武士道シックスティーン

メディアミックスと同時多発コミカライズ

武士道シックスティーン 安藤慈朗 誉田哲也
ひさぴよ
ひさぴよ

「薬屋のひとりごと」が話題になってますね。なろう原作の大ヒットからのコミカライズですが、2019年現在、別々の雑誌(「月刊ビッグガンガン」「月刊サンデーGX」)で同時期にコミカライズを連載するという事態になってます。これはまぁ、色々とメディアミックスに関わる事情があってこういう事が起きてるんでしょうか。 で、過去にも同時コミカライズパターンあったな〜と思い出したのが、この「武士道シックスティーン」です。2009年に、「アフタヌーン」と「マーガレット」が同じようにコミカライズを展開していたのですね。結局どっちの方が売れたのか?今更ながら気になるところですが、とりあえずここではアフタヌーン版の感想を書こうと思います。 作画は安藤慈郎。「しおんの王」のコミカライズを経験し、次の作品で今度は武士道シックティーンの作画を手掛けています。他作品と比較してみて、特に違いを感じるのはキャラの性格付け。個人的にはアフタ版の方が地味…いや、落ち着いた雰囲気があって好きです。逆に、「地味なのは嫌!」という人はマーガレット版を読むのがいいかと。 キャラの性格の違いについて。剣道エリート・磯山香織に関して言うと、表情の変化こそ少ないものの、武士のような真剣味や生真面目さ、気迫のこもった表情が良いんですよね。これは、青年誌だからこそ磯山の「男っぽい」部分をより上手く引き出せたのかなと。 対する西荻早苗についても、ウザくなりすぎない天真爛漫さ(←ここ大事)と、舞踊の経験から来るしなやかさ、芯の強さを感じます。磯山と西荻、どちらも過不足なく、対比の描き分けが秀逸です。 メディアミックス化作品の場合、小説、映画、漫画のどこから触れるかで、作品の印象は変わるものだと思います。そういう意味では、最初にこの漫画から読めたのは自分にとって幸せなことでした。

ひゃくえむ。

人はなぜスポーツをするのか?(あるいはなぜ生きるのか?)

ひゃくえむ。 魚豊
いさお
いさお

人はなぜスポーツをするのか? 簡単に見えるこの問いだが、全てのスポーツに通ずるような、真理となる答えを見つけるのは難しい。 人に注目されたいから? その答えは、マイナースポーツに対しては通じない。 ともに戦うことで他人と交流ができるから? その答えは、シングルスのスポーツに対しては通じない。 楽しいから? その答えは、確かに存在する、苦しいのにスポーツを続けている者らに対しては通じない。 冒頭の問いに対して、全てのスポーツに通ずる答えを求めるにあたって手がかりとなるのが、「100m走」であろう。 100mを走る。 道具は使わない。チームメイトもいない。速さを求めないなら、ほぼ誰にでもできる。あまりに単純で孤独に見えるスポーツ、それが100m走である。そんなスポーツで、日々最速の地位を求めて努力する選手がいる。 100m走に、彼らは何を求めるのだろうか?この極めてシンプルな、全てのスポーツの原型とも言うべきスポーツに通ずる答えであれば、それはきっと根源的で、真理に近いものであるだろう。 そしてその答えの真理性は、スポーツという枠組みを超えて、人生にまで通ずるものになるかもしれない。 すなわち、わたしたちは100m走を通じて冒頭の問いに思いをはせることで、こんな問いにも、少しだけ答えを垣間見ることができるかもしれない。 人はいずれ死ぬのに、なぜ生きるのか? という問いに。 主人公のトガシは小学生のころから足が速く、そのおかげで人気者でした。 しかし上に行くにつれて、日本トップレベルの速さまで手が届いたとしても、自分よりも速い人も現れるでしょう。 「一番足が速い人」という価値の維持のために人生の全てを捧げてきたのに、その価値が失われていくとしたら、その後、トガシの人生に残るものは何なのでしょうか? スポーツ漫画であり、哲学読本のような作品です。 ぜひ、その真理に触れてみてください。

ドカベン

だから野球マンガは面白い!

ドカベン 水島新司
影絵が趣味
影絵が趣味

当初は柔道マンガとして始まり、いくつものシリーズを経由しながら、ひじょうに長い年月を経て、とうとう『ドカベン』に終止符が打たれた。最終巻の最終話では、第一巻の第一話における山田と岩鬼の出会いをそのまま回想としてなぞり、このあまりにシンプルでありながら、これしかないという演出には言うにいわれぬ感慨を憶えたものだった。 『大甲子園』を含めたドカベンシリーズの本流だけで全205巻。それ以外の支流からドカベンシリーズの本流に合流してきたものを合わせれば300巻に迫る勢いである。じつは、こち亀の200巻の記録をゆうに超えてしまっているのだ。 この途方もない事態は、おそらく『ドカベン』にのみ関わるものではない。すべての野球マンガに、野球マンガというジャンルに関わるものであると思う。マンガには様々なジャンルがあるが、そのなかでも野球マンガというジャンルは、マンガという体系に対して、ある特権的な位置を占めていると思うのだ。これはハリウッドが西部劇というジャンルとともに映画産業を発展させてきたのとよく似ているような気がする。すなわち、ここでは映画が西部劇を撮るのではなく、西部劇という土壌が映画を撮らせているというある種の逆転現象が起きている。映画においてもっとも重要な光線の処理の問題、これをハリウッドはその近郊の年中天候の変わりにくい荒涼地帯で西部劇を撮ることで解決してきたのだ。天候がほいほい変わればそのたびに撮影を中断せねばならないが、西部劇ならばそんな心配はしないでどんどん撮影をすすめ、作品を量産することができる。つまり、こうした西部劇の量産で興行した潤沢な資金を次の撮影にまた注ぎ込むというサイクルがハリウッドにはできていたということだ。 では、マンガはどうかといえば、マンガ制作に天候はあまり関係がなさそうだが、やはり手塚治虫の登場いらい体系の整えられてきたコマと記号の処理という問題が"大友以降"のマンガにおいても頭をもたげてやまないはずなのだ。というより、マンガにおける諸問題はコマをいかに処理し、記号をいかに処理するかに集約されるはずだ。あれだけマンガというものに抗ってみせた『スラムダンク』の井上雄彦もけっきょくはコマからは逃れられないし、記号には頼らざるを得ないところがあった。そもそも井上がマンガに抗わざるを得なかったのはマンガ家という身分でありながらバスケが好きだったという不幸に由来する。マンガでバスケの動きをどう表現するか、それは文字通りマンガへの過酷な抵抗であったことだろう。『スラムダンク』の美しさは、このマンガへの過酷な抵抗と山王への果敢な挑戦がダブるところに集約されるだろう。ただ、あくまでも井上に許されていたのはマンガへの飽くなき抵抗という姿勢までで勝利ではなかった、だからこそ湘北が山王に奇跡のような勝利をおさめたときに連載を止めねばならなかったのだ。その点で、マンガは野球に愛されていると言わざるを得ない。愛に守られてスクスクと育ち、野球マンガに特有の素晴らしき楽天性でもって『スラムダンク』とはまたちがった豊かさを随所で花開かせている。そのことは近年ますます豊饒となった野球マンガのひとつ『おおきく振りかぶって』にもよく描かれている。すなわち、打者のほとんどが打ち上げてしまう三橋くんのまっすぐ、打者はボールの運動をじっさいに目で正確に追っているのではなく、その軌道を経験的な記号として捉えてバットを振っている、と。このことは野球を外からみる側にもいえる。投手が構えて、ボールが投げられる、打者が構えて、バットが振られる、この一連の運動を隈なく目で追っているひとなどいないはずなのだ。わたしたちが見ているのは、投手が構えて、次の瞬間には、構えていた打者がスイングし終えていて、マウンドの投手はまるでバレエでも踊るみたいな不可思議な格好になっている。この野球をみるときの呼吸はマンガの呼吸とぴったり合いはしないだろうか。コマからコマのあいだの欠落を敢えて埋めようとはしなくてもマンガは野球を経済的に語る術をはじめから心得ていた。つまり野球マンガは、あるいはバスケマンガのように、マンガそのものに抵抗する必要があらかじめなかった。この追い風を受けてマンガは野球という物語を幾重にも変奏して量産することができたのではないかと思うのだ。

アニメコミック・もしドラ~「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」

専門用語の意味がちゃんと頭に入ってくる

アニメコミック・もしドラ~「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 岩崎夏海 プロダクションI.G
マウナケア
マウナケア

アニメ放送を観たんですけどね。正直、う~ん…、って感じました。だからそのフィルムコミックであるこの作品にも、大きな期待はしてなかったんです。ところが読んでびっくり、同じ素材なのにこれほど受け取り方がかわるものなのか、と。評価は180度変わりました。アニメ版で特に気になったのは声の質や動きの硬さ。それがなくなっているのは当然として、確実に感じたのは専門用語の意味がちゃんと頭に入ってくるということです。やっぱりイノベーションやトップマネジメントなど専門用語の意味は、朗読されるより自分のペースで文字を追った方がはるかに理解しやすいのだな、と痛感しました。で、こっちが理解できると、高校野球というたとえがしっくりくることがよりわかるんですよね。アニメでは説教臭く感じましたが、集団活動であり劇的な展開もあるというところが経済活動にうまく重なりますし、またドラッカーの言葉が見事にはまっている。原作は未読なのですが、人気になった理由がこの一冊でわかった気がします。