全時空選抜最弱最底辺決定戦

「最弱」を競うために異世界転生!

全時空選抜最弱最底辺決定戦 久正人 KRSG
ANAGUMA
ANAGUMA

久正人先生初の原作担当マンガということでドキドキしながら読みましたが…超面白い! 絵のテイストはぜんぜん違うのにちゃんと久マンガ独特のケレン味とリズムが息づいており、新鮮な久正人体験が出来る作品です。 久先生のネームも収録されてるのでKRSG先生の作画と比べられるのも楽しい。 あらゆる世界から最弱キャラクターを集めて時空イチのクソ雑魚を決める戦いに巻き込まれた人間代表ヒトムくんが雑魚トップ(ワースト?)5のメンバーとしてサバイバルしていくお話。 出てくるキャラもギリギリを攻めてて、趣味が悪すぎる『月光条例』みたいな感じですが、「弱いこと」が生む悲哀のドラマの描き方がたまらなく切なく、俺TUEE作品への単純なアンチテーゼに終わらない深みがあります。 みんな雑魚キャラなので基本どうしようもない連中なんですが、彼らがいじらしく生き抜こうとするサマが否応なしに泣けてくる…。 クソ雑魚としての矜持が輝くのをもっと見たい。 弱いからこそ、みっともないからこそ、彼らを愛せずにはいられなくなります。最弱だろうと生きてていいんだよ…!! とりわけ某宇宙戦争から出てきたような戦闘ロボKが自分のショボさに向き合ったときに見せる表情が自分の1巻のピークでした。 この顔が描けるのはすごいよ…。

ヴォッチメン

「きみはずっとひとりなのだよ」

ヴォッチメン 羽田豊隆
ANAGUMA
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顔が怖すぎて友達が一人もできない男子高校生“デビル日鳥”の日常を描く学園ぼっちコメディ。 日鳥は基本的に喋らないので、友達を作ろうとする彼の行動をまわりのキャラクターが深読みして面白い勘違いをしていくっていう笑いがテンポよく繰り広げられていきます。ちなみに日鳥を含むメインキャラは大体お笑いラジオが大好き(かわいい)。 会話のリズムとセリフ選びのセンスに僕は絶妙にハマってしまい終始楽しく読めました。絵もめちゃうまいです。 特に日鳥のメンターを務める吉田先生が毎話繰り広げる自分の経験談を元にしたアドバイスはお気に入り。 このキャラはホントヤバくて、彼が日鳥に告げる「きみはずっとひとりなのだよ」という言葉が毎回日鳥の行動を揺さぶるのが面白くも、胸に刺さります。 吉田先生を味わうだけでもヴォッチメンを読む価値は十分にありますよ! ギャグマンガとしての精度も抜群ですが、ジャンプらしい熱さも備えていて、バランス感覚に優れた贅沢なマンガです。 とりわけ最終回は作品全体を振り返りながら見事にまとめ上げていて、相当の完成度だと感じました。「やられた~~~」ってなります。 日鳥を中心に他のキャラクターの魅力もバッチリ描き切っており、とても2巻分とは思えない充実の感動を味わえました。 ありがとうヴォッチメン…。 ていうか表紙のジッパー芸コマけえな!今気づいたわ!

望郷太郎

"なにもない"ところから…

望郷太郎 山田芳裕
影絵が趣味
影絵が趣味

まず『望郷太郎』というタイトルからは望月峯太郎の名前を思い起こさせずにはいられない。いまでは望月ミネタロウとして活動している、あの望月峯太郎である。彼はやはり『ドラゴンヘッド』を境に名前をあらためたのだと思う。次の連載作の『万祝』は望月峯太郎名義ではあるが、内実は峯太郎→ミネタロウへの過渡期、もしくはミネタロウ名義の作品と位置づけられると思われる。というのは『ドラゴンヘッド』を境にして、動的で黒いコマ作りが、静的で白いコマ作りに変貌しているからである。これはマンガ家としての作家性を追求するための"閉じた"姿勢であると思う。逆にいえば、それ以前の望月峯太郎は"開いて"いた。開いて世間の荒波に揉まれる方向から、閉じて自らの作家性を研磨する方向へシフトしたともいえるかもしれない。 ところで『ドラゴンヘッド』をはじめ、あるいは岡崎京子の『リバーズ・エッジ』や『ヘルタースケルター』、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』など、90年代~2000年代初頭のある種のマンガには、いわゆる世紀末感というか、何かが崩壊してゆく感覚、良くも悪くもそういうような時代的なスペクタクルがあった。あの時代からもうすぐ20年が経ち、来年には、なんとも荒唐無稽なことに、大友克洋の霊感まったくその通りに東京オリンピックが開催されることとなったが、辺りを見渡せば、大友が描いた雑多でゴタゴタしたサイバーパンク感あふれる近未来はどこにもなく、奇妙なまでに画一的でのっぺりとした嘘明るい光景は、本来のミニマリズムが追求する引き算的な美学における完成度の高さとはまるで無縁の心身共の貧しさからくる単なる経費削減であるし、おもてなしの心を履き違えてボランティアでオリンピックを運営しようなどと寝言をいう。ようするに世界の崩壊などは起こらずに、ただずるずると地盤だけが沈下してゆき、見てくれだけはどうにかそれっぽく体裁をととのえながらも、ただ確実に豊かさは随所から消え去っている。いっそのこと世紀末に世界を崩壊させて仕切り直したほうが良かったのではと思うほど、当時からすでに黄昏といわれていたのが、いつまでも沈みきらない夏の夕日のようにいまだ延命を続けている。あの時代には崩壊させるに足る世界がまだあった。しかし、いまではそんな舞台さえ、なにもなくなってしまった。無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、ほんとうになにもなくなってしまったのである。いまや望月ミネタロウのように独自の作家性を発揮する高踏派のマンガ家も安心とはいえないのではないだろうか、何しろ地盤の沈下がいちじるしい。マンガも所詮はいち産業なので、地盤がどこまでも沈下してゆけば、独自の作家性もいつしか個人の趣味と見分けがつかなくなろう。 いま、山田芳裕の『望郷太郎』は、この"なにもない"ところから新たな一歩を踏み出そうとしている稀有なマンガであると思う。キャリアを重ねて閉じてゆく作家が多いなかであえて開いてみせた山田芳裕の冒険者的な勇気に敬礼を捧げたい。マンガ表現の限界を探求する閉じた作家が重要ないっぽうで、また彼らは開いた作家によってもその地盤を支えられているのである。