この世の最高の享楽とタイムリープと。
懐かしい気持ちで読み返したがこのネオ・ファウストは男性なら一度は読んでおいた方がいい。 誰しもが一度は妄想するであろう世界とその幕引きがわかりやすく描かれている今作では、男というものがどれだけ愚かかが(特に坂根や一ノ関を見ていると)非常によくわかる。 「享楽」という単語も初めて読んだ小学生の頃の自分には理解できず広辞苑で調べた懐かしい記憶。 享 が読めなかったんだよなぁ…ともかく享楽を描いた作品なのです。 また、この作品には現代への影響が非常に強烈だったことがいくつかの点から想像できる。タイムトラベルものは当時も多くあったがこういう使い方はさすが。 「時をかける少女」みたいな今で言う"タイムリープ"ものも当時は"タイムトラベル"と呼ばれていたなぁ。 ドラえもんのタイムマシンが多くの人達の妄想を掻き立てたように、いい大人となった男性の妄想を掻き立てる作品。 そしてもちろん手塚先生の最高傑作の一つ、と言いたいのだが惜しむらくはちゃんと完結していないところ。 手塚治虫の最後の作品となり未完のままとなったものの、全2巻として売られているのももう納得するしかないのだ。 (電子版に最後の続きのネームが入ってて涙出そうだった。本当に悔やまれる)
『ファウスト』『百物語』と手塚がゲーテの「ファウスト」をテーマにした作品を続けて読んできて、最後にこの『ネオ・ファウスト』を読みました。
舞台は学生運動下の1970年代。悪魔メフィストと契約し、記憶を失った一ノ関教授は50年代にタイムスリップし、大会社の社長と懇意になり「坂根第一」として新たな人生を歩み始めます。
このタイムスリップの期間の短さがキモになっていて、坂根が冒頭の1970年代に辿り着き、自身の正体を取り戻したところで物語が一気にドライブしていきます。
坂根自身の欲望と、彼の恋する女学生、まり子へのメフィストの嫉妬により物語がこじれ、追い詰められていくのは主人公と恋仲に落ちた『百物語』の悪魔スダマの影響を感じさせます。
二作の「ファウスト」をテーマにした作品を経て、手塚が最後に選んだ舞台は高度経済成長期の日本でした。前二作の主人公の欲望は美女を手にする・大金を手にするといったあくまで素朴なものです。
しかし本作の坂根の最終的な目標は新生命を生み出し、自身が神になるという壮大なものです。原典でも人造生命ホムンクルスの創造を試みるシーンがありますが、坂根は現代の科学技術をもってそれを行おうとします。
ここに「出来てしまうかもしれない」という、生々しくグロテスクな味わいがあります。
「ファウスト」を下敷きにすることで描かれてきた人間の欲望の力強さと愚かしさの究極のありようが、本作において結実しているように感じました。