兎来栄寿
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2023/08/21
インコの恩返し #1巻応援
とてもかわいいお話です。 ヒロインは今生では廻(めぐる)という名前の平凡に平和に暮らしていた女子高生ですが、実は前世はインコ。ある日ふと前世の記憶が蘇る瞬間が訪れます。一体何かと思えば、現れたのは来世の運命を司るというフクロウ。 何でも前世で自分に優しくしてくれていた飼い主の男の子が大いなる不幸体質で、その彼を幸せにするために自分は転生したと言われます。 あんなに優しい人が幸せになれないのはおかしいと、誰にも明かせない正体を持ちながら大好きだった飼い主を幸せにするための秘密の奮闘が始まっていきます。 設定はファンタジーですが、ミッションを果たすためにやることはといえばアルバイトを通して目的の人に近付くなど、他の少女マンガでもありそうな地に足の着いた現実的なやり方。初めてのアルバイトを経験するという瑞々しさに懐かしい気持ちになり、書店でのアルバイト風景は純粋に応援したくなりました。 また、チケットノルマのある劇団という特殊な世界についても、多少内情を知る身としてはあるあると思いながら読みました。 推しが幸せならそれでOKです、という考えが根底にあるところは通常の恋愛マンガとは異なるところで、自分自身の幸不幸は度外視で行動していくのがポイントです。 『鶴の恩返し』の鶴は、その後幸せに生きたのだろうかとふと考えてしまいました。
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2023/08/17
人の世の痛みや醜さが天国の光を輝かせる #1巻応援
『36度』以来となる、ゴトウユキコさん2冊目の短編集が5年ぶり発売されました。 その名も『天国』。 さまざまなフックがあり読む人によって引っ掛かるところは違うであろうものの、何かしらの痕は残されるSNS公開た時にはバズっていた作品ばかりの短編集です。 天国とは、一体どのようなところでしょうか。 地獄の対極にある、死後に行く場所。 痛みや苦しみから解放された、幸福と安寧に満ちた世界。 現世で叶わなかった望みが叶うところ。 翻って、目の前にある現実の今生きているこの世界はどうでしょうか。痛みや苦しみが溢れ返り、叶わない想いが充満してはち切れんばかりです。 この『天国』に収録された4つの物語では、どれもそんな現実世界におけるそれぞれのままならなさに翻弄される人間たちが描かれています。 綺麗な感情だけ抱えて他人や自分を傷つけることなく生きることなど到底できない、思うようにはならない世界。祝いと呪いが表裏一体であるように、ある面では美しいと表される感情の別の側面にある醜さがどうしたって露わになる瞬間が人生にはあります。 ゴトウユキコさんはいつもそこを、人が目を背けてしまいがちな部分を上手に力強く剔出して提示してくれます。一見すると荒々しく無造作なようで、その実非常に繊細に作られた職人の名品のように。 ある人にとっては、記憶の奥底の泥濘に沈んでいた呪物を引き摺り出されるような。 またある人にとっては、決して切り離せない厄介な自分の一部が不意に肯定され奉賀されるような。 不気味で得体の知れない魔物のようでもあり、大切に宝箱にしまっておきたい輝石のようでもある。 表紙画と装丁はただただ美しいですがその中身は決して美しさだけではない、けれど醜さや絶望だけでもない。 「天国」へ至れるかどうかもわからない煩瑣な現実を営む私たちへ、同じように繁雑な世界を生きる人々を通して間接的に天国を覗かせてくれる1冊です。 ふと、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇ユイのセリフを思い出します。 ″ 生きていこうとすればどこだって「天国」になるわ。だって、生きているんですもの″
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2023/08/17
そのただ一言が聞きたくて。 #1巻応援
コメディではありながらも基底となる設定に切なさがあり、敷き詰められた笑いの隙間から仄かに滲み出てくる作品は何とも堪りません。 『魔法少女大戦』や『消滅都市』などで有名なイラストレーターの山口カエさんによるこの『お守り女房』もそんな作品です。 83歳で妻に先立たれてしまった男性・伊豆沼蓮太郎の下に、死んだ妻・華代が何とお守りの姿となってやってきて共に暮らしていく様子が描かれます。 妻のキャラクターが典型的な昭和の妻という感じではなく、箪笥にはエアガンやヌンチャクがしまわれていたり、暗視スコープやギリースーツまで所持していたりと自由奔放。お守り姿となっても賑やかで、蓮太郎との愛と優しさに溢れた掛け合いは非常にハートウォーミングです。 華代は生前に蓮太郎から一度も「好き」という言葉を言ってもらったことがないという未練を抱えており、しかし昔気質の蓮太郎はそういった言葉を軽々には口に出せないという部分のもどかしさも良いです。 独居老人を狙った瓦詐欺や闇バイトなど時事ネタも上手く取り入れながら、賑やかで忙しない日常や非日常が面白おかしく描かれます。 しかし、華代も言う通りこの状況は本来不自然なもの。明るい雰囲気の裏には、いつか終わる夢のようなエクストラタイムの儚さと切なさがあります。それは、物語という優しい幻想の在り方にも似ています。 一人になったら米を炊くこともできない蓮太郎のような人は、現実にもたくさんいることでしょう。喪ってから気付いたり後悔したりすることばかりなのが人間ですが、こうした物語を通して喪ってしまう前に今大切にできるものをもっと大切に、できることをできる内にしようという気持ちにさせてくれます。 絵柄も綺麗で人を選ばない、間口の広い良質なコメディです。 補足として、細かい好きな点も挙げておきます。 ・長女の梗子も孫のはこべもすみれも女の子がみんなかわいい ・ステュムパーリデスはギリシャ神話、ヴェズルフェルニルは北欧神話とごった煮で好きな感じの厨二病あるある ・1話冒頭の謎の映画の腕ひしぎ十字固めから逆エビ固めに笑顔で移行するところ ・134Pの1Pまるまる使ったパロネタ
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2023/08/16
夜泣きに疲弊する母親を救う物語 #1巻応援
『伝説のお母さん』や『私の息子が異世界転生したっぽい』などで知られる、かねもとさんがTwitterやマイナビ子育てで発表していた作品です。 『What’s Home』なども含めて色々な形の「母親」を描いてきたかねもとさんですが、本作は我が子の「夜泣き」に悩まされる非常にリアルな現実世界の母親たちの姿が描かれます。1話完結のオムニバス形式で、それぞれのお話ごとに微妙に違った形で悩みを抱えている母親たち。 育児に協力的な夫もいれば、無関心・無意欲な夫もおり、酷いところは夜泣きに対して母親を責めたり怒ったり。たったひとりの夫にすら理解されず、たったひとりの子供に対しての愛情が薄れるばかりか憎しみすら芽生えてしまう、自分が自分でなくなるような恐ろしさ。 結婚して子供ができて幸せなはずなのに、同級生に誘われることもなくなり、SNSで楽しそうに遊ぶ友人たちを見て深める孤独感。 人生を賭して愛してきたアーティストの曲や、好きな小説、好きな食べ物、すべてが無味乾燥に感じてしまう瞬間。 疲れ果てて、眠りたいのに眠ることもできない終わりなきストレスの連続。 安らげる場所がない、笑えない、夜がくるのが怖い…… そんな迷える母親たちの救いの場所となるのが、正体不明の「よなきごや」。誰でも自由に入れて、赤ちゃんに必要なものから母親用のあたたかい飲み物や軽食まですべて無料、さらには防音の眠れる場所まで提供してくれる夢のようなスペースです。 何より、そこには自分と同じように悩み苦しむ他の母親がいて、自分の苦しみや辛さを分かち合い助け合うことができて、孤独な戦いから解放されていきます。 現実には難しいとは思いますが、こんな場所があればいいのにと心底思います。しかし、現実にはなかったとしてもこの物語が形として存在することには大きな意味があります。彼女たちが「よなきごや」によって救われる描写を通して、まさに今同じような窮状にある人も心が救われるでしょう。 すべての命の誕生は奇跡であり、その命を育んでいく営為もまた並大抵のことではありません。今夜も、世界のどこかで押し潰され限界を迎えてしまっている母親がいるのではないでしょうか。そういった人に、この物語の慰撫が届いて欲しいです。 また、父親も読んでおいて損はしません。男性には想像しにくい女性の辛さは多々ありますが、その想像力を補う一助になってくれる作品です。ダメな父親たちを反面教師にしていきましょう。
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2023/08/12
黒髪女子を好きすぎる主人公と私 #1巻応援
1コマ目 ″女子は黒髪に限る″ 2コマ目 ″――これはあくまでも俺自身の嗜好性の高い主張であり かつ無差別に「黒髪であればよい」と言うわけでもなく 所謂清楚系黒髪女子がよいのである″ たった2コマで最早共感というレベルを超越し、まるで主人公と生き別れた双子だったかのようなシンクロを果たしました。 品のある黒髪女子が、昔から変わらず好きです。かつて平安時代のころなどは綺麗な長い黒髪こそが目鼻など顔のパーツを差し置いて美人の象徴だったわけで、その嗜好性が遺伝子に刻まれて脈々と受け継がれているのかもしれないな、と思うほどです。 そんな私にとって本作はタイトルで期待していた以上に、あまりにfor meすぎる物語でした。 同じクラスの清楚黒髪女子の星野さんの黒髪を、密かに遠巻きに眺めては幸せになっていた主人公・笹井彗。どちらもウブで初々しいふたりが、ゆっくりと関係を深めていく物語なのかな? と思っていたら急転直下。 ある意味、『課長島耕作』並のスピード感で事が進んでいきます。『君に届け』のような眩い青春をじっくり読んでいると思っていたら、周囲の景色の移り変わりが異様に速い。そのアンバランスさに心の三半規管がやられそうな錯覚に陥りました。だがそれがいい。 清楚な黒髪女子の星野さんのウブさや小動物感はそのままに(否、むしろギャップによって増幅すらされながら)、彗が理性を崩壊させるほどのかわいさを愛に溢れすぎている営みの中でたくさん見せてくれます。ラブラブえっちの極み、此処に在り。堪りません。 そして、若いふたりは止まらず、どんどん高まっていきます。こんなに純愛で濃厚な交わりをたっぷり見せつけられるマンガは久しぶりです。読切には長く連載には短い一般誌ではなかなかやりにくい展開を、同人という媒体の特性を活かして描き切ってくださっているなと感じました。おまけのエピソードも非常に充実していて、本当に好(ハオ)の極みです。 私にとっては最高の作品ですか、人によっては眩しすぎて直視するのが辛い光のような作品かもしれません。ともあれ、黒髪清楚女子が好きな方や幸せなカップルのイチャイチャを堪能したい方にお薦めです。
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2023/08/11
山岸凉子さんの名作たち再び #1巻応援
先月から、山岸凉子さんの名作短編が復刊し電子書籍でも発売され始めました。『日出処の天子』や『アラベスク』などの代表作は一昨年から電子化されており、そちらも人生で一度は触れてみてほしいのですが、この夏の怪談シーズンに読むには『わたしの人形は良い人形』や『汐の声』といったホラーの方での代表作もまたうってつけでしょう。 そんな中で、8月10日に同時に刊行されたのは『白眼子』。こちらは、2000年に短期連載していた表題作「白眼子」と、1990年の短編「二日月」の2篇が収録されています。 『白眼子』は、戦後間もないころの北海道を舞台に、行き場を失った戦災孤児の少女が不思議な力を持つ盲目の男性の下で暮らし始める物語。行き場もなく、恵まれた容姿や能力も持たずに喘鳴しながら生きる主人公の閉塞感が強く伝わってきます。決して楽とは言えない環境でありながらも、少しずつ成長を重ね人生を歩み営んでいくさまに胸を打たれます。 一方で、物語の焦点が白眼子と呼ばれる男性の人の運命を観る力の方に当たっていくと、興味の方が強く立ち上ってきます。白眼子はただ単に「観る」だけのこともあれば、特別な行為を以てそれ以上の干渉を行うこともあります。その力がどういう性質のものなのかが解る瞬間は、なるほどと思わされ山岸凉子さんらしさも感じました。 「災難はどうしたって訪れる。大事なのは、それをどう受け止めるか」という件は、人生を生きるに当たって服膺したいところです。「白眼子」はホラー的な要素もありながらも、全体を通してみると上質なヒューマンドラマであり読後には暖かさがあります。2000年以降の山岸作品の中では特に好きです。 「二日月」の方は、不気味な転校生によって穏やかな日常が浸食されるサイコホラーです。仲の良い友達や気になる男の子という普通の少女マンガで見られる関係性の中に、じっとりと粘りつくように入り込んできて掻き乱してくる転校生。何とも言えない厭な感じの演出が、非常に巧みです。転校生がとあるゲームチェンジを果たしてからは、ますます追い込まれていく主人公。 『わたしの人形は良い人形』や『汐の声』のように直接的に怖がらせてくるお話ではないですが、いわゆる「人にしか出せない湿り気」のようなものを存分に感じさせてくれる一篇です。二日月の日になると思い出してしまう作品ですね。 この機会に、他の名作たちと併せて読んでみてはいかがでしょうか。 余談ですが、少し前に北海道に訪れたときに狸小路を訪れていたのですが「白眼子」の舞台になっていたことに改めて読んで気付かされました。知らず知らずのうちに聖地巡礼をしていたようです。これが、『わたしの人形は良い人形』や『汐の声』の舞台であったら夜眠れなくなっていたと思うので、「白眼子」の舞台で良かったです。
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2023/08/10
ロシア人が描く独裁否定の寓話 #1巻応援
ロシアによりウクライナ侵攻が開始されて1年半。現在もなお毎日さまざまな情報が飛び込んできます。 そんな今であるからこそ読まれるべき作品がロシア人の手によって描かれ、そして邦訳されました。本作は、架空の独裁国家サバキスタンを舞台にフルカラーで描かれる寓話です。 ロシアマンガを読んだことがある人は非常に少ないかと思いますが、翻訳も良いですし日本のマンガを読み慣れている方であれば苦もなく読める上手さを感じます。 物語は、サバキスタンを訪れるジャーナリストであったり、国内で忠誠を誓って働く人であったり、また独裁者本人であったり、さまざまな視点から多角的に描かれて進行していきます。その中で描かれる国家としてのさまざまな矛盾や差別、不条理は現実の写鏡のよう。キャラクターが動物の擬人化として描かれているからこそ、逆にありありと現実を思い起こさせます。それらは、日本で生まれ育っていると想像しにくい現実です。 何より帯文にも引用されている ″なぜ、不幸の中の自由は幸福の中の不自由よりも良いと、お前たちは考えるのだ?″ という、同志相棒ことサバキスタンの長であるドゥルジョーク・トレザロヴィチ・シャリチェスク=ライコフスキーのセリフが、この作品に強靭な骨格を与えています。 かつて、『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーは「私は最悪の民主政治でも最良の専制政治に勝る思っている」と言いました。一方で、本作では「清廉でも公正でもなくとも君主独裁政治の方が、不幸の中にある自由たる民主共和政治よりも幸せではないか?」と独裁者が主張してくるわけです。 この論理に外側から反駁することはできるでしょう。しかし、当人の中では絶対的で揺るがない正当性を持って断行しているわけです。独裁を否定する物語でありながら、非常に強固な行動原理を持つ独裁者が据えられている。彼の言動もまた作中を飛び越え、資本主義社会に生きる私たちも射程に入れて脅かしてきます。そこを否定する論理の帰結が、果たしてどのように描かれるのか。 3ヶ月連続刊行予定ということですが、この物語がどんな形で結ばれるのかは今を生きる者として見届けねばならないと感じます。
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2023/08/09
現代を生きる痛みを強さと優しさに変えて #1巻応援
「生きづらさ」。 一言で表すのであれば、本作のテーマはそこです。 多くの人が感じずに済んでいる痛みを受けながら生きている人に、凛々しく優しくエールを送る作品です。 バンチが送る女性向け新レーベル「バンチコミックスコラル」の先陣を切って送り出されたこの『133cmの景色』は、読切時からクオリティの高さで話題沸騰でした。そして、すぐさま連載化し本日単行本も発売となりました。女性向けレーベルとなってはいますが、連載は『月刊コミックバンチ』で行われており、内容的にも男女問わず広くお薦めしたい内容です。 133cmの身長のまま、小学生から成長が止まってしまい25歳になった主人公・華。 そして、華の後輩であり、ある事情を抱える岩見。 食品会社に勤める彼女たちを中心とする、群像劇です。 華は、低身長であることで過去から現在に至るまで数々の心無い言葉のナイフを刺突されて生きています。困ったことに、ナイフを突き立てる側の人間は自分の放つ言の葉が凶器となって人を傷つけていることに極めて無自覚です。しかし、そんな経験を積んできた華ですら、ときに人を傷つけかねない言葉を無意識に発してしまう。そんな人の世のリアルを的確に描いています。 それでも、 ″人の価値観とか苦労とかって 目に見えないから汲み取るのは難しいよね だから損とか得とかって一面的に見て判断してると いつか他人も自分も傷つけちゃうんだと思う 私はどうせなら自分や他人の「無い物」探しを するんじゃなくてそれぞれの良い面に 目を向けていきたいな″ という華。毎日の仕事が戦場であるという彼女。同じように傷つけられる人に手を差し伸べる彼女。主人公としてあまりに気高く、推せます。 岩見との絶妙な関係性が進展していく様子はもちろんのこと、周りの登場人物ひとりひとりにも味があり、それぞれの生きづらさを抱えているところも堪りません。そうした人たちが集まってできている社会というものの複雑さ・難しさを感じながらも、読んだ後には一欠片の優しさを得られる作品です。 非常に現代的・令和的な物語で、今年の新作で推したい作品ベスト10には確実に入る、大注目作品です。 バンチ編集部へのインタビューでも本作を取り上げておりますので、ぜひこちらも。 https://manba.co.jp/manba_magazines/23852
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2023/08/08
誰が主人公を殺すのか。 #1巻応援
「お、大好きな行徒さんと河田雄志さんの新しい連載が始まったぞ! 今回はどんなギャグで笑わせてくれるのかな〜」 と、ページを開いてビックリ。 あれ……誰が殺したクックロビンみたいな感じではなく、もしかしてこれガチのヤツですか? そんな第一印象を抱いた本作は、1994〜1995年の田舎の街を舞台にしたヤンキー×ミステリサスペンスです。 94年といえば、『クローズ』や『ろくでなしBLUES』や『カメレオン』や『疾風伝説 特攻の拓』などなどが連載していたヤンキーマンガ全盛時代でもあり、懐かしさを感じずにはいられません。 ただ本作が一味違うのは、話の中心にいるのが剣道で全国を目指す主人公・奥寺翔の異常性です。 はっきり言って、彼がこの街に転校してこなければこの作品の物語は上記のような一般的なヤンキーマンガの枠に収まっていた筈です。しかし、翔という劇薬が加わることで、そしてその彼が殺されるということがタイトルと冒頭で既に示されているというところで、独特の味わいを出しています。 3年の水原が統べる川坂高等学校で、1年のトップを張るのがイケメンの城場。整備工場で祖父と暮らし、不良ではあるものの気骨のある城場のクラスに、翔は転入します。物腰は柔らかいものの、どこか不気味な気配を放つ翔は、剣道場を解放するために城場たちと衝突していき――というところからストーリーは展開していきます。 1巻はまだ序の口で、2巻以降から魅力的な新キャラも登場して物語はますます盛り上がっていきます。 しかし、タイトルと冒頭のシーンが表す通りであると仮定するならば、本作は明確にフーダニットのミステリであり、恐らくは1巻に登場するキャラの中に犯人がいそうな気がします。 不良同士の抗争やヒエラルキーにおける葛藤なども、並のヤンキーマンガ以上に描かれていて面白いのですが、目下最大の焦点はそこです。学ランを着ていることから男子学生の誰かであり、体格からして丸茂ではなさそう。喋り方からすると城場っぽさもありますが、学ランのボタンを全部締めているのは森田っぽさもある。 1年後の1995年、誰がどうして奥寺翔を殺したのか。今、非常に続きが気になる作品です。 ただ、それ以上の本作の最大の謎はなぜお二方が突然こんな物語を始めたのか、ということです。いえ、行徒さんの画力の高さがシリアスに生かされているのは素晴らしいと思うんですが。だがしかし、だがしかし……(困惑)
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2023/08/07
欠落を埋め合う家族の暖かさに涙 #1巻応援
1話目を読んだときから目頭を熱くさせられ、その後も毎話心を動かされていて、単行本発売時には激推ししようと思っていました。 それぞれが欠けた部分を抱える家族が、悲しみを背負った上に築き上げていく新たな幸せのハートフルさ・暖かさがとにかく沁みる作品です。 本作は、総二郎(25)と真琴(28)のお互いに子どもを作ることのできない夫婦が、4歳の少女・くり子の里親になり新しい家族として暮らして行く様子を描いた物語。 4歳の子供の興味や好奇心、喜怒哀楽や罪悪感や不安などがとてもビビッドに描かれていて、不意に自分の子供のころを思い出しながら共感してしまうシーンが多々あります。 子供ながらに他人に気を遣ってしまうところであったり、想像の翼を広げて独自の世界を夢想するところであったり。 総二郎が知育菓子の開発企画をする仕事をしていることもあって毎回何かしらのお菓子などを一緒に手作りするシーンが挟まれます。その際に化学的な事象を説明すると、言葉や概念として完全には理解できなくても、くり子なりに頭の中でイメージを生み出していく様子もあるあると懐かしみました。 子供の奔放な言動のかわいさやリアルさは『よつばと!』などを彷彿とさせるものがありながら、本作は諸々の重い感情も描かれているのがポイントです。昔の記憶が欠落しており、その記憶がくり子の言動を通して徐々に蘇っていく総二郎。自分では子供を産めないという残酷な現実を突き付けられたからこそ、人一倍娘を大事にしようとする真琴。くり子もまた、歳不相応な謙虚さや遠慮がちさが見え隠れし、里子に出されているということからも何かしらの過去があったことを思わされます。 そんな3人が、当たり前と世間では言われるような幸せをひとつずつ手にしていく様子に暖かい涙が溢れて仕方ありません。時には失敗もしながら、それすらも小さな幸せな欠片となっていく関係の煌めき。願わくば、その微かで尊い瞬きがいつまでも絶えることがありませんように。 8月を超えて、2023年のパワープッシュ作品のひとつです。
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2023/08/05
「好き」への否定を否定してくれる優しい物語 #1巻応援
『ただいまのうた』、『キラメキ☆銀河町商店街』、『シェアハウス金平糖北千住』などでお馴染みのふじもとゆうきさん最新作。 今回もまた、一際優しさが沁みる作品となっています。 長身で強面な主人公・寿々木薫(すずきかおる)は、見た目に反してお菓子作り、植物の世話、季節のてしごと、裁縫などが好きで得意な少年。 薫が高校入学の日に出逢った同じクラスの春名は、薫とは逆に小柄で美少女のようにかわいい容姿でありながら、柔道が得意で強い男子。仲良くなっていく対照的なふたりを中心に、薫の新しい希望に満ちた生活が始まっていきます。 薫は中学時代に自分の趣味嗜好を否定されハブられてしまっていた経験があり、自分のありのままを受け入れてくれることに新鮮な感動を得て行きます。そこが、何ともハートフルで読んでいてぽかぽかします。 私も思春期の頃にあまり他の男の子がやらないような花の水やりや料理や裁縫など家庭的なことをよくやっていましたし、好きなものを好きでいたら「キモい」と言われる悲しさもよく解ります。昔は今ほどオタクに寛容ではなかったですからね。 しかし、薫が同級生に外見に似合わない趣味嗜好をからかわれて家で凹んでいたときに ″「好きなこと」はこの先も薫を助けてくれる 絶対に大切にした方がいいよ″ と薫の母親が言葉をかけます。何と素敵な言葉でしょうか。好きを否定されて傷ついたことのある人には沁みるセリフでしょう。このお母さんだからこそ、優しい薫少年が生まれ育ったのだろうと思えます。 そして、好きを否定する人を否定してくれる新しい友も得ることができた薫。孫を見守る祖父母のような気持ちになります。 薫とは歳の離れた妹が通う保育園で働く桜子先生への恋や、その桜子先生も外見からでは解らない意外な面を持っているところ、またクラスメイトたちの恋愛動向など、これから面白く楽しめそうなポイントが他にもいくつもあります。 優しい世界の物語に触れたい方にお薦めの作品です。
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2023/08/04
折れた枝でも咲く場所がある #1巻応援
マーチングバンドの次は、華道! 『みかづきマーチ』の山田はまちさんの待望の新作です。 プロットとしては非常に王道中の王道を行っていますが、それで面白いのが流石です。山田はまちさんの青春ものは、安定して良いですね。 華道をメインテーマとして扱う作品は多くなく、知らない世界である人も多い作品でしょう。私もそこまで詳しいわけではないので、本作で解説される内容は興味深く読んでいます。 「即興花生け」という競技のルールもシンプルかつ面白く、またその頂点である花の甲子園を目指すという目標も非常にわかりやすく、素人であるヒロイン・もみじの目線に沿って物語に容易く乗っていけます。 そして、本作の何よりの美点は、画面で華道の素晴らしい魅力を伝えてくれていることです。『みかづきマーチ』の演奏シーンで見せてくれたような表現力を以て、美しく意趣溢れる花々を生ける姿を描いています。作業中も、完成図も、等しく惹きつけられます。白黒なのに、カラーだと錯覚するような鮮やかさです。 一見使えそうにないものや傷ついたものでも、上手く用いることで素晴らしい作品になる様子は、人間の様態にも当てはまるメタファーのよう。もみじの挫折から始まり、華道という新しい道を見つけて再起していく物語ですが、多くの人に強い共感を呼びそうです。 伸び代のあるもみじのこれからの成長を想うと、ワクワクせずにはいられません。周囲のキャラクターたちも魅力的で、その関係性でも見せ場をたくさん作ってくれそうです。 広くお薦めしたい、秀作です。
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2023/08/03
事実はマンガより奇なり #1巻応援
最近、ビッグモーターの醜聞が巷を賑わせています。この時代に、そんなことが現実に有り得るのかと思えるほどの話が連日続々と出てきて驚かされます。 ただ、大谷翔平選手や藤井聡太七冠がマンガでも描かれないような大活躍を見せてくれているように、良くも悪くも時として現実はフィクションを超えていきます。 実際に筆者が体験したことを描いたという、この作品もまたある種の現実を超える話です。 異常な元彼に鼻をフォークで刺されるなど一歩間違えれば死んでいたほどのさまざまな暴行を受けて記憶障害が起きた上に、一人の人間としての尊厳をズタズタに侵されてしまう筆者。そのえげつない相手に対して、徹底的に抗戦していく様子が描かれます。 美人のヒロインが鼻にずっとフォークが刺さって痛々しい姿のまま、というのは創作ではなかなかやれないでしょう。岡田あーみんさんや美川べるのさん、東村アキコさん辺りの絵で想像できなくはないですが、9割以上編集に止められそうです。 元彼や彼の親族の異常性が言動からも絵からも滲み出ていますが、恐ろしいことにこういう人種は全然実在するんだよなとも思ってしまいます。警察における暗部が仄めかされる部分も、その範疇です。 ただ、散々な出来事ではありますが、周囲に良い人が多かったのは不幸中の幸いで良かったなと思いました。彼らがいなかった時のことを想像するとゾッとします。 凄まじい体験談ですが、真に恐るべきはあとがきによれば筆者の中ではこれはまだ人生の中でマイルドな話らしいということです。これ以上の話も見たような、見たくないような。 なお、描き下ろしの秘められた想いとその結末も、とてもリアルだなと感じました。
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2023/07/27
自己犠牲の強い主人公に強い共感 #1巻応援
刺さる人にはとても深々と刺さりそうです。 競争が嫌いで、自分が得をするために他人を蹴落としたくはない。 自分が得られないことで、他人が得られて幸せになるならそれもまた良い。 小中学生の頃から自己犠牲や譲ることが基軸にあり同級生から「もっと強欲になっていい」と言われて生きてきた私は、かなり深い共感を得た作品です。 常に自分より他人を優先してきて、作曲家崩れのヒモと暮らす女性・ひろ野が、ライトノベル作家・涼と出逢ったことでその考え方や生き方を徐々に変えていく物語です。 本作で、特に印象的だったのはバイト先の後輩である友枝とのエピソード。 ひろ野が慎み深さとは裏腹に「人のために何かをする」という相手の喜びを取り上げているのではないか、という部分は考えさせられました。 相手の好意への遠慮は、語弊を恐れずに言えば相手の好意を摘むこと。遠慮せずに受けた方が良い好意も、世の中にはままあることでしょう。大事なのは、それをしっかり見極められる目を持っておくことでしょうか。 自己評価がとことん低いところも共感してしまうのですが、相手が気に入ったり認めてくれていたりする自分という存在を自分で貶めるということは、相手の考え方をも貶めるということに繋がっています。 謙虚さは、時に自分に優しい者を傷付ける悪魔となってしまう。肝に銘じておきたいです。 程よく笑いも交えながら大事なことをしっかり描いている素敵な作品です。
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2023/07/26
画力とキャラの魅力に撃ち抜かれる #1巻応援
『嫌がってるキミが好き』の鬼山瑞樹さん最新作。 前作の最初から絵が良かった鬼山さんですが、最近ますます魅力的になっています。 正直、物語として見ると荒唐無稽なところがいくつもあり破綻しているようにも感じられます。が、「細かいことはどうでもいい」と言わんばかりに画力で殴られる感じがむしろ気持ち良いです。 何しろ、ミモザの目が良い。 引き込まれそうな虚無の瞳。 読んでいるといくつもゾクゾクするような良い表情のコマが出てきます。 「マンガはキャラクター」というひとつの真理に立ち返れば、この作品はミモザがいるだけで「勝ち」です。 そんなミモザと、主人公の少年・宗人が擬似家族を営もうとする素朴な願い。それだけで十分だと感じます。ミモザは現実に喘ぐ思春期の少年の、ある種の夢の具現化のような存在でもあると感じます。 殺し屋としては脆さであり危ういのですが、絶妙に人間味がブレンドされる瞬間も堪りません。 多分、殺し屋なら臭いがつかないように煙草も吸わない方が良いんですが、絵面がカッコいいのでそんなことはどうでも良いんです。煙を燻らせているときの表情、堪りません。 細かいところではミモザの愛好しているマスコットキャラのCHIKUWABU、好きです。
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2023/07/23
唯一無二の友達 #1巻応援
陳巧蓉さんが原作を、『綺譚花物語』の星期一回收日が作画を担当する台湾の物語が日本にもやってきました。 子供のころ、マンガを描いて遊んだ思い出はあるでしょうか。名だたるプロ作家が描いていた小学生のころから異常に完成度の高い作品などとは違い、後年にとても読めたものではない恥ずかしいものが発掘され悶えることもあります。ただ、その時に好きだったものや思っていたことがダイレクトに表現されたそれは想い出の結晶とも言えるもの。そして同時に、それを見せたり逆に見せてもらったりしていた当時の友達の顔も思い出します。 本作でも、そんな自作マンガを通して交流する小学生のふたりの少女の友情を軸に、エモーショナルで美しいストーリーが紡がれていきます。 台中の清泉崗(せいせんこう)で育った筱榕(シャオロン)は、近所の人には婚外子であると噂され、教師からはIQが低い子と詰られ、小学2年生までは顔が不細工だからと虐められていた女の子。9歳までひとりの友達もできないでいた彼女が、自分とはまったく接点がないと思っていたかわいくて成績が良くて絵も上手いクラスでも人気者の可蔚(カーウェイ)と、ふとしたきっかけで仲良くなっていくところから物語は幕を開けます。 小学生という自らの情動をコントロールするのにまだ長けていないころ特有の、縺れたり解けたりする繊細で複雑な感情の描き方が巧みで引き込まれます。初めての友達ができた時の嬉しさが蘇ります。メインふたりの関係性が、本当に良いのですよ。 そして、いろいろなイベントが発生する中で、後から解る事実によって過去が今に波濤となって打ち寄せる構成にも心を揺さぶられます。人生も、その時には解らなかったものが後になって理解できて物想うことは多々あります。そんな多層性も持ち合わせている作品です。 何より、今回も星期一回收日さんの絵が相変わらず魅力的です。筱榕と可蔚の絶妙なバランスが、何よりも画によって雄弁に語られています。 1冊完結ですぐ読めますが、何巻分も読んだかのような満足感に包まれます。広くお薦めしたい作品です。
兎来栄寿
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2023/07/21
美青年が好きなリーマンがホストにハマる #1巻応援
ひとりの友達も恋人もいない、真の意味での独身サラリーマン・片山秀一が、ホストクラブにハマっていく様子を描いた異色の作品です。 秀一の唯一の趣味は、美青年を見ること。美しい少年や青年を見て心を潤すのは素晴らしいことです。しかし、30代の男性を主人公にしてそういう趣味を謳歌することを描いた作品は多くなく、そこがまず面白いなと思いました。 そんな彼は、チケットを買えなかったアイドルのライブ会場に雰囲気だけでも味わうために行った結果、女性ファンが自分を見る現実的な厳しい視線に晒されて心を折られてしまいます。このシーンに限らず、本作は共感性羞恥の嵐で読んでいて辛くなるシーンが多いのですが、惹き付けられる部分があります。 秀一がどうにもやり切れない感情に翻弄されている時に出逢うのが、ホストクラブルークに勤めるホスト・月城悠。秀一の孤独感を見抜いた悠が、あえて目を見ないで話すなど秀一の心地良い距離感を作って秀一からの信奉を得ていくところの巧さ、その一方でかわいい女の子でもない一人の野暮ったい男性客に対する本心の発露する描写にはやられます。 しかし、同伴やシャンパンを入れるなどホストクラブ定番のイベントをこなしながら徐々にLINEのやり取りなどで「おもしれー男」感を出していく秀一に、悠の中でも若干の特別感が生まれていきます。ただ、そう単純には事が運ばなさそうな感もそこかしこの細かい描写から感じられ、面白いです。 秀一に夜の世界の精髄を教えてくれるみかぴなど、話を動かしてくれそうなサブキャラも今後更に味を増していきそうです。「秀一、実は隠れ美形説」が生かされて行くのかも注目しています。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/20
それは太古から未来まで人間に宿る普遍性 #1巻応援
たっぷり65ページを使った初回を読んだ時、「これは熱い連載が始まった!」と感じました。 漫画家を志望しながら芽が出ないまま32歳になった主人公が、ある日酔い潰れている時に出逢った謎の美少女に 「童貞だからこそ夢のある魅力的なヒロインが描ける」 と見出され、二人三脚で伝説のエロ漫画家への道程を歩んでいく物語です。 第一話でとても良いなと思ったのが、ヒロインのよすがが語るエロ漫画の魅力。古事記の時代から現代に至るまで続いている文化であり、かつエロ漫画のジャンルとしての自由さを説くところは首肯しっぱなしでした。 よすがが語る通り、エロ漫画とは極めて自由なジャンル。それを体現するかのように、今年も『出会って4光年で合体』という怪作も世に出てきました。かつてエロゲーというジャンルが持っていた制約と、そこから生まれた名作が昨今のあらゆる作品にも大きな影響を与えていることとも通底しています。 日本人は、和歌からネット上の大喜利までそうですが、緩い縛りを設けてその中で自由な発想で遊ぶことに非常に長けた民族です。だからこそ、エロという唯一の縛りがあるエロ漫画というフィールドで、時に一般誌では花開くことのなかった才能も開花するのだと思います。 そして、何といってもマンガを描いて一番嬉しい瞬間、読んだ人が喜んでくれるところもしっかりと描写されているので、ニッチなテーマではありますが普遍的な感動や興奮もあります。ジャンルこそエロ漫画ですし、主人公が片や童貞、片や美少女であることでそこに関係性の面白さも乗っかりますが、やっていることの根本は『まんが道』ですからね。 可能性に満ち満ちたエロ漫画というジャンルで、彼らが今後どんな驀進を、あるいは葛藤や障害の克服を見せてくれるのか。 「全人類勃起させるほどの大作を編み出してやるぞ!」 という、よすがの語る夢をどう実現していくのか。そして、二人の関係性はどうなっていくのか。とても楽しみです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/19
「絶対ハマらない」と思っていた沼こそ危険 #1巻応援
人生の最推しが2.5次元や3次元になる時の恐怖といったらありません。3次元の人間が、どうやったらあの仙姿玉質・鮮美透涼・晶榮玲瓏・文質彬彬な姿を演じられるというのでしょうか。 かつて、その機会が訪れてしまった時、私は筆舌に尽くし難い慨嘆と憔悴に至りました。愛があまりにも深すぎるが故に要求値は比類無き高さとなってしまっていることは自覚しており、満たされるわけもないと解っていてはいる……それでも自らの目で見て確かめずにはいられず、その結果絶望の淵に立たされる。 その作品がどれだけ他の実写化作品に比べて恵まれていたかは解りました。何なら、監督の原作愛の深さで言えば上位1%に入るであろうレベルでした。私自身その作品への愛ゆえに作品に出演し、その監督やキャスト陣の仕事ぶりを生で見てきたからこそ感じられた部分です。とても雰囲気の良い現場でした。 しかしながら決定的な部分、最愛の人物のキャスティングの解釈違いと、そこだけは無理してでも頑張って欲しかったという部分が妥協されていたことで、原作ファンには概ね高評価のその作品も、私の中では大いなる黒歴史となってしまいました。not for meの極みです。それでも、作品ファンが増えてくれるなら、あるいは原作者が喜んでいるのなら、それはそれで大変喜ばしいことではありました。なので、最早私は無の境地を経た上で原作を愛する以外ありませんでした。 というわけで、第1話で "「実写化」なんて全部ゴミです!!  「劣化」です!!!!" と雄叫びを上げる本作の主人公・愛理の気持ちは痛いほどに解ります。ただ、愛理と私で違ったのは、こちらの次元にやってきた推しの完成度が非常に高かったこと。推しが2.5次元や3次元になるなんて有り得ないと思っていた愛理ですが、それまでは同じ作品を好きな仲間とも共有できなかった推しに対する深い解釈が、推しを演じる2.5次元俳優とだけは合致してしまったのです。そんなん沼りますよ。常に供給のあるナマモノジャンルは恐ろしいと太古から言い伝えられていますからね。 ある種、遠いところにいた人ほど沼の深みにハマっていくパターンはあります。近いところにいた人が普通に持っている物差しがなく、何もかもが新鮮であるが故にの楽しさもあるからです。絶対にハマらないと思っていたからこそ、自分の予想だにしなかったところまで突き進んでいく。共感するわけではないのですが、極めてそれに似た理解の感情が湧き起こります。 また、さまざまなタイプの女オタクの面倒くさい部分やSNSで本当に呟いていそうな書き込みの解像度の高さも秀逸です。既視感を覚えるほどのあるあるがあります。それと共に、2.5次元俳優側の描写もしっかりと行われ、そちらもかなりリアルな印象です。「自分の消費期限」や「需要と供給」に自覚的な彼らの立ち居振る舞いも、目を引きます。 物語全体は、破滅的な濁流に飲み込まれるようなドライヴ感が生じていきます。危うさを覚えながらもこの先どこへと辿り着くのか、引き込まれます。 2.5次元に興味のある方、推しへのガチ恋の沼底や女オタクの闇の部分を覗き込みたい方にお薦めです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/18
このふたり甘すぎにつき #1巻応援
このふたり、カスドースよりもグラブジャムンよりも甘い! しかも驚くべきことに実話ベース! 10歳差の相思相愛な女性同士による日常のイチャイチャや惚気が縦横無尽に繰り出されるお話。百合姫にはそんなお話は無数にありますが、こちらは何と作者のひあるろんさんと達磨さんの実際のエピソードが描かれているそうです。 年上の小春は湊のことをハチャメチャにかわいいと思っており、年下の湊は小春のことをハチャメチャにかっこいいと思っていて。一見すると外見的には逆なのでは? と思えてしまいそうなそのギャップもまたディモールトベネなのですね。 お互いへの矢印が強すぎて、知能が低下し胸焼けしそうなほどの甘々さ加減なのですが、気持ちはとてもよく解ります。ささやかな喜びですら潰れるほど抱き締めるというのに、こんなに大きな喜びが怒涛のように押し寄せる状況ではキャパオーバーになってしまうのも致し方なし。 事実は小説よりも奇なり。創作でやったらやり過ぎではないかと思うようなことも、むしろ現実でこそ行われてしまう。世界の存続と崩壊を天秤にかけている神様すら、この世界もまだ捨てたものじゃあないと思ってくれるであろうレベルです。 ふたりでいるからこそ世界が美しく輝いて見えるし、そんな関係をおばあちゃん同士になっても続けていたいと願える。何と素晴らしいことでしょう。ずっとずっとお幸せでいて欲しいです。 基本的に、ひたすらイチャイチャしてるのを眺めて幸せをお裾分けしてもらう感じですが、「馴れ初め」のエピソードは一味違ってまた別種の良質な栄養素を補給できます。SNSや配信文化のある時代ならではの、そうした文化にも助けられて育まれたふたりの想いの萌芽と成長はとてもとても良いものです。 仲睦まじい女性ふたりのやり取りを見て元気を得られる人にお薦めです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/17
1/65536の純情な感情 #1巻応援
スマスロの登場や、初代を強く意識した北斗の拳などで久しぶりにホールに足を運ぶ人も現れ、斜陽と叫ばれながらも昨今も盛り上がりを見せるパチスロ。時にはにゃんこ大戦争のような謎の台も登場し、話題に事欠きません。ちいかわとか相性良さそうだな、と思ったり思わなかったり。 そして、世の中にはパチスロマンガというジャンルも存在するわけですが、一般的なパチスロマンガはもう少し実録的な台の攻略や実践を描いた形式が多いです。しかし、本作はかなりストーリーマンガに寄せている珍しいタイプの作品です。 子供がドラえもんを欲するように、パチスロを打つ人なら誰もがこの作品に登場するアンドロイド「AI」が欲しいでしょう。ビッグデータを元に高設定台や据え置き天井直前の台を看破し、強イベント日の良台・悪台を見極め、目押しも完璧にこなし続ける最強のAI。しかも、見た目はかわいくて気立ての良い美少女。 アンドロイドとの関係性を描いたプロットとしては極めて王道ですが、終盤のシーンは感動的です。そこに上手くパチスロならではの要素を組み込んでいるのも、本作ならでは。 「バジ絆の残3」やら「ディスクアップ」やら、パチスロを知らない人には何が何だかわからない部分も多いかと思いますし、『ロックンリール』ほど誰しもに無条件でお薦めできる訳ではないですが、ある程度打っている方であれば楽しめるでしょう。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/16
日常のささやかな愛しみ #1巻応援
校正の仕事に加えて書店員としても働いている夏子の退屈だけれどすてきな日常を描いたこの作品には、取り立てて大袈裟なことではないにせよ日々の片隅にある微かな心の動きがたくさんピン留めされています。 何でもない日常の何とも言えない「おかし」を掬い取って描くことは、本作でも少し登場する『枕草子』の時代から行われてきた営為で、私たち日本人の心の奥深くに根付いているものかもしれません。 お母さんが持ってきてくれたレモン水の黄色と、庭に咲く紫陽花の青とのコントラストが美しく映えていたこと。 プール開きした瞬間に雨が降って昼ご飯だけ食べて帰ることになったけれど、そこで食べたカップ麺が何だかとても美味しく感じられたこと。 まったく同じ体験ではなくとも、記憶の奥底にある幼き日の思い出を蘇らせてくれます。今は無きとしまえんのプールの後に食べたエビピラフは、最高に美味しかったなぁ……。 また、飲食店でたまにある「たっぷり3種のチーズ&フレッシュバジルのパスタ」のような長い名前のメニューを「バジルのトマトパスタを」のように適度に略すのも解ります。頑張ってフルネームで言っても店員さんの方が略すこともままありますからね。 そして、校正という仕事について描かれている部分も興味深く面白いです。私も文章を書く仕事もあり、人並み以上に興味があるところで、日常に職業病が出てしまうのは少し解ります。「どんなに頑張って気を付けて誤植や人のミスはあるので気にしない」という精神性には少し救われる思いです(最大限気を付けますけども)。 地味に好きなポイントは、買ったコートすべてが短命に終わってしまう夏子に対して「『深夜食堂』にそういう人いたよね」という友人ゆきちゃんの絶妙な返しです。「私は海原雄山か」などオシャレ美人がちょいちょい繰り出してくるグルメマンガネタ、良いです。流石は『ハラヘリ読書』の宮田ナノさん。 巻末には本作に登場した実在する書籍の一覧もあり、読書好きの方はより楽しめそうです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/16
「ヒト化」という設定の面白さ #1巻応援
『高尾の天狗とミドリの平日』の氷堂リョージさん最新作。 作り込まれた独特の設定が魅力のファンタジー物語です。 この『虫の皇女マユの旅』の世界ではヒトが地上を支配者となっているものの、「ヒト化の秘術」というものをとある偉大な魔法使いが生み出し、哺乳類・鳥類・海洋生物・虫など、さまざまな生物の代表者がヒト化をしてヒトの社会に介入してきます。なお、ヒトは魔法を使えないのですが、ヒト化した生物は皆元々の特性に応じて何かしらの魔法を使えますそれ故に、ヒト化した生物に対して好い感情を持っていないヒトも多いという設定も重要なポイントです。 本作の主人公は、「ヒト化できるのは認可された生体のみ」という掟を破って幼い身で非合法のヒト化を受けた蚕蛾のマユ。虫国の皇位継承者であるマユは従者である蛍蛾のホタルと共に、ヒト化が解ける1年という期限の間に偉大な虫帝となるべく見聞を広めようと冒険に出ます。ただし、ホタルはマユになるべく危険な目に遭って欲しくないので極力安全に1年をやり過ごさせようとします。その辺りの、各々の考え方や目的の食い違いも面白さを生んでいます。 マユが冒険に出た先ではアシダカグモやヤマトゴキブリ(中身はゴキブリと言っても、外見はただの眼鏡イケメンなので閲覧注意ではないです)などなど、さまざまな生物と出逢いながら、慣れないヒト化した体に(排泄・トイレの使い方が解らないなど)悪戦苦闘しつつも見聞を深めていきます。 マユは世間知らずではあるものの、 「ヒト化した者たちがヒトによく思われないことがあるのは  互いをよく識らないからという面もあろう」 など、時に本質を突いて種族の垣根を越えた道を示します。その様には、皇族としてのカリスマ性が垣間見えます。 「ヒトの支配はせいぜい数千年、一方で虫の支配は4億年」という、現実でもたまに言われる事柄を上手く設定に取り込みながら、物語の歯車が回されていきます。 毎回、どんな生物がどんな魔法を使えるのかという小さな楽しみがあり、それぞれのキャラクターたちの思惑が複雑に絡み合うのも面白く、そして物語全体という大きな楽しみもあるので密度濃く楽しさに溢れている作品です。 虫が話の中心ではありますが、基本的にヒト化した姿で登場するのでヴィジュアル的には虫が苦手な方でもそこそこ大丈夫かと思います。面白いファンタジー系の作品が読みたい方にお薦めします。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/07/14
女子校のゆるい空気感の良さ #1巻応援
2023年も気付けば折り返していますが、卯年に読みたい作品がまたひとつ登場しました。 今の『週刊少年マガジン』はとにかくラブコメ激戦区なのですが、その中で一際異彩を放っているのがこの作品です。 女子校が舞台といえばお嬢様高校かそうでないかで分かれますが、本作は後者。気取らず飾らず等身大の女子高生たち、そして彼女たちの担任である倫理教師の水戸耕平(31)を中心として、ゆるく楽しく姦しい日常を過ごしていく姿がコミカルに描かれます。 私は、耕平に密かに好意を寄せる生徒・牧田が特に好きです。かわいかったり、少し暴走したりする牧田の言動は程よくラブがコメっていて良いです。それに対して、耕平がとてもフラットな反応なのもまた良い味が出ています。 ただ、特に何も事件が起きていなくても日常の掛け合いだけで面白いのが才能を感じさせます。生徒も教師も個性豊かなキャラクターたちが入り乱れ、10代のころを思い出す仄かなノスタルジーと、たっぷり入った笑いが心地良く毎回楽しみな作品です。 筆者自身が女子校出身で、しかもまだ10代ということでフレッシュな記憶や体験を元に描かれているという部分も大きいのかもしれません。個性的なキャラクターたちにはモデルがいそうです。 『あずまんが大王』から『女の園の星』まで、女子高生たちの若いエネルギーが生み出す笑いが好きな方にお薦めです。