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作者の名前は「もとか」となっておりどのような漢字になるのかと思っていました。wikipedia には本名が「紀香」となっていましたので,おそらくこれを「もとか」と読むのでしょう。これは100人中100人が正しく読むことはできませんのでひらがな表記にしたのでしょう。出身地は東京であり岩手県に住んだことはありません。
父親の影響なのか小さいころから絵が好きであり,将来は挿絵画家になろうかと思っており,高校を出たら美大に進もうかなと漠然と考えていたそうです。本人談では『ルーズな性格のため遅刻せずに学校に行くのが大変だった。(会社員のように)毎日決まった時間に出勤する仕事はできないだろう。とにかく家でできる仕事に就きたかった』と語っています。
高校2年生の時に漫画雑誌「COM」と出会いすっかり漫画派となり,漫画ばかりを描いていました。いつの間にか美大に行く気がなくなり,進路が決まらないまま高校を卒業します。
とりあえず,建築の専門学校に進みますが,周囲の人たちの真剣さを見るにつけ,仕事をするなら好きなことをやらなきゃだめだということに気が付きます。自分の18年間を振り返って,いちばん大事なものはと自問すると,やはり漫画ということになりました。
そこで,近くに住んでいた「望月あきら」(ワイルド7の作者)のところに押しかけて,無理やりアシスタントにしてもらいました。しかし,半年後にアシスタントチームが解散になり,そこからは雑誌に漫画を投稿するようになりました。
本人談では『新人の登竜門として少年ジャンプの手塚賞という新人賞があり,その賞と月例の賞と2本応募して全部落ちた』とのことです。それでも当時の編集者の目に留まり,21歳の時に「燃えて走れ」でデビューします。
村上もとかのウェブサイトには「その後,同誌に『空の城』を連載するが,10週で打ち切りとなり,それからまったく描けない状態が1年半続く」と掲載されています。
彼が復活したのは1975年発表の「熱風の虎」であり,ここから「龍-RON」までの作品はだいたい目を通しています。ストーリーがしっかしていて,かつそれを的確に描写する力をもった作家であると評価しています。
デビュー作が(原作のついた)四輪レーサーを扱った作品だったためか,初期作品はほとんどモータースポーツを題材にしています。しかし,村上もとかのような硬質の作品は「少年ジャンプ」の読者層には難しかったと思われます。
自分の作風が生かせる場所として,1977年の「赤いペガサス」以降は(2006年まで)一貫して少年サンデー,少年ビッグコミックス,ビッグコミックスオリジナルなど小学館の雑誌で活躍しています。
1981年に連載が開始された「六三四の剣」はそれまでのモータースポーツを離れ剣道を題材にした作品であり,剣道を通して成長する六三四をはじめとする少年たちをていねいに描いています。奇を衒わない正統の剣道漫画であり,現在でもこれを越える剣道漫画は見当たりません。
「六三四の剣」の連載が終了したのは1985年であり,本人談ではその後,ちょっとしたスランプ状態になっています。それは,それまでずっと少年誌で描いていました村上もとかが新しい物語のため青年誌に移行するための生みの苦しみのようなものだったようです。
その中から,1991年に20代の初めから描きたいと思っていた「龍-RON-」の連載をビッグコミックオリジナルで開始します。「龍-RON-」は15年に渡る大作となります。村上もとかの代表作は何かと聞かれると,物語性の高さからやはり「龍-RON-」と答えるでしょう。
「龍-RON-」は「熱風の虎」→「赤いペガサス」→「六三四の剣」と長編作を重ねるごとに成長してきた作者の一つの到達点です。しかし,「六三四の剣」には「龍-RON-」にはない熱さがありますので,個人的にはこちらを代表作と考えています。
村上もとかの受賞歴は次の通りです。
1982年:第6回講談社漫画賞少年部門(岳人列伝)
1984年:第29回小学館漫画賞少年部門(六三四の剣)
1996年:第41回小学館漫画賞青年一般部門(龍-RON-)
1998年:第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(龍-RON-)
2011年:第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞(JIN-仁-)
6月3日の4時に生まれたから六三四という名前です。 斬新な名前の付け方ですよね。 剣道知らない人でも楽しめます。 アニメ化もされている、昭和のスポ根本格派剣道漫画だと思います。