男の操

今年最高の恋愛マンガは『男の操』かもしれない。

男の操 業田良家
兎来栄寿
兎来栄寿

>  みさお〔みさを〕【操】 [名・形動]《不変の美や気高さなどをいうのが原義》 > 1 自分の意志や主義・主張を貫いて、誘惑や困難に負けないこと。節操。「信徒としての―」 > 2 女性の貞操。「―の固い妻」 > 3 上品で、みやびやかなこと。また、そのさま。 「うとき人に見えば、おもてぶせにや思はむと憚り恥ぢて、―にもてつけて」〈源・帚木〉 > 4 常に変わらないこと。また、そのさま。 「深き山の本意(ほい)は、―になむ侍るべきを」〈源・東屋〉 >   小学館 デジタル大辞泉より 恋愛。それは、いつの世にも人々に親しまれる永遠不滅のテーマです。小説、演劇、映画、ドラマ……ありと、あらゆる物語の根幹として、スパイスとして不可欠なもの。 世界最古の文学と云われる『ギルガメッシュ叙事詩』でも、愛の女神イシュタルのギルガメッシュへの愛とそれに付随する歪んだ感情が描かれています。日本の最古の歴史書『古事記』においても、イザナギ・イザナミから禁断の兄妹愛を描いた一大恋愛物語「衣通姫伝説」まで、数多くの恋愛が描かれています。 近年では『恋スル古事記』という本も出されている程。最早、紫式部の『源氏物語』を繙くまでもないでしょう。近親相姦や幼女愛は日本のみならず、古来から世界中の人類全体の業……という話は長くなるのでまた別の機会にするとしまして。 古代から現代に至るまで、人々の心を掴み続ける恋愛物語。マンガ業界においても恋愛モノは不滅のジャンルです。近年でも『ハチミツとクローバー』、『のだめカンタービレ』、『君に届け』、『ストロボ・エッジ』などなど、大ヒット作も枚挙に暇がありません。 そんな中、今年出版された、そしてこれからされる恋愛マンガの中でも確実に屈指と言える、されどきっと多くの人は知らないであろう作品があります。それが、この『男の操』です。 「最近、オススメの恋愛モノありませんか?」 そう尋ねられたら、まずこの作品を差し出します。多分、差し出された方の顔は歪むでしょう。表紙、パッと見の印象、掲載誌、タイトル……どれをとっても恋愛マンガっぽく感じないことと思います。しかし、外見で判断するなということを私たちはフリーザ最終形態から学んでいる筈です。騙されたと思って読んでみてください。又、普通の恋愛マンガがちょっと苦手だという方にも強く推薦します。 ■目に見えない大切なもの ところで、サン=テグジュペリの『星の王子さま』はお好きですか? > 大切なものは目に見えないんだよ    > 目にはみえないことこそ、一番大切なものがある 『星の王子さま』の中で語られるこのセリフが、私は大好きです。そして『男の操』は、正にそのことを体現した物語。そもそも、業田良家先生は常に「目に見えないけれど大切なもの」を切々と描き続けている作家です。だからこそ、私と同じようにこの『星の王子さま』のセリフが好きな方には是非とも読んでみて欲しいです。 『男の操』が描いて行くのは、恋愛を含む、広義の愛。心。そして、それらから自然と生じて来る、「操」という語の原義である所の不変の美や気高さ。形がなくても見えるもの、形がないから美しいもの、形がないから消えないもの。そうした人間として本当に大事にしなければいけないものに感じ入り、暖かい涙を流すことのできる作品なのです。何とも、堂々と口にするには少々こっ恥ずかしいテーマかもしれません。しかし、業田良家先生は、それを真っ向からどこまでも篤実に投げ掛けて来ます。 > 真心を人に差し上げるってことは素晴らしかことたい。本当に強か人間にしかできんことよ。 作中に登場する真っ直ぐなセリフが、真っ直ぐな想いが、真っ直ぐに胸を貫いて行きます。真心を伝えようとする人間の営みの、何と尊く美しいことか。 > 瞬間と永遠は、きっと同じものでできているよ 帯でも引用されているこの名セリフ、この名ゼリフが使われる名シーンの素晴らしさを、私はどこまでも広めたいですし、分かち合いたいのです。永遠はあるよ。ここにあるよ。 ■イケてないけれど、最高に格好良い男 このマンガの五五分け坊っちゃんカットの主人公・五木みさおは、35歳の売れない演歌歌手です。妻には先立たれてしまい、娘にサクラまでして貰ってもなかなか売れない、あまりにも情けなく冴えない男。しかし、読み進めて行くと、この丸顔ででかっ鼻で太眉の主人公がとてつもなく魅力的な人物に感じられて来るのです。 イケメンが格好良いのはある意味で当たり前。そうでない人物をどうやって魅力的に見せるかは作家の腕の見せ所。それができている作品は名作が多いですし、『男の操』はそれをしっかりこなしている作品です。 亡き妻への想い。亡き妻の想い。子どもへの想い。隣人への想い。隣人の想い。社長への想い。社長の想い。友への想い。友の想い。最初はただのギャグマンガにしか見えないかもしれませんが、物語が進むにつれて徐々に明かされていくそれぞれの相互の想い合いや過去が、前半とのギャップによって強く際立って提示されて行きます。 それは、あたかも人間そのもののようでもあります。本当は辛い想いを抱えながらも表向きは笑っている。人は往々にしてそういった時があります。その笑顔は、ただ単純に楽しいから笑っているわけではない。様々な悲しみや辛みを乗り越えた上で無理をしているのかもしれないし、あるいは漸く何とか少しだけでも乗り越えたからこそ辿り着いた境地のものかもしれない。そして、この新装版の表紙ではメインとなる登場人物たちが皆笑顔で描かれていますが、それも単純な笑顔ではなく裏には実に複雑な様相があるのだ、と。この表紙は、みさおが様々な経験をして作り上げた曲「男の操」の歌詞のあまりの美しさと共に、物語の余韻として深く心地よく響き沁み渡ります。 ■『男の操』は試し読むべからず 『男の操』の試し読みは敢えてオススメしません。ただ、買って下さい。このマンガは『自虐の詩』などと同じく、最初だけ読むとどうでも良いギャグマンガにしか見えない恐れがあるからです。しかしながら、試し読みを読んで「あ、いいや」となってしまうのはあまりにも勿体ない傑作。私と業田良家先生を信じて、敢えて試し読みは読まずに買って、一冊最後まで読み切って頂きたいのです。そうすれば、きっと伝わる筈です。

独裁君

ギャグとシリアス、両面から描き出す"独裁”

独裁君 業田良家
兎来栄寿
兎来栄寿

この本に収録された短編「慈悲と修羅」。 私は、この18ページの物語を、世界に住む全ての人に読んで貰いたいと切に切に願っています。この短編が描くのは、チベット問題。あまり大々的にこの問題が報じられることのない現代日本で平和を享受している私達には、およそ実感の湧かない、しかし今もなお現実に起き続けている陰惨極まる悲劇です。ここで描かれる残虐な拷問や、敬虔な仏教徒に対する精神的陵辱の限りは、決して知らないままでいて良いものではありません。読むと、激しい嘆きや憤りが生じることでしょう。実際には、ここに描かれている以上のことも行われているといいます。文章だけでは千の言葉を尽くしても伝わり難い現実が、マンガという表現によって描かれることでその悲惨さをダイレクトに伝えてきます。業田良家先生の絵はかなりデフォルメが効いたタッチですが、しかしこの絵柄でこの内容が描かれるからこそ、その主張が際立ちます。マンガの持つ力という物をも、改めて考えさせられる内容です。私は、中学生や高校生に教科書と一緒にこの短編マンガを配布しても良いと考えます。 この本のメインは、ヒトラーやスターリン、金正日といった世界の独裁者たちへの激しい風刺の効いた4コママンガであり、それも勿論面白いのですが、「慈悲と修羅」及び、北朝鮮を描いた「シャルルの女」「シャルルの男」は非常にシリアスで、人として、この世界に生きる人間として、一読しておくべき作品です。

メイプル戦記

漫画史に煌々と輝く魔球、その名もハクション大魔球!!

メイプル戦記 川原泉
影絵が趣味
影絵が趣味

マンガとはひとつに夢をみさせてくれるものでしょう。そして魔球とは正しくすべての野球ファンにとっての夢……。そんな夢をみさせてくれるマンガとは、あるいは魔球とともに歩んできた歴史なのかもしれません。 そもそも事の始まりはこうなのです。プロ野球界に女性だけで構成された新球団ができる、その名も「スイート・メイプルス」。もうこの時点で夢のような話なのです。こういって差し支えなければ、メイプルスの面々は、男だらけの球団を相手にまったく出鱈目と積極的に言っていきたいほどの懸命さと天真爛漫さで勝ち上がっていきます。この途方もない出鱈目さ加減がほんとうに感動的で胸を打つ。男たちを相手に女性だけのチームがどうやって勝っていくのか、なんていう、説明責任はこのマンガには端から存在していないのです。 マンガに関わらず、いま、あらゆるものに説明責任なるものが蔓延しているように思われます。しかし、それはなんと窮屈で不自由なことだろうとも思うのです。説明責任とは、アレはしていけない、コレはしてはいけない、というふうな否定的で不自由に方向にしか物語を運んでいかないことでしょう。そんな説明責任なるものから始めから自由になっている『メイプル戦記』は、それ故に感動的としか言いようがないのです。私たちはまだ見たことのない魔球を見てみたくてマンガに熱中するのではなかったか、私たちはまだ見たことのない夢を目の当たりにしたくてマンガに熱中するのではなかったか。私は『メイプル戦記』ほど自由で豊かで感動的なマンガを他にあまり知りません。

トクサツガガガ

自分のことが書いてあったマンガ 何かを愛する者たちの物語

トクサツガガガ 丹羽庭
たか
たか

2014年、本屋で立ち読みしたスピリッツに載っていたのが、トクサツガガガ9話(1巻最終話)。 当時大学生だったわたしは、仲村さんの母親への複雑な感情と、対立を避けて合鍵を渡してしまうシーンを読んで「うっそ…わたしのこと書いてあんじゃん🤭」と震え、共感120%で一瞬でファンに。母親に合鍵渡しちゃう系女子ってわたしだけじゃなかったのかよ…! まるで吉田さんとイクトゥスした仲村さんのような感動でした。 仲村さんが、周りにいる何かを愛する友人たち(特撮・女児アニメ・フィギュア・男性アイドル)とあるあるの悩みを共有して、「それってこういうことじゃない?」と、愉快に語り合うところが何より面白い!! そしてときには(っていうか大体)根本的に問題を解決せず先送りにするけれど、毎回ちゃんと悩みに向き合い「もやもやした気持ちに蹴りをつける」ところが素晴らしい!何よりその問題を整理するときの、仲村さんやみんなの思考回路と会話が最高にコメディしてて笑ってしまう。 永遠に仲村さんとみんなが楽しく趣味に没頭しているところを見ていたい。 最終回が来ないでほしいマンガNo.1。 読むたびに新たな視点や考え方を得ることができる。 悩める全ての愛する者(オタク)たちへのアンサーがある作品。 それが、トクサツガガガ。 (画像は1巻4話 仲村さんと吉田さんを結びつけたイクトゥス)

アンの世界地図~It's a small world~

理不尽な親の元を飛び出して徳島で幸せになる方法

アンの世界地図~It's a small world~ 吟鳥子
兎来栄寿
兎来栄寿

「両親を敬う」 それは基本的には理想であり、美徳です。 しかし、人間的に致命的な欠陥を持ち、それを我が子に容赦なく振り撒く親というのも確かに存在します。理不尽な暴力やネグレクトに晒され続けてなお、「それでも親は親だから」と言えるものでしょうか。憎悪と殺意以外の感情を向けられない肉親の存在は、心を病ませます。なまじ家族であるだけに、離れることも叶わない。それは呪縛です。血の繋がりを呪い、同じ血が流れ遺伝子を受け継いでいる自分すらも嫌悪の対象となります。そんな風になるくらいであれば、いっそのこと物理的に距離を取ってしまった方が余程良いです。 今回紹介する『アンの世界地図』は、そんな選択をして幸せを手に入れた女の子のお話です。そして、様々な要素が詰まり充実した物語です。   ■家出ロリータ少女、徳島で着物少女に出会う 主人公の竹宮アンは、フランス貴族に憧れる16歳の少女。父親は単身赴任中、東京のボロアパート(通称:ゴミ屋敷)にて酒乱の母親と二人暮らし。綺羅びやかなロリータ服が唯一のアイデンティティだったアンですが、ある日、母親の酒が入ったことによる蛮行で自らの宝物の洋服の数々をズタズタにされ、遂に祖母のいる徳島を目指して家を飛び出します。そして、辿り着いた徳島の地にて、美しい着物の少女アキと出会い、アンはアキの家で暮らし始めます。 ロリータ服で近所のコンビニで半額弁当を買って行き、店員には「値引きのロリータ」「ビンボー姫」などと仇名を付けられている、小さい頃から貧乏だったアン。他の家庭では注いで貰えた愛情をろくに注いで貰えなかったことは、深い傷をアンに与えていました。 > 自分のこどもに食べさせることも着せることにも > 興味のない親っているんです とアンがアキの祖父に語るシーンの言葉が重く響きます。あまつさえ、自分の本当に大切にしている物をゴミ扱いされては、我慢の限界に達するのも解ります。 徳島の神社にて、 > 毎朝しあわせな気持ちで > 起きてみたいです と祈る彼女の切実さ、いじましさに胸が搾られる想いです。 その後、彼女はお遍路さんを助けるおもてなし文化「お接待」の心を大切にしているアキを母親代わりとして、新しい暮らしの中で幸せに起きられる朝を得ます。ずっと自分のいる場所を「ここではない」と思い続けて来た少女の、その世界地図が新たに拓けていく時。出だしは少々辛いですが、その分そのカタルシスとなる部分は優しく暖かで胸に沁み入って来ます。     ■日本や徳島の豊かな文化 (画像『アンの世界地図』1巻4頁) この作品、開幕が「吾輩は猫である」ならぬ、「わたしは家である」というモノローグから始まります。そこで行われるのが「うだつが上がらない」の「うだつ」の解説。他にも、神社の参拝の仕方や、着物の着方、お箸の持ち方など、時折日本人として知っておくと良い雑学が語られ、作品に溶け込んでいます。 又、徳島の名産料理なども実に美味しそうに描かれます。青とうがらし味噌を塗って、青じそを巻いて食べるおにぎりや、みょうが・シソ・甘辛豚肉・干しエビ・半熟卵・しらがねぎ・きゅうり・かにかまという豪華な付け合せのたらいに入ったたらいうどんなど、実に食欲をそそってくれます。もう、これらを食べるために徳島に行ってみたいと思わせられる程。今、「マチ★アソビ」などで注目を集める徳島ですが、この作品にも注目し、これらを提供する場所を作るのも良い町おこしになるのではないでしょうか。 更に、ここまでに書いたことだけであればまだ通常の少女マンガの範疇なのですが、1巻後半では突如として濃厚なボードゲーム語りから麻雀が描かれます。少女マンガとしては異端ですが、そこがまた面白い所で。ゲームというのもまた一つの対人コミュニケーションの手段。家族麻雀を通して紡がれる絆や想い、そこにもまた優しさと暖かさが満ちています。不良になった息子とも、麻雀を通してなら繋がることができたという描写があるのですが、親子の間でそういった絆となる物を持っておくことは良いと思います。 一冊の中にメインストーリーの他にも多様な要素が盛り込まれており、飽きさせません。    ■十年後の小さな幸せのお供に、『アンと世界地図』を 吟鳥子先生は、「現実の十年後の小さな幸せにつながる少女漫画が好きで、そういうものを描けたらいい」と仰っていました。曰く、「20年前に読んだ、タイトルも忘れた低年齢向け少女漫画で、おばあちゃんがクラシックなイギリス風ケーキを焼いて、孫の少女が「あ、お茶はアールグレイがいいな」と言った。その台詞からアールグレイという茶葉を覚えて、今でもクラシックなケーキを食べる時はアールグレイを淹れる。そういう幸せ」と。『アンの世界地図』は間違いなくそういう幸せをくれる作品になっています。それは徳島に足を運んでたらいうどんを食べた時かもしれませんし、誰かと心を通わせる瞬間かもしれません。いずれにせよ、読んでいる瞬間、そして読み終えた後の未来において、素敵な時間を約束してくれる作品です。 今年読んだ少女マンガの中でも、屈指の作品。男性でも読み易い内容ですので、お薦めです。  吟鳥子先生の作品は、切なさと優しさに満ちています。『アンの世界地図』を気に入ったら、他の作品にも是非手を伸ばしてみると良いでしょう。