投稿
コメント
わかる

自分は大好きだし、そこそこヒット作もあったりする。
でも、世間では超一流とは評価されているといいがたい。
売れてないわけでもない、かといってダレもが知っている
という存在とも言いがたい。
もっと売れてもいい、実力はある、
そんな存在ではないかと思っている
漫画家の先生や作品に思い当たりはありますか?

私はコンタロウコンタロウ先生(1・2のアッホ!他)、
富沢順富沢順先生(企業戦士YAMAZAKI企業戦士YAMAZAKI他)
などを、あげます。
両先生には失礼な言い方で申し訳ありませんが。

こんなカー・レースもあるんだ、という感じに 色々なアメリカーンなレースを見せてくれた。 特に面白かったのは大陸横断レース。 たしか映画の「キャノンボール」が公開を されたのとほぼ同じ時期に連載されたと思う。 どっちが先だったかはわからないが、 映画もドロファイターもそれぞれキャラが立っていて とても面白かった。 ロッドとラッキーのコンビ、最高(笑)。

こんなカー・レースもあるんだ、という感じに 色々なアメリカーンなレースを見せてくれた。 特に面白かったのは大陸横断レース。 たしか映画の「キャノンボール」が公開を されたのとほぼ同じ時期に連載されたと思う。 どっちが先だったかはわからないが、 映画もドロファイターもそれぞれキャラが立っていて とても面白かった。 ロッドとラッキーのコンビ、最高(笑)。

@名無し

そうそう、『トランザム7000』や『キャノンボール』的なエピソード、良いですよねえ。『ジョジョの奇妙な冒険 第7部 モノクロ版スティール・ボール・ラン』をどんだけ先駆けてんだ、って話で。
それに、あの辺のエピソードって今思うと、完全に「アメリカン・ロードムービー」でした。
ドロファイタードロファイター』は、自分がロードムービー的なるものに触れた、初めての記憶かもしれません。

赤いペガサス赤いペガサス』は日本にF1ブームが来る遥か以前でしたし、『ドロファイター』で描かれたNASCARやインディなど北米のカーレースに至っては未だに日本でメジャーメジャーになっていないことを考えると、村上もとか村上もとかの先進的独自性は本当に素晴らしいと思います。

私もドロファイターのラストシーンは大好きです。 全開で追い上げを開始してからの盛り上がり方と、 ラストの余韻が凄く好き。 それまでの、これでもかというほどの 疾走感が溢れるシーンから、一転して 一コマ一コマに釘付けにさせられてそして・・。 ドロファイターというのは ドロに塗れて戦って、ドロの中から賞金を 掴み取る、というワイルドな存在。 主人公・ノブはまさにそんな感じでワイルド過ぎる男。 第一話ではハンドルを折ってしまうほど。 だがドロファイターとはワイルドなだけではない。 同じ失敗を繰り返す愚直な存在はドロファイターではない。 自身を成長させつつもワイルドさを失わない。 成長するかわりにワイルドを失うわけではない。 成長するし洗練もされるがワイルドであること。 それがドロファイターなのだと思う。 ノブもサキもワイルドなまま男として女として成長し、 そして家族という安息も得る。 だがドロファイターのままだ。 そんなラストが物凄く好きだ。

私もドロファイターのラストシーンは大好きです。 全開で追い上げを開始してからの盛り上がり方と、 ラストの余韻が凄く好き。 それまでの、これでもかというほどの 疾走感が溢れるシーンから、一転して 一コマ一コマに釘付けにさせられてそして・・。 ドロファイターというのは ドロに塗れて戦って、ドロの中から賞金を 掴み取る、というワイルドな存在。 主人公・ノブはまさにそんな感じでワイルド過ぎる男。 第一話ではハンドルを折ってしまうほど。 だがドロファイターとはワイルドなだけではない。 同じ失敗を繰り返す愚直な存在はドロファイターではない。 自身を成長させつつもワイルドさを失わない。 成長するかわりにワイルドを失うわけではない。 成長するし洗練もされるがワイルドであること。 それがドロファイターなのだと思う。 ノブもサキもワイルドなまま男として女として成長し、 そして家族という安息も得る。 だがドロファイターのままだ。 そんなラストが物凄く好きだ。

@名無し

そうなんですよね〜。
最後のレースで、「周りはみんな週刊少年チャンピオンチャンピオンばかり…野良犬みたいなおれが勝っているのはパワーだけなんだ!」って、自分に火をつけるところ、滾(たぎ)りまくるんです。
それで、あのラストシーン…。

もうね、その後の人生で厳しい状況に置かれるたびに、自分は、このガキの頃に読んだ「おれにあるのは○○だけだ」ってのを自らに言い聞かせて、「今もドロファイタードロファイター!」と思えるラストに向かっていったものです。

実際の人生に勇気を与える、本当にフィクションの「力」ですよねえ。

私もドロファイタードロファイターのラストシーンは大好きです。
全開で追い上げを開始してからの盛り上がり方と、
ラストの余韻が凄く好き。
それまでの、これでもかというほどの
疾走感が溢れる。溢れるシーンから、一転して
一コマ一コマに釘付けにさせられてそして・・。

ドロファイターというのは
ドロに塗れて戦って、ドロの中から賞金を
掴み取る、というワイルドな存在。
主人公・ノブはまさにそんな感じでワイルド過ぎる男。
第一話ではハンドルを折ってしまうほど。
だがドロファイターとはワイルドなだけではない。
同じ失敗を繰り返す愚直な存在はドロファイターではない。
自身を成長させつつもワイルドさを失わない。
成長するかわりにワイルドを失うわけではない。
成長するし洗練もされるがワイルドであること。
それがドロファイターなのだと思う。
ノブもサキもワイルドなまま男として女として成長し、
そして家族という安息も得る。
だがドロファイターのままだ。
そんなラストが物凄く好きだ。

昔の漫画の名作って、ある意味、主人公の「死」がラストなんですよね。アトム、009、デビルマンデビルマンワイルド7ワイルド7、ジョー、男組…他にもいっぱい(その後に続いちゃったのも多いけどw)。
シェークスピアの悲劇ですな。

この漫画のフィナーレは、そういう定型を打ち破り、小学生だった自分に「こんな終わり方があるんだ!」と感動をぶち込んだ超名シーン。

熱風の虎熱風の虎』『赤いペガサス赤いペガサス』と、モーターレース漫画の地平を切り拓いた著者が、ナスカナスカーを舞台にした(…って、凄いな。こんなテーマ、今でも絶対無理だろう)、飛びっきりの「少年漫画」です。

続く『六三四の剣六三四の剣』でも、連載前に『修羅の剣』短期連載したり、村上もとか村上もとかはオーソドックスに見えて、構成や演出に実に凝った技を使う、極めて先鋭的な才能だったのです。(当時のアメリカやフランスの映画の匂いがプンプンするしね)

その後、漫画界では、今度は「主人公が最後に死なない」≓ハッピーエンドな作品が多くなって(80年代)、さらにそれ以降、「いつまで経っても終わらない」時代が長く続いてしまうのですが、そういう分析を始めると、この「クチコミ」には収まらなくなっちゃうので、それはともかくとして、いや、ラストシーンは大事ですよ、本当。
ドロファイタードロファイター』初読から40年以上経った今でも、思い出すと勇気が出るもの。

ちなみに、『がんばれ元気がんばれ元気』は大好きだけど、あの最終回よりも今作のラストが、未来へ開いていて好きです。(小山ゆう小山ゆうなら『おれは直角おれは直角』の最終回のほうが好み)

「知念」
文化庁委託の国宝Gメン。
価値ある美術品を重要文化財に指定し国に保護させることを
大義名分にして、現実的な無理矛盾を民間人に押し付けがち。
藤田の敵役になることが多いが、根が美術愛好家であるので
時により共闘したり微妙な関係になることもある。

「地蔵」
料亭の主人で経済的にも社会的にも上流階級の人。
しかし美術的な鑑識眼や認識力は二流と、藤田にも言われ、
本人も自覚気味。だが藤田という人間を高評価し、
地蔵なりに藤田を「正当な評価と立場にすべく」
おせっかいともいえる干渉をしてくる。

「知念」
文...

さて、春の選抜高校野球大会が今日から始まりましたが、アウトローを制するものが甲子園を制するという物言いを皆さんはご存知でしょうか。すなわち、各地区の代表が集う甲子園といえども、高校生レベルの打者では、外角の低めギリギリのコースにピシャリと決められると攻略は難しいということです。まさしくアウトローを制して甲子園を制覇した実在の人物に早稲田実業の斎藤佑樹選手がいます。いつもここぞの時にはいちばん練習を積み重ねてきて自信のあったアウトローの直球を放っていたといいます。甲子園の決勝で最後の打者でありライバルの田中将大を三振に切ったのもアウトローの直球だったとか。

そしてここ、三田紀房三田紀房の高校野球マンガにもアウトローの直球を武器にする投手が登場します。そもそも三田紀房というひとは生粋のスーパースターを描くようなタイプのマンガ家ではなく『砂の栄冠砂の栄冠』の七嶋のような選手を主人公に据えるのは稀であり、そうというよりはむしろ、あくまでも凡人の域は抜き出ないけれどスポーツなり、受験なり、ある定められたルール内の隙を突いて「人生では負けても、試合では勝利する」といった、ある意味では小賢しく、ある意味では賢明な、物語の展開を得意とするひとでしょう。

三田紀房には『砂の栄冠』の以前に『甲子園へ行こう!甲子園へ行こう!』という高校野球マンガがあり、その主人公、鎌倉西高校の四ノ宮がまさしく小賢しくも賢明なピッチャーとして描かれています。彼もまた高校生レベルの打者では外角低めの攻略は難しいとの理由からアウトローの練習に励みます。そして、やはり、『砂の栄冠』にもアウトローの系譜は受け継がれている。ノックマンに率いられた下五島高校の下手投げエースの本多がまさしくそれでしょう。

けっして素材そのものには恵まれなくても、小賢しさと賢明さをもってどうにか立ち回ることができるのが高校野球という舞台、こうした選手たちが才能溢れる。溢れる屈強な選手たちの足元を掬うことができるからこそ、高校野球は面白い。イチローが引退会見で語っていた「メジャーメジャーは頭を使わなくなってきている、日本は日本の野球を貫いてほしい」という言葉が今更ながら身に染みてきます。

アシスタント先の漫画家が急死し、田舎に帰ろうとする道中になぜかタイムスリップ。偶然出会った漫画家志望の青年に世話になり、お返しに漫画の指導を行う…

慌てず、いたって冷静に自分が置かれている状況に対応している様が、おじさん的な落ち着きを発揮していてグッときます。

果たして、なぜ彼はタイムスリップしなければいけなかったのか、この青年との出会いがこの先どう影響してくるのか…全体的に垢抜けない地味な感じなのですが、目が離せません!

本当に大変な仕事だろうな…と思いつつ、溶接愛がひしひしと伝わる、本当に素敵なマンガ。
テレビドラマのような、小さな町工場ががむしゃらに頑張るストーリーではなく、鉄工所のみんなとその家族と一緒に春夏秋冬春夏秋冬を過ごし、溶接の奥深さを知ることができる。

あとはこの作者にしか描けない、独特すぎるキャラデザも見所。
主人公北さんの上司である小島さんの頭部の造形は芸術です。
そういうキャラたちの中にいるからか、北さんが不思議とイケメンに見える。

個人的にはみんなで年一で社員旅行にいく回が好きです。

すごく流行ってたので手にとるのが遅くなったけど、人気でるのがわかる作品でした。漫画の軸としては王道で、読みやすいことこの上なし。それでいてメインテーマに「ジャズ」っていう良い意味でnot popular?なところを選んでるあたり最高だと思った。
若い世代なら新しいものとして素直に頭に入るし、ある程度上の年代なら懐かしく思い出すこともできるテーマじゃない?

漫画なんか読まないっていう人にこういう正統派な漫画を読んでほしいもんです。

user_private
ぱにゃにゃんだー

漫画の終え方は難しいとよく聞きます。しかしながら、ムゲニンの終盤は美しくてため息がこぼれます。物語の佳境と長期連載で培われた作画技術があわさり素晴らしい出来です。

一方で、物語の序盤は、そんなに私の好みではありませんでした。主人公が不死身の侍と聞けば、捨て身の特攻無双のチートキャラをわたしは思い浮かべるのですが、ムゲニンではそうはいかない。万次さんは不死身だけど微妙に弱い。いえ、弱いわけじゃないんだけど、自分より強い敵には普通にガチ苦戦する。きっと登場人物を強さでランキングしていったとき、上の下くらいになりそう。だから、根性と策略でなんとかやり過ごしていく。その泥臭さたるや、愛想がいいキャラではないのに応援したくなるほど。

そういうのが好きな人。好きな人はきっと序盤から楽しいはず。なんやかんやで主人公が圧倒的なほうが好きだとヤキモキするかも。けど、前述の通り、最終的には圧巻のクライマックスです。読んで良かったーという感想しかありません。

2018石巻カレー全集&復興情報マガジン「マンガッタン」セット https://www.furusato-tax.jp/product/detail/04202/443264

2018石巻カレー全集&復興情報マガジン「マンガッタン」セット https://www.furusato-tax.jp/product/detail/04202/443264

@名無し

マンガッタンセット良いですね。
全部描き下ろし作品で、これは漫画好きにはたまらない…。
掲載作家もめっちゃ渋いし…。
うえやまとちうえやまとち土山しげる土山しげるビッグ錠ビッグ錠倉田よしみ倉田よしみはやせ淳はやせ淳久住昌之久住昌之井上きみどり井上きみどり麻宮騎亜麻宮騎亜…)

今年の3月のライオン三月のライオンノベルティ かわいい

掲載品数No.1のふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」。お肉やお米など全国の特産品21万品目をご紹介。クレジットカードにも対応。ランキングや寄附上限金シミュレーションがあるから初めての方でも寄附が簡単です。

手塚治虫手塚治虫にしても、藤子不二雄にしても、元をただせばパロディ作家なのである。そもそもスターシステム(同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させるような表現スタイル)からして自作間におけるパロディであるし、一般に手塚が体系を整えたといわれる漫画的記号の数々にしても発明者本人に特許権のようなものは何ら存在しておらず、作家間を隔てる異空間を超えてあたりまえのことのように浸透している。あまりに広く。広く、あまりに希薄に、浸透しているので、それがパロディだとも気づかぬほどだが、1970年代には吾妻ひでお吾妻ひでおが『不条理日記』等の作品で漫画的記号の使用を脱臼させてみせ、それがパロディ的要素を備えていることを如実に示してみせた。吾妻はその後、アルコール依存症に苦しみ、一時はマンガ界から姿を消すが、大ヒット復帰作となった『失踪日記失踪日記』が『不条理日記』の頃からは考えられない"正統派"のマンガであったことは記憶に懐かしい。ちなみに手塚は自作内に吾妻のマンガキャラクターをパロディとして登場させるなどしていたが、手塚キャラをパロディギャグにして世に出てきた田中圭一田中圭一が最近では『田中圭一の「ペンと箸」ペンと箸』や『うつヌケうつヌケ』等の"正統派"のマンガで第二次ブームをむかえている。

そしてほかでもない石黒正数石黒正数も、手塚治虫や藤子不二雄、それから吾妻ひでおや田中圭一らに連なる正統派のマンガ家であると思うのだ。正統派のマンガ家とは、マンガというものに広く希薄にも共有されて、そして受け継がれているものの使用に自覚的な作家にほかならない。それは当たり前にそこにあるものではなくあまりに貴重な共有財産である。パロディとは、それを使わせていただきますいただきます、という一種の照れのようなものである。だからこそ異端であるかのようなパロディ作家こそが正統足りえるのだ。

いっぽうで共有財産の使用を拒んだ真の異端としてのマンガ家が数人いる。彼らはマンガの革命者であり、マンガの可能性の限界を押し広めた者たちであった。大友克洋大友克洋高野文子高野文子らがそれにあたるだろうか。そして石黒正数のパロディは多岐に渡るが、作品間を超えて貫かれており、今作『天国大魔境天国大魔境』にも見られるのは大友や高野のパロディである。背景の白い建物の壁にひび割れや汚れが描かれるのは大友そのものであるし、ジーンズの描き方は高野から来ているものにちがいないだろう。さらに一巻目をさいごまで読んで驚いたのは、おねえちゃん、ストップひばりくんではないか! 江口寿史江口寿史とは正統→異端に転じたひとであろう。異端である革命者はやはり偉大だが、わたしは正統派も同様に偉大であると思う。パロディとは一種の愛のようなものではないか。なぜって石黒正数のマンガのそこここから偉大なマンガの数々への愛が感じられるのだ。

しかし、この出来上がった(まさにビジネス書という感じの)ストーリーに対して、絵柄がいまひとつ合っていないような気がする。
特にコンサル女性のキャラ造形に違和感。

自信満々のグラマラスグラマラスな美女コンサル(若干バブルの匂いがする……)に手取り足取りされる、というのが今の50~60代男性の願望なのだろうか?