シュート!

久保建英や大谷翔平、井上尚弥の出現により、スポーツ漫画に求められる変革とは

シュート! 大島司
mampuku
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若干18歳にしてA代表に選出され、ビッグクラブへの移籍も確実視されている日本サッカーの至宝・久保建英。いま連載されている主要なサッカー漫画に、彼と同等以上の活躍をしている高校生はいません(まぁ現実にもいないんですけど)。アオアシの栗林もBeBluesの久世も、主人公の遙か先をいく圧倒的存在として描かれていますが、久保建英はそのさらに遥か先を行っています。 かつての名作には名門バルセロナで活躍する大空翼、メジャーリーグで投打に燃えた茂野吾郎などがいました。漫画だからこそ自由に描けた夢に、現実が追いついてしまいました。それによりスポーツ漫画に求められる役割が少しずつ変わってきたような気もしています。 読者が憧れるヒーローや漫画ならではのスペクタクルといったものから、競技そのものの面白さ・奥深さ、競技を取り巻く人々のドラマなどにスポットライトが移ったような印象です。 代表的なのがサッカーなら「フットボールネーション」「アオアシ」「サポルト」「ティエンポ」、野球なら「バトルスタディーズ」「グラゼニ」「ラストイニング」など。 本カキコミのタイトルに井上尚弥の名を上げておきながら不覚にも次世代的なボクシング漫画の例が思いつきませんでした……。ティエンポみたいなボクシング漫画、読んでみたい!

機動警察パトレイバー

きみにいかれてメタメタ めちゃメカ狂い

機動警察パトレイバー ゆうきまさみ
ぱにゃにゃんだー

ゆうきまさみが描くパトレイバー は本当によく出来た作品だと思います。週刊連載なのでそれなりの話数にはなるのですが、1話その1のように話が区切られているので、全体としては20数話構成。ストーリーも細かいところへ枝分かれはしますが、基本的には謎のレイバーグリフォンとの戦いに終始しているので、話にブレがありません。一つの話を長く続けてここまで深めていけたのはパトレイバー シリーズの中でも、飛び抜けている点ではないかなと思います。 また、これは作家性の領域、あるいは漫画家という職業の強みかもしれませんが、キャラクターの魅力がずいぶん引き出されてます。特に主人公の野明のかわいさは全パトレイバーの中でピカイチ。そればかりか、あの太田さんまでも時折深みのようなものを見せるのですから、たいしたものです。 個人的に残念だった点をあげるのなら、野明がレイバーのことをイングラムと機体名で呼んでることですかね。アーリーデイズから入った人間としてはアルフォンスと呼んで欲しかった。完全に私の趣味ですが。 パトレイバーはゆうきまさみもTwitterなどで公言しているように、マルチメディア展開を念頭に置いた企画のようで、アニメが先、漫画が先ということはないらしいようです。あるのはどれが好きかでしょう。話として通ずるものも多く、例えばアーリーデイズと漫画には、海に現れた謎の巨大生命体を扱った話がありますが、前者ではハイドロジェンデストロイヤーで撃退しようとする本多猪四郎版ゴジラのパロディとして、後者として人間ドラマを織り交ぜたシリアスなストーリーとして仕上げていたりします。マルチメディア展開が故に楽しめる要素として、それぞれが楽しいですので、漫画共々パトレイバーは読まれ見られ続けて欲しいです。

キャプテン

キャプテン試論 ースポ根とは言われない何かー

キャプテン ちばあきお
影絵が趣味
影絵が趣味

いわゆるスポーツ漫画一般を分類する言葉として「スポ根」というものがあるが、ちばあきおの『キャプテン』ならびにその続編の『プレイボール』は、その内容的には「スポ根」と呼べそうな要素を多分にもっていながら、どうしても「スポ根」とはいいがたい何かがあるように思う。それはいったい何なのか。 スポーツとはそもそもが不平等である。そんなスポーツ界で頂点に立つような人々というのは、生まれながらにして神に愛されており、尚且つ、努力にいっさいの身を惜しまないような人であろうと思う。それはそれは残酷で切ないことではありませんか。 そうであれば、少なくとも、青葉から墨谷二中に転校してきた谷口タカオをはじめ、体格にも才能にも恵まれない人々は二倍も三倍も、もっともっと、もっともっと、がんばらなくっちゃならない、その間にも、生まれながらにして神に愛されており、尚且つ、努力に身を惜しまない人々は先へ先へと進んでいくのだから。しかし、あえて言及してみるまでもなく、これほど当然の理屈もないだろう。劣っているものが優れたものに勝つには、もっともっと、もっともっと、がんばらなくっちゃならない。三分の一ノックで身体がボロボロになろうとも、向こう見ずのダイビングキャッチで脳震盪を起こそうとも、それでも、それでも、がんばらなくっちゃならない。なにせ相手は生まれながらにして神に愛されており、尚且つ、努力に身を惜しむことのない猛者たちなのだ、これほど至極当然の理屈がこの世にほかにあるだろうか。これほど残酷で切ないはなしがほかにあるだろうか。 しかし、ちばあきおという作家は、この残酷で切ない至極当然の法則から目を背けることはけっしてしない。むしろ、それを剥き出しの状態のまま直視しようとしているようにみえる。この眼差しには、残酷で切ないだけではない、どこか優しさめいたものがあるように思う。この優しさは、けっして、困っているひとを、あるいは劣っているひとを、助けるといったたぐいの優しさではない。もし、そうであれば、島田は二度も三度もフェンスに激突して脳震盪を起こさずに済んだにちがいない。 思うに、いわゆる「スポ根」なるものは、当然なるものを当然のこととして描くのではなく、この残酷で切ないがんばりそのものを直視するのではなく、それを問題的に、あるいは問題-解決的に覆うことで物語を構築しているのではないか。そうすることで残酷で切ないがんばりそのものは問題的なもののベールに包まれて見えにくくはなるが、登場人物たちは野性的で不平等きわまりない野晒しの世界からは守られることになる、しかし、これもある種の優しさではあろう。 それにしても、この野晒しの世界で、墨谷二中はどうなったか。なんと全国制覇を成し遂げたのである。当然のことを当然のこととして丹念に描いた結果が、荒唐無稽な夢のよう話になってしまうという、これほど感動的な事態がほかにあり得ようか。数あるスポ根の登場人物たちには勝つために理由-問題が必要だった、裏を返してみれば、彼らの勝利にはそれ相応の理由があった。そうと理由があるのなら、なんだ、そういうことかと腑に落ちることができる。しかし、ほんとうに感動的な体験とは、まだ見たことのない信じられないようなものを目の当たりにするときに起こるのではないだろうか。そして、それを少なくとも可能にするのは、努力は必ずしも、いや、ほとんど場合において実を結びはしないが、それでも、それでも、がんばらなくっちゃと思う、なにか対象のない漠とした祈りのような姿勢のなかにあるということを谷口たちは身をもって教えてくれる。

キャプテン

根尾くんはイガラシではないか!

キャプテン ちばあきお
影絵が趣味
影絵が趣味

第100目の開催となった夏の甲子園~ドラフト会議までのあいだには数々のドラマがあったと思いますが、そのなかにひとつ、遊撃手対決というのがありましたね。立役者はもちろん、報徳学園→広島東洋カープに入団した小園選手と、大阪桐蔭→中日ドラゴンズに入団した根尾選手、野手の華とも言われる遊撃手というポジションをめぐる二人の関係はそろって4球団競合ドラフト1位という決着に一旦終止符を打ちました。 しかし、それにしても、小園選手は見事なまでのショート顔をしている。将来は球界を代表する名ショートストップになること間違いナシと太鼓判を押したくなります。内野手の要として、すえながく渋い活躍でチームのピンチを救ってくれそうな選手です。いっぽうで根尾選手はと言うと、どうやら、必ずしも遊撃の名手としてドラフト指名されたのではないらしい、しかも、プロでは二刀流とは決別して野手一本でいくと表明していたのにも関わらずです。根尾選手は、いちプレーヤーとしての質の高さだけではなく彼の人間性全体からくる伸びしろの高さを評価されているらしいのです。 根尾選手にまつわる各界からのコメントをみてみますと、これが実にバラエティにとんでいて非常におもしろい。ショートの他にも、いまだピッチャー説もあれば、センター説もあり、挙句の果てにはキャッチャー説まででてくる始末。さらに特筆すべきはチームリーダーとしての資質です。単なるチームのまとめ役ではなく、根尾ひとりがいるだけで他のチームメイトにも良い影響を及ぼしてチーム全体の力能がこぞって向上するような類のチームリーダーとしての資質です。 こんな選手がかつていただろうかと思い巡らせてみますと、そんな選手をわたしはひとりよく知っているのです。そう、墨谷二中を全国優勝に導いたイガラシです。もう、見た目からして、あの猿か忍者のような身のこなし、ひん曲がった眉毛、根尾くんはまさにイガラシの体現だとしか思えないのです。