存在の否定?w
新しい。
アンタッチャブルなテーマをSFで切ったら、とんでもないものが出てきた! 物語は、閉鎖的な世界を嘲笑うかのように自由に展開する。これは新しいリアリズムだ。
アレテー・スピノザの考え方、すごく分かる。
生活保護や受刑者を国で養うけど、かかる費用をその人から回収できないのであれば、他の人の負担で費用をかけるだけの価値があるのだろうかって極論を、福祉系で働く友人とつい先日討論してたばかり。
受刑者の再犯率の高さや、生活保護の家庭で育った子供が自分も生活保護受給者になるループケースも多いと聞いて、どうやったら抜け出せるのか、社会が税金というお金をかけて「ただ生存させること」に意味があるのかねって話だったけど。
これって同じテーマな気がする。
国や社会がシステムとして機能するためには費用対効果の観点は外せないし、少子高齢の現代社会でそのコストを負担してるのは働き盛りの中年層。
引いては今後負担していくのは若年層。
でもコストかけて産めよ増やせよで子供がただ増えても、経済活動して国の収入が増えなきゃ負担構造は変わらないし悪化するだけ。
アレテーはトリミングで負担構造を変えてくれようとしてる。
実際に自分が子なしで減税や給付を受けることなく働く中年層だからか、被害者意識的に搾取されてると感じていて…楽になるために飛びつきたくなる安易な極論はアレテー・スピノザと同じだった。
もちろん、子がいない時点で今後の社会的貢献度とか社会的価値は下がるので自分もトリミング対象に入っていくんだけれど。
まぁそれはそれでしょうがないかな。解決策は浮かばない。
これはいわゆる社会の弱者側になってないから思うこと。切り捨てるのは簡単だ。
介護や高齢問題の作品のようで、社会はどう全員を幸福にするのか、人はどうやってお互い幸福になるのかを考えさせられる作品だと思う。
作者の意図はどこにあるのか、どういう展開になっていくのかとても楽しみ。
存在の否定?w
確かに、ともすれば危険な優生思想発言。
受刑者は少し別として。
「標準」に能力不足・欠陥ありと判断された者を保護の下に社会から隔離し生活を保証することによって、「標準」でなければ社会に戻せなくなるのが現状。
ただ基準を設けて基準外は社会に入れないとするなら、それは優生思想と大差ないのではないかと。
生活を保証された上で、各々が各々の能力の範囲で努力をし、それが認められるのが理想的な社会と思うが、解決策を見出すには多角的な検討に膨大な時間を要する。
もちろん強者側の意見のみでは成立しない。
自分を含め多くの人が疑問を持ちながらもそれを打破しきれず享受した矛盾の中で生きているのではないかと…そう思う。
自分の仄暗い部分に面と向かったタイミングでこの作品に出会えて、本当に良かった。
持ち前のパワフルさで薄給かつ激務の介護業界を奮闘する介護士「神田はんな」。 彼女は2年前に導入された介護ロボット「アレテー」が気に入らない。 労働時間の制限なし、専門的な介護作業は◎、しまいにはセンサーで人間の感情まで理解する。 そんな万能さが勘に障るのだ。しかしある日、彼女は「アレテー」の秘密を知ってしまいーーー。
持ち前のパワフルさで薄給かつ激務の介護業界を奮闘する介護士「神田はんな」。 彼女は2年前に導入された介護ロボット「アレテー」が気に入らない。 労働時間の制限なし、専門的な介護作業は◎、しまいにはセンサーで人間の感情まで理解する。 そんな万能さが勘に障るのだ。しかしある日、彼女は「アレテー」の秘密を知ってしまいーーー。