にわか1年以上前「ガンニバル」は「ハンニバル」をロシア語表記したものを指す言葉のようです。 タイトルは、人食い「ハンニバル•レクター」から取ったという考えは間違いないと思うので、それが何故ロシア語表記なのかが大きな謎ですね。今後の展開に大きく関わってくるような気がして、ワクワクしますガンニバル閉鎖的な村を描くサスペンス新連載4わかる
吉川きっちょむ(芸人)1年以上前加納梨衣先生の短編集が出たら絶対に買う!と誓ったスペリオールの読切。 美大受験で一浪し、予備校に通っている純情少年が初めての裸婦デッサンに動揺を隠しきれず全く描けなくてムキになっていたところに、さっきのヌードモデルが話しかけてきて・・。 あんなに爽やかで胸キュン必至の『スローモーションをもう一度』が描けて、こんなにじっとりとしたエロティックな作品も描けるなんて! 多くの言葉を必要としない、心情を表情や目で語る描き方がとても上手いし面白いし、美しい。 間を表現する表情のアップにハッとさせられる。 セリフは関係や感情を示すわざとらしい言葉は極めて少なくごく自然なやりとりがされているところが映画的で素晴らしい。 50分くらいで映像化してくれたりしないだろうか。 面白くない映画の特徴として、やたらと状況や感情を言葉で説明してしまうものがあって、そうされてしまうと観る側としてはその人にそれ以上の何かがあるようにも思えず、もはやそのキャラクターに自分を重ね合わせてその奥の感情を読み取る気が萎え、全体的に薄っぺらく感じて興醒めしてしまう。 それに比べてこの作品は表情の一つ一つで読者をがっちり掴んで離さない。 彼女の目がすごい。 目は口ほどに物を言うとはいうが、この目が感情を語り、心動かされ、その心情の奥を掘り下げたくなってしまう。 主人公の前にはまだまだ可能性が満ち溢れていて、経験したことがないこともたくさんある。 そんなとき突然鼻先にぶら下げられた魅力的な彼女、突き動かされた性欲に思考がぶん回され本来の目的を見失ってしまうのも分かる。 彼女の好意と興味は確かにあったであろうが、それが相手の人生を狂わせてしまうものであれば、と決断するほどには本気だったのかもしれない。 いや、だからこそ逆に遊びなのか? どちらにせよ、優しさゆえの決断だったと分かるし、もっとしっかりしていれば違う形もあったんじゃないかという後悔も出てきそうだ。 その決断に報いるには前を向いて頑張ることだ。 スマホやLINEらしきものが出てくるので現代と分かるが、それ以外は特に時代性を感じさせず、いつの時代のどこの地方に当てはめてもある程度読めそう、というのが僕は大好きだ。 路面電車とか、髪のなびき方、乱れ方などディテールの良さと画面の白さの抜き加減のバランスもたまらない。 あー、絵とか全然描かないけど、知り合いがやっているヌードデッサンにたまらなく行きたくなってしまった。裸の肖像いい短編に出会えると本当に嬉しい #読切応援7わかる
名無し1年以上前締切は12/31(月)までだけど、「#4ページ恋愛漫画賞 」でツイートすれば簡単に応募できるうえ入賞すれば雑誌掲載とか、世の中進歩しててビックリした https://twitter.com/magazine_young/status/1057883703156924416自由広場マンガ描いたらどこに投稿する?!1わかる
にわか1年以上前#COMITIA126 戦利品です タダノなつ 人類最後の 模造クリスタル ファイアーメイジ 矯正器具 〝キル・オール・ヒッピーズ〟 たいぼく うそでも笑って暮らそうよ。 さやわか+西島大介 マンガ家になる! 個人的には模造クリスタルの参加がめっちゃ嬉しかった。作品も純粋に良かったなぁ〜 自由広場コミティアの戦利品挙げてこうぜ4わかる
名無し1年以上前元上司に飲みから帰る電車待ちのホームで言われた「編集王って漫画があってさぁ…」正直内容なんて覚えていない。特別好きな上司でもないけれど嫌いでもない上司。誰にでも装うのがうまかったし上にも下にも世渡り上手だった。しかし人が好きな漫画を語るときは素が出ると思ってる。しかもここが好きとか内容について詳細に語るとき。そんなにいいなら一回読んでみよう。携帯の画面にメモしたと思う。機種変して残ってないけど。タイトルはこれだったはず。編集王。一巻を読み終わって泣いている。全巻揃えます。編集王編集王ぉぉお6わかる
影絵が趣味1年以上前『ちびまる子ちゃん』で世に知られるさくらももこには隠れた名作がある。それは読み切り作品として『ちびまる子ちゃん』の各巻末に収録された『ほのぼの劇場』である(現在は文庫版にして上下巻にほのぼの劇場のみを抜粋したものがある)。 ほのぼの劇場は、いわば"永遠の小学3年生"まる子の前後譚であり、幼稚園生の頃からデビュー前後ぐらいまでの出来事がまちまちに描かれている。はじめて鼻血を出した日、マンガ家デビューが決まった日、小学6年生の運動会、盲腸になった日、高校3年生の失恋、はじめての雪遊び、はじめてディスコに行った夜、大好きな担任先生の転任、はじめての一人暮らし、ある友人の転校、受験生の夏、等々、能天気に小学3年生をくりかえす『ちびまる子ちゃん』本編とはうって変わり、そのどれもが人生においてたったの一度切りしか起こりえない"あの頃"として描かれている。『ちびまる子ちゃん』にしても作品背景こそノスタルジックなあの頃にはちがいないが、ちびまる子ちゃんはあくまでも過去を振り返らない現在進行形であり、つまり現在から果てのない未来に向かって描かれ、それゆえに"永遠の小学3年生"でありつづける。いっぽうで『ほのぼの劇場』は、起こってしまった一度切りのかけがえのない体験を、つまりもはや取り返しのつかない不変の過去を現在から観照して描いている。 『ほのぼの劇場』を読んでまず読者は、小学3年生時点からみて過去のまる子/未来のまる子が「まる子」と呼ばれていないことに驚きを隠せない。ここではあの馴染みのまるちゃんが「ももこ」や「ももこちゃん」や「ももこさん」と呼ばれているのである。"ももこ"とはもちろん作者さくらももこの"ももこ"にほかならない。ところが驚くもなにも、まる子にしても単にあだ名として呼ばれているだけで、それは確かにさくらももこであり、つまり少なからず作者自身の投影として描かれている。あえて作品世界の繋がりを尊重するならば、まる子=さくらももこは小学3年生のときだけあだ名"まる子"で通っていたことになるが、しかしそれにしても『ちびまる子ちゃん』に登場するさくらももこ、『ほのぼの劇場』に登場するさくらももこ、このふたつのさくらももこは単に時間軸の隔たり以上に異質さをもっているように思われる。そもそも『ちびまる子ちゃん』の劇中のまる子=さくらももこというものに対して、作者さくらももこという存在は、作品の内外のそこかしかこに介在していながらあまりに希薄すぎはしないか。平仮名で書かれた"さくらももこ"というベタすぎるペンネームからして他の文字群に混ざって雲散霧消してしまいそうである。つまり『ちびまる子ちゃん』にとって主人公まる子は作者の投影でありながら、そこに作者は不在というより透明になり姿をくらましているのである。いっぽうで『ほのぼの劇場』の主人公には、単に名前の呼ばれ方がちがうという以上に、作者さくらももこの存在がそこここに見え隠れしているようには思われないか。『ほのぼの劇場』は透明な作家さくらももこが姿を現した唯一の作品ではありはしないのか。 ところで『ほのぼの劇場』から作者の人間くささがしてくるのは、それが現在から過去を描いていることに関係してはいまいか。過去というものは今ここには存在しない代わりに決定事項であり不変である。いっぽうで未来とは可変である、可変であれば先行きはわからない。先行きがわからないという意味での不透明という言葉があるが、透明すぎても何もみえない。さくらももこの透明性とは実はこのどこまでも続く現在進行にあるのではないか。ちびまる子ちゃん透明な作家さくらももこ36わかる
名無し1年以上前長崎県 久保ミツロウ 小玉ユキ 谷川史子 内田春菊 岩谷テンホー 蛭子能収 丸尾末広 高井研一郎 知ってる範囲ではこれくらいかな? 自由広場自分と同じ出身地の漫画家を自慢しよう!6わかる
にわか1年以上前爽快だけどめちゃくちゃだw 今後は主人公がヒロインをサポートしていくことになりそうだな。スカッとする正論を言うだけじゃ政界でやってけるわけがないから、そこをいかにリアリティを保持しながらやっていけるかがポイントだなぁ恋と国会西炯子のスピリッツ新連載1わかる
名無し1年以上前ドラマが、中学生の息子を持つ母親(晶の母みたいな人たちか)に大不評らしいですね。 聖や晶のコミックでの雰囲気を生かせていないということでしょう。 連載に影響が出ないでほしいです! ドラマがどうなっても、原作は筋を通して続いてほしい。続きを読み続けたい!中学聖日記中学3年生が恋をしてしまったのは婚約者のいる女教師5わかる