天才外科医ブラック・ジャック。なぜ、彼は無免許医となり、法外な治療費を請求するようになったのか。1960年代を舞台に医学部時代のブラック・ジャックを描く!!!
聖ミハイロフ学園に通う織部まふゆが拾った銀髪の少年。彼は聖乳を吸うことで特定元素を自在に操ることができる、クェイサーと呼ばれる存在だった。そして今、2千年におよぶイコンの謎を巡り、学園を舞台にクェイサーたちの闘いが始まった!!
不思議少年・らんぽうと個性的な仲間達が繰り広げるハチャメチャな騒動を描いた不条理ギャグコメディ。授業中にネズミのチュー太郎とおしゃべりして、角丸(かくまる)先生に叱られたらんぽう。実は1カ月前は優等生だったらんぽうは、謎のUFOの内部に連れて行かれた事で、以前とは違う新しいらんぽうにされてしまったのだ。もしかしたら宇宙人かもしれないらんぽうに興味を持つ女学生・むつみは、彼の後をつけて……!?
プラレスとはマイコンを内蔵したプラモデル同士が戦う格闘技。パソコン、プラモデル、格闘技の要素をミックスした名作「プラレス3四郎」が電子書籍になって帰ってきた!主人公である3四郎の分身となって戦うプラレスラー柔王丸が数々の宿敵と戦うぞ。
母に捨てられた少女が預けられた先は、不思議な精霊たちが住む森の中だった……!?森と少女と精霊たちを細緻に描くファンタジー。
父と山に籠って修行していた少年剣士・与一が下山。都会での居候先には、なんと美人四人姉妹が!与一の新たな“修行”は剣の道より、なお厳しい……!?美少女満開のサムライ・コメディー!!
賞金首として追われていた少女エリスと一緒に旅をすることになった賞金稼ぎの少女ナディ…。二人はエリスの故郷である謎の地・ウィニャイマルカを目指す。が、エリスの秘密を巡り、野心と陰謀と銃撃が大地を吹き荒れる!!美少女ガンアクション!!
アルメと呼ばれる女性のみの異星人に支配された近未来。高校生のショータは、アルメによって女性に改造された親友のケンゾーとのSEXを強要される。それも1週間以内に…!少年少女の性のサバイバルが始まる!?
古美術店・八百万堂の居候、猫神・繭さまのもとには今日も神界の愉快な仲間が押しかけてきて…!?噂のユニット・FLIPFLOPsが贈る、美少女だらけのご町内神さまコメディ!
何をやっても、それなりに上手くできてしまうひとっていると思います。そう、たとえば、誰とでもで卒なくコミュニケーションをとることができたり、あるいは、そう、なんとなく漫画を描こうと思ったら、それらしいものが描けてしまったり。そういうふうに描かれた漫画には、それぞれに素晴らしいものがあったり、大したことのないものがあったりすることでしょう。それすなわち、世にあるほとんどの漫画のことです。なにか情熱のようなものがあるにせよ、ないにせよ、描けてしまえなければ漫画家にはなれませんからね。 そういうふうに描かれてしまった漫画のなかに、極稀に、なんだか異質なものの紛れ込んでいることがあります。そう、たとえば、小田ひで次の漫画とか。こういう言い方をするのは個人的にはあまり好ましくないんですけども、こう言うほかはなさそうなので、仕方なく漏らしてしまうと、わからないひとには多分一生かかってもわからないと思います。でも、わかるひとには1ページ目ですぐにわかってしまう。 吃音ってあるじゃないですか。口から上手く言葉を発せられないやつ。あれみたいなものなんです。ふつうになんとなく言葉を発せられるひとには、どうしてそこで吃ってしまうのか想像することもできないと思うんです。これはあくまでも比喩なので、もうすこし膨らませてみましょう。心の吃音というのもあると思います。表向きには平然を装っていても、心のなかでは何か釈然としないものがあって、ほとんどのひとには気づかれないけれど、気づいてしまうひとが極稀にいるといったような。 もう少し具体的に、小説の吃音という例を出してみましょう。学校の授業でも何でもいいです、小説を書く機会があったとしましょう。きっと、ほとんどのひとは、面白いか、面白くないかは別にして、それなりのものを書けてしまうと思うんです。ところが、極稀に、異質なものが紛れ込んでいる。ひとえに小説を書くといっても、まず人称をどうするか、という問題があります。私にするのか、僕にするのか、俺にするのか、彼にするのか、小林にするのか、Kにするのか、君にするのか、あなたにするのか、まあ、とにかく無数の選択肢があります。ほとんどのひとが、私が小林くんのことを好きになったのは~、とか、ある朝、小林が不可解な夢から目覚めると~、とか、何の躊躇いもなく語りを始めるのに対して、極稀に、そんな人称からしてすでに躓いているような異質な小説があります。書くうえでは人称はどうしても必要になってきますから、それらしく書かれてはいるものの、読むひとが読めば、その人称に吃りの生じているのがわかってしまう、そんな小説があるんです。 小説に吃音があるのなら、もちろん漫画にだって吃音はあります。そう、たとえば、小田ひで次の漫画は吃音のオンパレードと言ってもいいかもしれません。吃りながらも、どうにか粘り強く描いていこうとする姿勢がコマの端々に感じられるんです。そして、言わずもがな、ここに描かれるミヨリもまた吃音のひとですよね。どこへいても、なにをやっても、なにかこう、釈然としない。でも、それでも、どうにかやっていこうとする。だからこそ、そんなミヨリが何かを決意して行動に移すとき、携帯を川に落とすときでも、拳銃をぶっ放すときでも、私は魔女の孫よとしょうもない嘘をつくときでも、死ねえーーいとボールを投げるときでも、そんな時々に圧倒的なパワーを感じるんです。 わたしは、わたし自身が吃音のひとだからなのかもしれませんが、『ミヨリの森』のような吃音の漫画がとても好きです。 P.S. 作中にでてくる固有名詞の、黒田と大介は、やっぱり黒田硫黄と五十嵐大介のことなのでしょうか。