いざなうもの

死なるものの体現

いざなうもの 谷口ジロー
影絵が趣味
影絵が趣味

ひとの生とは、いちど限りのものである。この事実はあらためて言うまでもなく当たり前のことであるが、すべてあらゆる当然のことというのは、それがまさしく当然のことという途方もない事実性において、語るにあたいすべき言葉を持ちえない。ひとは当然のことを語る言葉を持ちえない、ひとが言葉で語ることができるのは、けっして当然のことではない、何かの"問題"についてだけなのです。 死とは、あらゆる生に必ずおとずれる当然のことでしょう。すなわち、ひとは死を語る言葉を持ってはいない。そんなことはない、死について語られたものはいくらでもある、と言う方々がいらっしゃるかもしれないが、それは死を何かの"問題"として副次的に扱っている場合にすぎず、死そのものについて語られたためしは終ぞありえないと言うほかないでしょう。死とは、私たちの多様な生が辿り着く唯一必然のものでありながら、それがいかなるものかをいっさい窺わせようとはせず、ひとたび窺ってしまえば最早語ることはいっさい許されない、そのような類のものでしょう。 そのようなわけで、ひとは、死について「彼岸」であるとか「向こう側」であるとか曖昧なことしか言うことができないのだが、ごく稀に、死を語らないまでも、いや、語るという以上に死そのものを体現してしまうという極めて特権的な作家がいる。そして谷口ジローという漫画家が、まさしくそのような特権的な作家に名を連ねることになりました。死とは、死の側から語ることがけっして許されぬのだから、自らそれを体現するほかないです。 内田百閒の短編小説集『冥途』を原作とした谷口ジローのこの絶筆の遺作は、病床のうちで死の直前まで描かれていたといいます。しかも、死につつある谷口ジローは、自身にとって新境地であるところの薄墨と鉛筆とホワイトのみで執筆するという新手法で、生と死の狭間で彼岸に吸い込まれつつある男の物語を描きつつこと切れたのです。死につつある者により絶筆の遺作として描かれつつあった『いざなうもの 花火』は、それ故なのか、いまだかつて見たことのない只ならぬ異彩を放っている。ひとの死は当然のことであり、またいっぽうで、死につつありながら当然のことのように自身の新境地を開こうとしつつ死という名の向こう側へ逝ってしまわれた谷口ジローは死の体現者としか言いようがない。死とは生ある万人にとって既知ではなく未知であり、その意味でまったく新境地ということに他ならない。心して読まれることをおすすめします。

付き合ってあげてもいいかな

「優しい世界」だからこそ追求できる恋愛の面白さがある

付き合ってあげてもいいかな たみふる
mampuku
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 今まで読んだことのある百合漫画の中でも確実に3本の指に入る(下手したら一番)濃密で素晴らしい恋愛漫画です。  大学1年生どうしで知り合い、一緒に軽音楽サークルに入り、酔った勢いのカミングアウトをきっかけに付き合い始めたふたり。周囲からの偏見や迫害に慎重になりながらも、そこは21世紀の若者というか思いのほかすんなり受け入れられ、それどころかサークルや学部内の多様な人間関係とも複雑に絡み合っていく恋愛群像劇へと発展していきます。  何がこの漫画面白いって、同性カップルに周囲がいちいち大騒ぎしないので、同性ならではの恋の悩みだけでなく異性カップルとも共通する諸問題やイチャラブをじっくり楽しめるところですね。とくに重大な事件が起きたりするわけでもないのに非常に内容が濃く感じられます。  街中で手を繋ぐのを恥ずかしがるみわ(黒髪・左)に対する冴子(右)のせりふ 「意外と誰も見てないって!それに、なんか思われたとしても、どーせ通りすがりの知らない人だし」は象徴的です。  あとやはり二人のキャラクターがとても魅力的なのが良いですね。両極端だけどどちらも可愛い。  音楽でつながった百合カップルというと『アフターアワーズ』を思い出します。あっちは百合カップルによるクラブイベ漫画、こっちは恋愛漫画、くらい違いますね。