名無し1年以上前編集かわぐちかいじ先生の作品の登場人物は 野生的なタイプと理知的なタイプがライバルとして 登場するパターンが多いような印象がある。 泥臭いタイプとスマートなタイプ、ともいえるかも。 「沈黙の艦隊」とか「ジバング」「バッテリー」など。 「獣のように」では 兄貴分の竜三が野生的タイプ、弟分の健次が理知的タイプ。 供に認め合い、馴れ合ってもいるような面もあるが、 互いの違いを理解しており尊重している感じ。 相手に、自分には無い物があることを認識しているというか。 そして竜三は健次を気遣い、 健次は竜三を慕い尊敬しつつも恐れつつ、 それでも近づき超えたいと思っているように感じた。 ビリヤードは基本的に相手を排除して生き残る競技だと思う。 対戦相手がともに勝利者になることはない。 どちらかはポケットに落とされる。 そして実力勝負ではあるがそれだけで落とされるほうが 決まるわけではない。 時により運や流れやその他の要素も絡んでくる。 しかしどちらかは確実に落とされる。 獣のようにでは、野生と理知のどちらが勝って どちらが優れているかという結論が描かれているかと 言えば、描かれているようで描かれていないと思う。 それはビリヤードが確実に勝者と敗者が決まりながら どこか強弱とか優劣が決まったとは言い難い競技で あることと、ヤクザ社会との類似のようにも感じる。 どちらかが落とされることも。11わかるfavoriteわかるreply返信report通報
あらすじ「ヤクザはミエで生きている。負けてカッコつかなくなったら、そいつはもう終わりだ」都会の片隅に置き去りにされた玉突き屋で、倦んだような時間を送る二人のヤクザ・竜三と健次。その二人の前に、竜三のかつての兄貴分の妹・桃子が現れたことから、凪いでいた男たちの心に『獣』の牙が生え始める……!!続きを読む
かわぐちかいじ先生の作品の登場人物は
野生的なタイプと理知的なタイプがライバルとして
登場するパターンが多いような印象がある。
泥臭いタイプとスマートなタイプ、ともいえるかも。
「沈黙の艦隊」とか「ジバング」「バッテリー」など。
「獣のように」では
兄貴分の竜三が野生的タイプ、弟分の健次が理知的タイプ。
供に認め合い、馴れ合ってもいるような面もあるが、
互いの違いを理解しており尊重している感じ。
相手に、自分には無い物があることを認識しているというか。
そして竜三は健次を気遣い、
健次は竜三を慕い尊敬しつつも恐れつつ、
それでも近づき超えたいと思っているように感じた。
ビリヤードは基本的に相手を排除して生き残る競技だと思う。
対戦相手がともに勝利者になることはない。
どちらかはポケットに落とされる。
そして実力勝負ではあるがそれだけで落とされるほうが
決まるわけではない。
時により運や流れやその他の要素も絡んでくる。
しかしどちらかは確実に落とされる。
獣のようにでは、野生と理知のどちらが勝って
どちらが優れているかという結論が描かれているかと
言えば、描かれているようで描かれていないと思う。
それはビリヤードが確実に勝者と敗者が決まりながら
どこか強弱とか優劣が決まったとは言い難い競技で
あることと、ヤクザ社会との類似のようにも感じる。
どちらかが落とされることも。