シバタリアン

シバタとは何者か。どこから来てどこへ行くのか。 #1巻応援

シバタリアン イワムロカツヤ
兎来栄寿
兎来栄寿

第1話の衝撃度でいえば、2023年最大級でした。 1話を読み終えた誰しもが思ったであろうことは、「え、これ読み切りじゃないの? 続くの!?」ということではないでしょうか。 いじめられっ子と厭世的な少年の奇妙な友情から始まる本作は、骨子としてはいいお話にもなりそうなパーツが揃えられています。しかし、そこから始まるのは恐怖と驚愕のサスペンス。 「アルマゲドンはまた明日」や「みこととおろちと」などイワムロカツヤさんの過去の読切を読めば、良い感じのラブのコメりも混ぜつつそうした方向に進むこともできたはずなのですが、本作は非常に異質です。 ゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のオマージュに溢れた1985年公開の『バタリアン』(原題『The Return of the Living Dead』。日本では1986年にあの『コマンドー』と同時上映)は、まさにホラーとコメディを掛け合わせたシュールなゾンビ映画で、本作の元ネタを感じさせます。「バタリアン」という言葉に掛けるために、シバタが選ばれ犠牲になったのでしょうか。もし世界線がズレていたらタバタリアンやエバタリアンになっていたかもしれませんね(『オバタリアン』だと別のマンガになってしまう)。 しかし、読み進めると「もしかしてこのためにタバタやエバタではなくシバタだったのか……?」という描写も出てきます。 ともあれ、1話を読んでも「これ、続くの……?」、2話を読んでも「これ、続くの……?」と衝撃に晒されながら読者を戸惑いの渦にグイグイと引き込み、「気付いたら『【推しの子】』を読むより早くこちらを読みに来ていた」という人も出るほど謎の中毒性すら生む魔力を持った作品です。 シバタとは一体全体何なのかという圧倒的な謎を巡る中で、極めてどうでもいいポイントに無駄なディティールがあるところも不思議な浮遊感を生んでいます。 普通じゃない作品の刺激やドキドキ感を味わいたい方にお薦めです。 余談ですが、連載時の「一糸乱れぬ、進撃の柴田…!」といった、担当編集もノリノリになっていることがうかがえるアオリ文も好きです。

姫様“拷問”の時間です

非道な行いにも不屈の精神で耐えねばならない

姫様“拷問”の時間です 春原ロビンソン ひらけい
ゆゆゆ
ゆゆゆ

魔王軍に囚われた、王女であり国王軍第三騎士団“騎士団長”の姫様と、意思を持つ剣エクス。 タイトルはおどろおどろしいものの、エクスの姫様持ち上げっぷりと、姫様の陥落っぷりのギャップがおもしろいコメディ漫画です。 拷問の中身はスプラッタなものでないのでご安心を。 そして魔王軍の方々も“拷問”をしてくるものの、人が良さそうな感じが溢れています。 その“拷問”の中身も見どころで、思わず「秘密を話しますから一緒にご相伴を!」「仲間に入れて!」と言いたくなるような魅力的なものを姫様に提示してきます。 拷問を受けている姫様は王国の秘密を漏らすまで、ペットでいうところの「待て」をされている状態。 不屈の精神で耐えねばなりせん。 なお、王国の秘密を一つ暴露したら許可が降り、魔王軍と一緒に舌鼓を打ったり、楽しく過ごしたりできます。 そんなにヒミツを漏らして大丈夫なのかと思ったものの、と姫が漏らしたヒミツはクリティカルなものではないというところまでが、定番の展開なので、そこも安心です。 さすが王女。 パターンとしては同じなのに、バリエーション豊富な展開がとてもおもしろく、どんどん読めてしまいます。 がんばれ魔王軍。 がんばれ姫君。 めちゃくちゃかっこいいティザービジュアルやPVが公開されて、アニメも楽しみです。 ちなみに序盤は美味しそうに食べるお姫様がなんだかセクシーな描写が目についたのですが、最近のものはその傾向が低いようです。 ‥流行りですかね。

続く道 花の跡

結婚前の女性と、計算手というお仕事

続く道 花の跡 ななせ悠
ゆゆゆ
ゆゆゆ

日本初のコンピュータに関する、実話を元にしたフィクションのようです。 計算を女性がしていたという話は、アメリカの宇宙開発の話で聞いたことがあったのですが、日本でも計算手の仕事があったことに驚きました。 そして、計算手の仕事がコンピュータに奪われると言っていた事も今は昔。 それが当たり前になって、新たな仕事が生まれ、その仕事が奪われる!と言い‥と、繰り返しているんだなと気付かさせられました。 しかし、昔の人はなんでも自分で作ってしまって、すごいですね。 仕組みを理解できたら作れるのかと思ったのですが、日本初のコンピュータの仕組みを読んでみてもさっぱり理解できませんでした。 作中に登場する岡城課長に当たる方は、現実では岡崎文次さんという方だそうです。 主人公の中村美樹子さんにあたる計算手の女性は、存在は書かれていても名前は出てきません。 序盤にあった「仕方ない。女に生まれたから」というシーンと、最後のシーンを思い出してしまいます。 ぜひ最後の場面は存在していてほしいです。 それから女は計算が苦手といわれる印象があったのですが、整数の四則演算どころか対数と言っている点にもびっくりしました。 めちゃくちゃ計算しています。仕事として計算しています。 思い込みはいけませんね。 日本初のコンピュータについて気になった方は、FUJICに関するWikipediaと、Wiki内参考文献にある岡崎文次さんによるドキュメントもぜひご一読を。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/FUJIC ジャンプラのコメント欄でオリジナルについて指摘されていて、思わず調べて読んでしまいました。