「大きくなったら女の子」が連載化
連載化にあたって読切2作も読んでみましたが、やはり混乱する。 でもこの世界観の理解というよりも、立場が変わることにより生まれる違和感や、差別の構造に気づくことが大事なのかなと思いながら読んでます。たぶん、この漫画を楽しむには自分の中にある固定概念を取っ払わないと難しい。 連載の1話では、主人公のかぐやが女体化し、いかにして「女性らしく」振る舞えるか自分なりにチャレンジするが…という展開。
「あなたたちは誰でも女の子になる可能性があります。」 この世界で、人類は最初はみな男として生まれる。そのうち身体が大きく育った人だけが次第に女性化! たくさんのかわいい男の子と恋愛したり、「女らしい頼りがい」を発揮することを、当然のように期待されることになる。これは、そんな世界で、思い通りにならない「身体」とか「モテ」とか「友情」とかに振り回されながら、なんとか自分らしくサバイブする女の子たちの物語。
数日前から、新幹線の自由席で横に乗ってきた異性の話を巡ってネット上で大激論が巻き起こっています。
「男性は〜」「女性は〜」という主語で意見を述べている人に1度この作品を読んで欲しいなと思います。
本作は、人間が皆″男性″として生まれてきて、その中の1割が14〜20歳ごろを境に性転換して″女性″になり、声が低くなり乳房が大きくなり子宮が発達し男性器が縮小し筋肉・脂肪が増加していくという世界を描いています。社会は″女性″が主導していくもので、″男性″はそれを支える存在。
ただ、少しややこしいのですがこの作中での″男性″は現実世界の女性的な外見をしており、″女性″は男性的な外見で発達した乳房を持っています。
最後にあとがきで明示されているように、単なる男女の反転ではなくマーブルな状態を描いているのが特徴です。
この作品の中で、それぞれのキャラクターが語る性別ごとの役割の話や、「″女性″は」「″男性″は」という話や異性に対する態度は、読み手に応じてさまざまな感情を引き起こしてくれるであろうと思います。現実世界に照応してある人にとっては何も引っ掛からず、ある人にとってはこの上ないもやもやが生じるであろうことをつぶさに描いています。
男性だから、女性だから、″女性″だから、″男性″だから有利なこともあれば、不都合なこともある。ときにはそれに対して、過去から長い時間大量に蓄積したものも含めた不平不満を述べたくなることもあるのは否定し得ません。
ただ、筆者の御厨さんが
″性別や属性で人の中身ややるべきことをひとくくりにするのは、個人の理解をなまけたいがための単なる省エネモードのおこないだと思っています。
何かを集団でくくって語るとき、「今の自分は省エネモードになっている」という自覚はしていたいと思います″
と述べたあとがきにあるように、より本質的には個々人に依拠するものに対して意識せずに大きい主語で語ってしまいがちな状況はあると思います。
どういったものに対して自分の心はどういった動き方をするのか。その形を改めて把捉しておくのに、この作品はとても優れています。
何も個人としての意見を表出するなという気はまったくありませんが、省エネモードで雑な結論に結びつけて誰も幸せになれない不毛なやり取りに発展する前に、今一度立ち止まって一呼吸を置いて本作を読んでから、改めて熟考した後に言葉を紡いで発しても遅くはないでしょう。