急がなくてもよいことを

昔のアルバムを見てるような気持ちになる #1巻応援

急がなくてもよいことを ひうち棚
nyae
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読みながらそう思っていたらあらすじにもそんなようなことが書いてありました。 作者の実体験をもとに描かれている短編集ですが、コミックエッセイとはまた違う読み心地です。まさに思い出を振り返って懐かしむことができるアルバムのようです。ある意味、自分の写真じゃなくてもこういう体験ができるんだという発見でもありました。 作者自身もしくは作者の親が、過去作を読み返すことで当時を思い出して懐かしむように、作者の子どもたちもいつかは同じような体験ができるのかなと思うと、宝物のような存在の1冊になっているのではないでしょうか。 その話が描かれた時期によって絵柄や画法も変えているところがまた時間の流れを感じます。 去年コミックビームに掲載された「夏休み」という読切でファンになり、「急がなくてもよいことを」をツイッターで見かけてこれはすごいなと感心した記憶があります。それ以外でいうと一番最初に載ってる「映画の思い出」という作品はかなり胸がギュッとなりました。パンを食べるところの表情がなんとも言えない… これからもこういうスタイルで作品を描き続けるのか、もしくは変えてくるのかわかりませんが、今後もどんな作品を生み出してくれるのかいちばん楽しみにしている作家さんです。

ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~

「異世界」や「グルメ」など、一言では括れない!

ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~ 瀬野反人
さいろく
さいろく

かつてファンタジー漫画なんてものは今ほど潤沢ではなく(いっても私が知ってるのはせいぜい30年ぐらいだけど)スニーカー文庫のロードス島戦記やフォーチュン・クエストを読みながら、出てくるモンスターやそれぞれの場面を想像で補っていた。 何十ページかに1枚あるかないかの挿絵だけでは世界観などわからないし、あくまで参考みたいなものでしかないため、リザードマンが硬いだなんて言われてみないとわからないものであった。 今はファンタジー漫画も超増えてるし、漫画雑誌を手に取ればわかりやすいRPG風世界が割と簡単に見られる。いい時代(たぶん)である。 なにしろ「ダンジョン飯」のような想像で補っていた部分に切り込む作品が徐々に頭角を現してきている。「葬送のフリーレン」なんかも角度は違えどそうだろう。 これらにより私達はより「ファンタジー(RPG風)世界ってきっとこう」という理解が深まり(実際に無いものへの理解は深まるとは違うかもしれないが)より一層ちょっと美しい視点で世界を覗くことが出来るようになってくるはずなのだ。 すごい例えが斜めに飛んでいくけど、FFとDQばっかりやってた人がワンダと巨像を初めてプレイした時、本当はこうなんだと衝撃を受けたはずだ。こんなに世界は広くって、遺跡はこんなに大きくて、人間はちっぽけだーと感動したはずなのだ。 それと同じように「気付かされる感動」がこの『ヘテロゲニア リンギスティコ』にはある。 なにせ言語だ!そこはきっと具現化して伝えるのがめちゃくちゃ難しい分野だろうよ、と思えるがあえてそこに切り込んでいき、見事に「なるほど…!」と読み手を唸らせているのだ。 ダンジョン飯やら異世界モノやらが好きな人たちにはもちろんのこと、若い世代・ガンダムより年上の世代がそれぞれこれを読んでどう感じてどう思うのか。 ぜひ時間のある時に、極力大きめの画面で読んで欲しい。 スマホではしっかり読むのにはあんまり適していないですから。