名無し1年以上前しかし、この出来上がった(まさにビジネス書という感じの)ストーリーに対して、絵柄がいまひとつ合っていないような気がする。 特にコンサル女性のキャラ造形に違和感。 自信満々のグラマラスな美女コンサル(若干バブルの匂いがする……)に手取り足取りされる、というのが今の50~60代男性の願望なのだろうか?まんがでわかる 絶対成功! ホリエモン式飲食店経営 ~『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』外伝~コーヒーショップの経営の実態が分かる23わかる
名無し1年以上前今週もしみじみ考えさせられる回だった。 グループ内で誰かを攻めたり庇ったり、内輪揉めするシーンが本当に社会の縮図だなぁと。イチケイのカラス「法」と「人」、考えさせられるお仕事マンガ2わかる
吉川きっちょむ(芸人)1年以上前仮面ライダーについて全然、本当に全くと言っていいほど僕は詳しくないのだけど、これはめちゃくちゃにワクワクする! さすがの柴田ヨクサル節!! 漫画のリズムがいいのか、会話の間なのか、コマの運びなのか、気持ちよくすいすいーっと読める! 世間一般程度の知識しかないけど、仮面ライダーとショッカーは知ってる! それだけで読める!! ハチワンダイバーも将棋のこと全然知らなくても読めるくらいの分かりやすさと熱量だったけど、『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』もそう!! 仮面ライダーが好きすぎて好きすぎて、憧れてこじらせて自分自身で鍛えて鍛えて素手で熊倒せるくらい強くなってしまった悲しき人間たちの話かと思いきや、おいおい、そうなるんかい!こいつはただごとじゃねえぞってなお話なわけで! 仮面ライダー好きはもっとたまらんのではないでしょうか! 早く2巻が読みたいー!!東島丹三郎は仮面ライダーになりたいワクワクしたい人は読むしかない7わかる
名無し1年以上前坂田がゆうをゴルフ経験を隠していると難癖つけて退塾させようとして、手のひらを見て自分が間違ったにもかかわらず、謝らなかったのは自分のポリシーに嘘つきだ。(笑)謝れよ。大地の子 ゆう大地の子 シリーズ化か17わかる
名無し1年以上前自分はそれほど風呂とか温泉好きではない。 もちろん旅先での情緒ある温泉とかは こういうのも良いなあとは思ったが。 けれど基本的には 「温泉なんて、水を汲むとか湯を沸かすとかが 大変だった時代にはありがたかったもの。 今なら一般家庭の風呂のほうが上等」 と軽視していた。 なので登山レベルに苦労しながら秘湯を探して ガスマスクを装着してまで入浴するとか、 理解し難かった。 けれども第3話~第5話あたりで少しだけ 温泉にたいする考え方も変わった。 それだけに最終話の締めとなる話はとても複雑な気分になった(笑)。風呂人風呂とは温泉とは何か、ということを真面目かつリラックスに問う漫画11わかる
名無し1年以上前偶然の一致というか考えすぎかもしれないこと(笑)。 絵が綺麗だな、と思って読んでいたが、 作画の立澤先生が 井上先生(「スラムダンク」「バガボンド」等の作者)の アシスタントを長らく勤めていた、 と後で知って納得。 井上先生って葉っぱの一枚一枚まで丁寧に描く先生ですからね。 それともう一つ。 井上先生の「スラムダンク」は大ヒット漫画で、 ヒット要因はいくつもあるとは思う。 けれど個人的にスラムダンクのヒットした要因の一つに スポーツ漫画ゆえに登場人物のほとんどが 派手に汗をかきまくっているシーンばかりだったが、 それでいて 「汗をかきまくっているのに汗臭くない絵柄」 も、ヒット要因の一つにあると思っていた。 漫画なんだから汗臭くないのは当たり前だと 言ってしまえば終わってしまうが、 通常のスポーツ漫画以上に汗をかきまくっている シーンが多いのだけれど、それがほとんど わずらわしくなかった。 と、個人的には好感を感じていた。 なので、その井上先生のアシスタントをしていた人が 描いた温泉漫画ということで、 「なるほど、それでお風呂漫画んしては 汗くささがなくて良かったんだ」 と改めて納得した。 温泉漫画ってそれなりにあると思うけれど、 登場人物のかく汗が汗臭かったら台無しになると思う。 立澤先生自身や編集者がそこまで考えて 連載を決定したかどうかはわからないが、 個人的には凄く納得している(笑)。 風呂人風呂とは温泉とは何か、ということを真面目かつリラックスに問う漫画6わかる
影絵が趣味1年以上前『ちびまる子ちゃん』で世に知られるさくらももこには隠れた名作がある。それは読み切り作品として『ちびまる子ちゃん』の各巻末に収録された『ほのぼの劇場』である(現在は文庫版にして上下巻にほのぼの劇場のみを抜粋したものがある)。 ほのぼの劇場は、いわば"永遠の小学3年生"まる子の前後譚であり、幼稚園生の頃からデビュー前後ぐらいまでの出来事がまちまちに描かれている。はじめて鼻血を出した日、マンガ家デビューが決まった日、小学6年生の運動会、盲腸になった日、高校3年生の失恋、はじめての雪遊び、はじめてディスコに行った夜、大好きな担任先生の転任、はじめての一人暮らし、ある友人の転校、受験生の夏、等々、能天気に小学3年生をくりかえす『ちびまる子ちゃん』本編とはうって変わり、そのどれもが人生においてたったの一度切りしか起こりえない"あの頃"として描かれている。『ちびまる子ちゃん』にしても作品背景こそノスタルジックなあの頃にはちがいないが、ちびまる子ちゃんはあくまでも過去を振り返らない現在進行形であり、つまり現在から果てのない未来に向かって描かれ、それゆえに"永遠の小学3年生"でありつづける。いっぽうで『ほのぼの劇場』は、起こってしまった一度切りのかけがえのない体験を、つまりもはや取り返しのつかない不変の過去を現在から観照して描いている。 『ほのぼの劇場』を読んでまず読者は、小学3年生時点からみて過去のまる子/未来のまる子が「まる子」と呼ばれていないことに驚きを隠せない。ここではあの馴染みのまるちゃんが「ももこ」や「ももこちゃん」や「ももこさん」と呼ばれているのである。"ももこ"とはもちろん作者さくらももこの"ももこ"にほかならない。ところが驚くもなにも、まる子にしても単にあだ名として呼ばれているだけで、それは確かにさくらももこであり、つまり少なからず作者自身の投影として描かれている。あえて作品世界の繋がりを尊重するならば、まる子=さくらももこは小学3年生のときだけあだ名"まる子"で通っていたことになるが、しかしそれにしても『ちびまる子ちゃん』に登場するさくらももこ、『ほのぼの劇場』に登場するさくらももこ、このふたつのさくらももこは単に時間軸の隔たり以上に異質さをもっているように思われる。そもそも『ちびまる子ちゃん』の劇中のまる子=さくらももこというものに対して、作者さくらももこという存在は、作品の内外のそこかしかこに介在していながらあまりに希薄すぎはしないか。平仮名で書かれた"さくらももこ"というベタすぎるペンネームからして他の文字群に混ざって雲散霧消してしまいそうである。つまり『ちびまる子ちゃん』にとって主人公まる子は作者の投影でありながら、そこに作者は不在というより透明になり姿をくらましているのである。いっぽうで『ほのぼの劇場』の主人公には、単に名前の呼ばれ方がちがうという以上に、作者さくらももこの存在がそこここに見え隠れしているようには思われないか。『ほのぼの劇場』は透明な作家さくらももこが姿を現した唯一の作品ではありはしないのか。 ところで『ほのぼの劇場』から作者の人間くささがしてくるのは、それが現在から過去を描いていることに関係してはいまいか。過去というものは今ここには存在しない代わりに決定事項であり不変である。いっぽうで未来とは可変である、可変であれば先行きはわからない。先行きがわからないという意味での不透明という言葉があるが、透明すぎても何もみえない。さくらももこの透明性とは実はこのどこまでも続く現在進行にあるのではないか。ちびまる子ちゃん透明な作家さくらももこ36わかる
名無し1年以上前ギャグ部分も多い漫画だし、誇張やデフォルメもあるだろうし、 大和田先生の作風に対しては人により好き嫌いもあるだろう。 もっとシリアスに描けよ、とか。 けれど当時のアニメファン達の、 傍で見ていればポカンとしてしまうくらいの熱の入り方は 凄くよく描かれてあると思う。 自分の学生時代はガンダムが放送されて ブームを起こした時代だった。 自分自身はアニメファンではなく、 面白いといわれて見て、ウン面白いねと 思った程度。 冨野氏や安彦氏は名前は覚えたけれど 誰が何をやっていたかは混同して覚えている程度。 だが周囲にはアニメファン、声優ファンが 大勢いた時期で、その人たちが熱くなって語り合って いたのは良く覚えている。 そういう立場でこの漫画を読んだ。 なるほどあれはこういことだったから騒いでいたのか、とか うーんこれならそりゃファンも熱くかたるだろうなあ、とか 当時にはわからなかったアニメ業界やファンの熱が 改めで少しだけながら理解できたような気がする。 理解、といっても 業界人やファンの人のそういう気持ちが理解できた というよりは 「そういう色々と本気の人達がいたことがわかった」 という感じだが。 そういうふうに30年以上前の時代のことを 改めて懐かしく思わせてくれた面白い漫画でした。 「ガンダム」を創った男たち。機動戦士ガンダムの製作現場のマンガ4わかる