漫画家志望者がルックバック見て荒れてるみたいですが、僕も読みました。チェンソーは嫌いなんで僕は全く読んでません。

僕はこの漫画を読んで、「僕の制作体制はなんてあまっちょろいんだろう。京本と藤野とタツキ先生ははこんなに努力してるのに、格の違いを見せられた」とか鬱にはなりませんでした。

ただ、僕のやりかたとは違います。藤野や京本はキチガイの如く練習を重ねていますが、僕はそういうやりかたはしません。
僕がどういう積み重ねをしてるのはかあえて書きませんが、僕は「筋トレじゃあないんだから、そう惰性でダラダラ数を重ねまくるもんじゃない」と思っています。

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名無し
1年以上前
読み直してみても。三丁目に対するもやもやが解決しません。 なぜ宮内由香はショタのパンツをずらす描写を、描くようで描かない構成にしたのでしょうか。 みずいろのロリコンアニキ光は、幸との風呂上りのシーンで、濃厚にパンツも身体描写も描い てますよ。きっと宮内由香は「ハァハァ。少女になって、こんな男に抱かれたい」と思い丁寧 に気合入れて描いてることでしょう。みずいろの前編では、「生理も来てなさそうなのに」と か美和がぼやいてるシーンで2コマめっちゃ丁寧に描かれたショタが出てきてるのに全くの無 関係。ただのモブです。それがムカムカくる。 それに、三丁目は手マンやすまたに至った経緯をカットしたくせに、後半の方になるとコマ数 が少なくなり絵がでかくなります。手マンやすまたに至った経緯を描けないのは「ページ数が 限られてるから」と説明がつきそうですが、後半のコマ数を多くして内容を詰めたら同じペー ジ数でも手マンやすまたに至った経緯も入ったのでは? 前半は2人のドラマを語る上で、コマ数も多く密度が濃いのになぜ肝心な後半になると密度を 薄くするんでしょうか。 いくら不満を書いても書いても、三丁目の未見のページも見つかりませんし、三丁目は手マン やすまたに至った謎も明かされませんし、三丁目が載った2006年という時間はそのまんま で僕はその時代に取り残された浦島太郎状態です。三丁目に進展はありません。15年経って も風化したままです。

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