表情が見えづらいから話に集中できるのかも。
お父さんとの二人暮らしをしている小学生の女の子が主人公のマンガ。このマンガは登場人物の表情が見えづらい(マンガに表情があまり描かれていないから)。しかし登場人物の表情を見なくても登場人物の発言やまわりにあるもの、雰囲気などで登場人物の気持ちや、どんな話なのかが何となくわかるような。表情がなかなか見えづらいからこそ、表情以外の表現や話に意識がいく、集中して読むことができる感じがするなと。パッと見は淡白な感じの絵なので好き嫌いは分かれるかも知れませんが。このマンガの雰囲気にハマるとマンガが頭の中に残ります。
なんでこのタイトルなんだろうって途中まで分からなかったのですが、最後の話で離婚して別々に住んでるお母さんと花ちゃんが一緒に買い物に行って、花ちゃんが選んだコスモスの飾りがついたヘアピンをお母さんに買ってもらうんですよね。それでタイトルがコスモスなんですけど、コスモスって漢字で書くと「秋桜」だから、お父さんの「秋彦」って名前と、お母さんの「桜」って名前を、花ちゃんは意識して選んだんだなってことに気づいた時にぶわ〜っと涙が出てきました。クールに見える花ちゃんもまだまだ子供で、無条件にお父さんとお母さんが大好きなんですよね。
私は花ちゃんと転校生のタチバナ君がブランコに乗って会話するシーン「あっちコーヒー、こっちココア、こいつすげえな」が一番好きなんですけど、頭脳明晰で理論武装なタチバナ君としゃべっている時の花ちゃんはいつもと違う雰囲気を感じます。でもこの時の感情に素直な花ちゃんはお母さんに似ているなと思いました。お父さんとお母さんがいて自分がいるから、どっちにも似てて当たり前なんだけど、離れて暮らしていたりすると気づきにくかったりしますよね。
私はもう大人になってしまいましたが、子供から大人に変わる明確なタイミングってなかったなと思ってます。いつの間にかそうなったという感じで、実は子供の頃から何も変わっていないのかもしれません。花ちゃんのお父さんとお母さんを見ていてそんなことを思いました。大人だって元子供なんです。誰だって未熟で当たり前だし、お互い完璧じゃないままで繋がっている、そういうものだ。コスモスを読んで感じたのはそういう肯定でした。とても面白かったです。