstarstar_borderマンガトリツカレ男内容はあらすじに全て書いてあったがプロの漫画家でありプロの草野球選手の「徳光康之」の草野球での話。この漫画で一番好きなのは漫画家チームと対決でビッグネームのオーラと超大物漫画家とぶつかった編集の末路、深夜のバッティングセンターでの出来事の話今も続くキン肉マン 38巻〜キン肉マン ゆでたまご名無し80年代に大人気だったキン肉マンが2011年から再開されたものですが、次々と全盛期が更新されていく面白さで、新たに登場した敵キャラクターも大変魅力的です。旧作の必殺技もほとんどが改良を加えて登場しており、進化した絵柄と合わさって実に見ごたえがあります。 『食』なくして筋肉なし!!マッチョグルメ 成田成哲名無し普段厳しい節制をしているハゲのマッチョが楽しそうにご飯を食べるのを楽しむだけのマンガ。注文するときはメニューを見ずに常連っぽく頼むみたいな謎のこだわりを持ってたり、普段厳しい表情なのにご飯を食べるときは美味しさで笑顔になるのが可愛い。あといい笑顔の時は頭が光る。 実在のお店が登場するんだけど、厳しいトレーニングの反動からか訪れる店は全体的にガッツリ系。いつか行ってみたい。 実在といえば、今回読み直して「(作中に登場する)マッチョ29のゴリラ小嵐ってコアラ小嵐のことじゃん…!!」と気づいて衝撃だった。 ※マッチョ29…「筋肉で日本を笑顔にする」エンターテイメントグループ。 以前の勤めていた会社で、夜勤明けの朝は必ずマッチョ好きの女性の先輩がマッチョ29の曲を流してたのを思い出します。その先輩の推しがコアラ小嵐でした。まさかこんなとこで彼を見かけるとは嬉しいおどろきでした。 https://youtu.be/26zZk_33Dek https://twitter.com/bisekai1/status/857211481598730240?s=20面白すぎて感想を書きにくい競馬学校物語白星のギャロップ 西連助たか※ネタバレを含むクチコミです。ボクシングマンガの最高傑作はじめの一歩 森川ジョージクロキ森川ジョージによる日本のボクシングマンガ。 圧倒的な画力、ストーリーテーリングで形成されたボクシングマンガの最高傑作。作者のボクシングの知識レベルが高いため、グイグイと作品に引き込む魅力を発している。 キャラクター造形がコレ程巧みな漫画は少ない。オススメである。 不思議な村で神さま(カエル)に相撲指南雨の日も神様と相撲を 城平京 戸賀環たか※ネタバレを含むクチコミです。ロッククライマー 小西政継の有名になる前の話氷壁の達人 神田たけ志マンガトリツカレ男確かコミック・ギガで連載していてその当時は「ドシ・ドーシ」というタイトルだった。「ドシ・ドーシ」は所属する山岳会の合言葉のようなものです。 雑誌では完結しておらずこの単行本で完結したようだったが単行本にプレミアがついていて買いにくかったがKindleUnlimitedで読めたので読んだ。 小西政継の家庭事情/どのように山に魅せられていったかが丁寧に描かれている。一応区切りとしてマッターホルン北壁の冬季登攀に成功するまでが書いてあるがもっと続いて欲しかった。タイトルからは想像しにくい内容だった田舎の電報 かざま鋭二 小池一夫starstarstarstar_borderstar_borderマンガトリツカレ男田舎の電報は戸を叩く -> 十打叩いたというシャレがタイトルになっている。内容としてはダメゴルファーの三吉の問題を謎の美女が解決策を授けていく。 全3巻となっているが一冊80ページぐらいなのであっというまに読めた。3巻の「愛妻打法」は小池一夫っぽさをすごい感じた いまいちのめり込めなかった...朝焼けの祈り かざま鋭二 梶原一騎starstarstarstar_borderstar_borderマンガトリツカレ男紅洋台高校ラグビー部を舞台にし、難病をからめた青春群像劇と言えば確かにそうだが、なんというか梶原一騎好きじゃないと読み切るのが難しいんじゃないかな... 港のマリーと千石の戦いの説明は梶原一騎だなとかいろいろ思うマンガだった。 「空手バカ一代」「男の星座」の梶原一騎と「風の大地」「霧島嵐児」のかざま鋭二は二人とも大好きだがこの二人が組むマンガはなんでか知らんけど二人が別で書いているマンガほど楽しめないのはなぜだろうか... 千手観音阿修羅釣り〜!釣り師青海 さとう輝starstarstarstarstarひさぴよ「江戸前の旬」さとう輝(てるし)先生の短巻作品をいくつか読んだのだが、この「釣り師青海」(せいかい)は、特にお気に入りだ。仏教×釣りという設定が面白いだけでなく、料理も恋も、バランス良く楽しめる一冊。主人公は仏の道より釣りの道に夢中になっているダメ坊主だけど、どこか憎めない愛嬌がある。「千手観音阿修羅釣り」なる仏教ならではの派手な必殺技も面白い。ただ、必殺技を使うのは主人公ではなくヒロインの方だけど(笑) 幼馴染のヒロインが天才的な釣りの腕を持っていて、活発な性格でキャラが立っていた。この子が主人公でもおかしくなかったな。最後の方で描かれる二人の恋の行方は、読んでいてとても微笑ましいものあった。看板娘は天才ハスラー! 爽やかなビリヤード物語 #1巻応援ミドリノバショ 岡Qたか※ネタバレを含むクチコミです。 めちゃくちゃ面白いじゃん…忘却バッテリー みかわ絵子名無しいま二巻分よめるらしいので試しに読み始めました。 忘却バッテリーってそのまま忘れてるのに野球やる漫画ですが設定はさておき1話がうまい!いや、キャッチャーのキャラがいい!?最高でした、読み進めます 1話読んでみてくれ〜!衝撃の女子サッカーギャグ漫画!!アオハれ乙女 あかり ひわきはる ハル天沢聖司※ネタバレを含むクチコミです。映画前に読むか…ぐらんぶる 井上堅二 吉岡公威名無しちょこちょこ雑誌では読んでいたのですが実写映画化!とのことでぜひ読んでみよう!読んでみることをオススメします! 久々にパラリと雑誌めくっても相変わらずダイビングはしてないし変態話してますねww 大学のノリ、3、4人でつるんでいたあの頃…もしかしたら懐かしい気持ちになるかもしれない! 映画予告でも本当に全裸キャスティングしてたので地味に期待しています! 格闘技好きは、必ずハマる。破壊王ノリタカ! 刃森尊 村田ひでおクロキヒカル日本の格開校マンガ。ストーリー、絵が良い!格闘技の説明がうまい。キャラも良く、行動原理に一貫性があり作動とセリフに矛盾や違和感がない。よって読み始めると、止まらない。 格闘技、武道が好き、バキ、ホーリーランドetcの漫画が好きな人ならば、必ずハマる。 こういう女子バスケ漫画が読みたかったんだよ!!!(大声)BREAK THE BORDER 歩たかこの間たまたま新刊ページをを見てて、「おっ、知らないバスケ漫画があるな」と思ったらまさかの本格女子バスケ漫画で、軽くググったらnote記事が出てきてイラストの魅力にガツンとやられソッコー買ったのがこれです。こんなん元女バスとしては買うしかないじゃん…! https://note.com/imazine_world/n/n4ad8f0d9a6cc https://youtu.be/SuM7UaMNHpo はあ〜〜! 格好良すぎる!! 思い起こせば私は女子バスケ漫画を読んだことがありません。 そもそも“ちゃんとした”女子バスケ漫画(=リアルな等身の女子がガチでアスリートしてるシリアスなバスケ漫画)って他に存在しているのかさえ知らないです…。 そしてまさに、私の抱いているこの疑問が作者の歩先生がこの『BREAK THE BORDER』を描こうと思ったきっかけなんだそう。 >自分が読みたい路線の女子バスケの漫画が今までなかった。キャラクターは偶像的な女の子でなく、ちゃんとひとりの人間として描かれていて、それでいて絵がかっこよくて、ガチで…そういう女子バスケ漫画が読みたかった。 実際読んでみて、いやもう、ほんとおっしゃるとおりで「絵がかっこよくて、ガチ」で最高すぎる。 試合内容もガチならば、全員バスケに対してガチでふわふわ浮ついたとこがない。 はいこれ!!!!!好き!! また、女の子たちは平均身長の可愛い子から超高身長で筋肉質なイケメンまで多種多様はい好き!! https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/production/uploads/images/12438693/picture_pc_c06a5ff33d173acda5a2166f8c8db1a4.jpg (上記画像は「🔰はじめての人のためのBREAK THE BORDERガイド」より) も〜〜、超リアル。 「そうそう! バスケ部ってこうだよね…!」と、すんごいしっくりくる。 スポーツ漫画は、スポーツというテーマが平凡すぎるために、主人公や周囲のキャラに癖の強い個性・見た目・名前を付けて差別化しようとする傾向があるような気がします。 が、この作品は真逆。 出てくる誰もが「あ〜、こういう子居るよね」と感じるくらい超自然で没個性的。普通だったら、キャラの弱さは漫画においてウィークポイントになってしまうだろうけどこの作品は違う。 キャラが平凡なのではなく、「どっかの練習試合で会ったことあるよね」ってレベルでリアルだからこそ、それが魅力になっているんです。 5番のPG・樹里先輩とか日本に1万人くらいいるでしょ…眼鏡の雨宮先輩も絶対1校に1人はいる。 https://i.imgur.com/KhOOXuc.png (△『BREAK THE BORDER』歩 4話より) キャラの造形だけでなく、試合ももちろん迫力満点。1つ1つの動作や姿勢が「本物」で説得力がすごい。ディフェンスするたびに、ボンボン背中から吹っ飛んでくとこ狂おしいほど好き。 そして動作の軌跡が水彩ブラシで描かれてるのが超〜〜格好いい…!! さらに足さばきやボールの鋭い動きには、ほっそい引っ掻いたような白い線がかかれていてたまらない。 なんかもう…めっちゃ良いもの見たなと、幸せな気持ちでいっぱいです…ありがとうございます。 Netflixでアニメ化するまで応援し続けたいです。 https://note.com/imazine_world/n/neea54d52d097<<3031323334>>
2018年の夏の甲子園といえば、金農旋風が世を席巻しましたが、農業高校が9人の固定メンバーで県予選から甲子園の決勝まで勝ち進んだことが、川原泉の『甲子園の空に笑え!』とまったく同じだと密かに話題になっていました。偶然って、本当におそろしいですね。まさか、川原泉も自分の描いた嘘でたらめのようなマンガの物語が現実に起ころうとは夢にも思わなかったことでしょう。決勝戦で春も制した優勝候補の大本命に負けてしまうところまで同じですからね。 さて、この季節になると、もともとが涙もろい性格なのに、それにさらに拍車がかかります。今年は春夏ともに甲子園はありませんでしたけど、それでも、地方大会や交流試合の中継をみて涙をこぼしてしまう。それだけでは済まなくて、ネットのニュース記事を読んだだけで泣けてきてしまうから困ったものです。それで、まあ、『甲子園の空に笑え!』を読んだら、これまたボロボロに泣いてしまい、今に至るというわけです。こんなに泣けてしまって、自分ってもしかして何かの病気なのかなって思い立ち、色々と調べはじめるぐらいですからね。悲しくて泣いたことっていうのは、たぶん人生で一度もなくて、何かを美しいと思ったときとか、人の懸命な頑張りの軌跡みたいなものを感じとったときにとにかく弱い。つまり、受け身で泣くということはなくて、自分がそこに何かを見出したときに涙が出るみたいなんです。じゃあ、そこに何を見出したのかといって、球児たちの美しさを見出しましたなんていまさら言えるはずもなく、仕方がないので人が泣くことについて調べてみる。 ふむふむ、近年の心理学的見地では「無力感の認知」と泣くことの関連性が言われているらしい。例えば、人が予期せぬ朗報を受け取った時に泣くのは、表向きには、起こっている事態に対して無力である、影響を与えることができないと感じるためである、と。 閑話休題。 野球というスポーツの特異点は、まず何と言っても攻撃と守備の時間が明確に分かれている点にあると思います。攻撃と守備がまったく無関係に独立している、とまでは言いませんが、ルールの上では無関係に徹している。表と裏と言いますけども、表裏一体なんて言葉もありますけども、野球にかぎっては表裏がたがいに独立している。もっといえば、表と裏をひとつの単位にした回というものも、1回から9回までそれぞれに独立しています。三者凡退の回もあれば、ビッグイニングの回もある。さらにもっといえば、各バッターの打席ごとに独立していますし、ピッチャーの投げる一球ごとに独立しています。こうしたひとつびとつのプレイには全て判定があり、名前が付けられています。ストライク/ボール、アウト/セーフ、三振/四球/死球、犠打/単打/長打/本塁打、盗塁/盗塁刺、刺殺/併殺/失策/捕逸、挙げていけばきりがないですね。もちろん記録に残らないプレイというのもあるにはあるんですけども、基本的には全てのプレイに名前があり、記録として残されます。こうしたプレイのひとつびとつが一回一回を進め、野球という時間をつくっていきます。ここらへんがサッカーやバスケといったスポーツと大きく異なる点で、野球は時間のなかで行われるのではなく、ひとつびとつのプレイが野球という時間をつくってゆく。プロ野球のナイターでは、18時に始まって、24時過ぎに終わった試合まであるそうですからね、なんと6時間! ちなみに最短は55分だそうです、短! ちょっと話が逸れましたが、野球というスポーツは、ひとつびとつのプレイ、ひとつびとつに名前があって、それぞれに独立しているプレイのひとつびとつが時間をつくってゆく、尚且つ、それらは記録として残される。良い記録も、悪い記録も、勝敗を分ける点数に結びつく記録も、結びつかない記録も、それぞれに独立していて、それら全てに名前があり、記録として残されるのです。 これは野球にかぎった話ではありませんが、よく失敗を挽回するなんてことが言われます。でも、どんなに次の機会に頑張ったとしても、失敗は失敗としてそこにあるわけで、あったことを無かったことにはできません。失敗は失敗としてあり、挽回は挽回としてあり、それらは表裏一体のような体をなしておらず、あくまでも、それぞれに無関係に独立していると思います。こういった考えは残酷と思われるかもしれませんが、あったことを無かったことにできるというのなら、その逆もまた然りというわけで、成功もまた失敗によって無かったことになってしまう。そんなことが許されますか、めっちゃ頑張っていい球を投げられるようになったのに、たった一球の失投をホームランにされて、それまでの好投は無かったことになる、そんなことが許されてたまるもんですか。でも、試合は試合ですし、相手だってこの一球を逃さないための練習を重ねてきていたからのホームランです。 コロナで春のセンバツが中止になったとき、頻りに救済案ということが言われました。結果として春夏ともに甲子園大会は中止になりましたけど、仮になにか救済案があったとして、それでもセンバツを戦えなかった選手たちの無念は残ると思うんです。救済は救済としてあるかもしれない、でも、それは選手たちの無念とは無関係にすれ違ったままだと思うんです。数学ではマイナス1にプラス1をすれば0になりますけど、人の心はそんなふうにはできていなくて、マイナス1も、プラス1も、ともにそこに変わらずにあり続けると思うんです。 ある意味でこのことは、いっぽうからしてみれば、もういっぽうに影響を及ぼすことができない「無力感の認知」ということにもなり得ます。とくに攻撃と守備が相互に独立している野球というスポーツにおいて、この「無力感の認知」はよりいっそう顕在化されると思います。夏の甲子園の球史に深く刻まれた一試合に「日本文理の夏はまだ終わらない」でよく知られる、中京大中京vs日本文理の決勝戦があります。10-4と大差をつけられた日本文理が9回裏二死から怒涛の追い上げで1点差まで詰め寄ったところで、最後の快音が三塁手のグローブに吸い込まれて終わるのですが、負けた日本文理は負けたのに晴れやかな顔をしていて、勝った中京が悲愴な顔をしている。しかも、優勝インタビューを受けた四番でピッチャーの堂林が帽子で顔を隠して泣いているんです、ほんとうに情けなくて悔しいです、と。このことを書きながら自分もまた泣いてしまっているんですけど、この試合で堂林はホームランを含めた三安打で得点のほとんどに絡んでいるのにもかかわらず、9回裏の情けない自分を悔いて泣いているんです。しかも、10点をとられて負けた日本文理のピッチャーの伊藤、9回裏二死が続いて、なんということか偶然にも彼の打席で満塁となり、三遊間を破るヒットで走者を二人還して二点差まで詰め寄ります。このとき、二塁まで到達した伊藤のガッツポーズもまた忘れられない、さらに次の代打のヒットで伊藤はホームベースを踏んでついに一点差まで! また、このことを書きながらボロボロに泣いてしまっているんですけど。 そして、広岡監督の率いる豆の木高校は守備のチームです。というのも、赴任してきた広岡先生はドライでクールな生物の教師として、何故かやりたくもない野球部の監督を押し付けられ、そもそも汗と涙の高校野球なんてキモチワルイとすら思っている。それで、まあ、ストレス発散にノックで生徒たちをいびっていたら、いつのまにかチームの守備力が向上していたという能天気ぶりなんですけど、そんなドライでクールな広岡先生が不純な動機とは無関係にいつのまにか高校野球にのめりこんでいくんですよ。 守備だけをひたすら鍛えたチームですから、点なんかとれやしない。広岡監督は選手たちに言います「うちのとりえは守備だけなんだから、たとえこっちが0点でも、相手に一点もやらなけりゃ、少なくとも負けることはないのさ」そして、自分自身にも心の中で言うのです「そーだ、守るんだ、それしか生きる道はない」。となれば、攻撃はもはや神頼みしかない、祈ることしかできないわけです。まさに自分たちの守備に誇りを抱いて、人事を尽くして天命を待つですよ。 ところで、甲子園交流試合の鶴岡東5-3日本航空石川では、5-3の9回裏、追いかける航空石川が2アウト1・2塁と逆転のチャンスをつくって、勝利目前の鶴岡東は最後の打者を打ちとったと思ったんですが、それまで投手のピンチを何度も救ってきた遊撃手がエラーしてしまい、満塁の大ピンチを招いてしまいます。結果としては次のセカンドの好守備に助けられて鶴岡東が逃げ切ったんですけど、自分があの遊撃手なら高校最後のエラーを忘れられないと思うんです。だからといって高校最後の試合を勝利でおさめたことが消えてなくなるわけでもない。どちらとも、ともに、それぞれに無関係に独立にして、そこにあり続けると思うんです。 それはちょうど、恋人にフラれてしまっても、かつて恋人と過ごしたきらきらした日々が消えてなくなることのないように、いつか見た川のせせらぎのきらきらが消えてなくなることのないように、全てのあったことは、ネガティブなことでも、ポジティブなことでも、どちらでもないことでも、あったこととして、そこに変わらずにあり続けると思うんです。自分さえそう信じていれば。 思えば、人生なんてどんな人でも負け戦だと思います。あの清原が見事に体現してくれているように、裕福な家に生まれようが生まれまいが、才能があろうがなかろうが、努力で這い上がろうが這い上がるまいが、多かれ少なかれどんな人生もひとしく負け戦だと思います。攻撃のない野球みたいなものです。誰も彼もボコスカに打たれまくって肩で息をしているピッチャーみたいなものだと思います。攻撃のない野球ですから、どんなに上手く守ってもゼロ、最高のパフォーマンスを発揮してもゼロ、ゼロじゃあ試合には勝てません。たぶん、生きるということは大洪水の川のなかにいるのにひとしくて、流されないように辛抱するのがせいぜいで、進むことなんてできやしない。でも、それでも、と信じさえすれば、守備とは無関係のどこかできっと攻撃が繰り広げられていると思うんです。どんなに清原が落ちぶれようとも、かつて清原が打ったホームランは消えてなくならないように、かつて清原が日本シリーズで流した涙がぜったいに消えてなくならないように。 豆の木高校の豆っ子たちが点をとれなくてもあの手この手で(自分たちの手には負えないやり方で、でも、守備だけは懸命に頑張った!)決勝まで勝ち進んだように、今日もどこかで日本文理の終わらない夏が9回裏の奇跡のような猛攻をどこかで繰り広げていると思うんです、すくなくとも自分がそう信じさえすれば!!!!