女の国、男は頭上を舞うばかり。
桜が覆う丘の上の女子高では、桜舞う頃、演劇部がチェーホフの『櫻の園』を上演するのが習わし。部員達は練習に励みながら、それぞれの恋の季節を過ごす。そんな青春模様を描いた四編のオムニバス。 ◉◉◉◉◉ 女子校に通う彼女達だが、お付き合いするのは周囲の高校の男子。描かれる恋は多様だ。 彼氏と体を重ねる事を躊躇う子も、彼氏を放って悪い遊び方をする子も、大切な人に何かを教わり、友達と会話を重ねながら、自分の心と体を大切にする事を覚えていく。心の解放に向かう様子に安堵する。 百合読者としては、後半の二編が気になるところ。自分の中の〈女性〉と折り合いをつけられない二人の女子は、片や男性らしさを身に纏いながら男性に恋し、片や男性を嫌悪しつつその女子に恋する。 二人は最後、互いの気持ちを知りながら、ただ分かり合い、慰め合う。そんな様子を見ていると、女性同士というのは恋をする以前に「分り合う」関係性なのだ、と思い知らされる。そういう意味では、実はこの作品は最初から最後まで〈百合〉的だ。 桜の精って男なんだって……という台詞(p113)とその前後の「男の気持ち悪さ」の遣り取りを読むと、どんなに愛し合い番ったとしても、男は女を解れないのだから、せめて彼女達の冠として咲いてろよ、という気持ちになる、男の私でさえ。
『ごきげんよう』という挨拶が日常化されている丘の上の女子校の話。
毎年創立祭でチェーホフの“桜の園”を上演するのが伝統。
桜が満開の季節に巣立っていく少女たち。
少女と大人女性の間の微妙な女心が繊細に描き出されている。
小さい頃に何気なく言われた一言で、相手に悪気がなくても自分の心の襞に刺さって抜けないことある。
体と心が一致しない年代でもある。
甘酸っぱいだけではない素敵な作品。
表紙の桜も魅力的。