僕に殺されろ

もしも、うぐいす祥子さんが少年マンガを描いたら #1巻応援

僕に殺されろ うぐいす祥子
兎来栄寿
兎来栄寿

ひよどり祥子/うぐいす祥子さんの代表作である『死人の声をきくがよい』は、 ″担当の編集者から「女の子をいっぱい出す」「タイトルをラノベっぽく」という指示を受け、「主人公の男の子が幼なじみの幽霊やいろんな女の子に囲まれてキャッキャウフフな内容の作品をホラーマンガ家が描い」て出来上がった″ (Wikipediaより) という成り立ちだったそうです。 翻って、本作はあとがきで書かれているように前作『ときめきのいけにえ』が少年誌での少女ラブコメホラーへの挑戦だったことを踏まえて、今回は「メジャー感ある少年マンガを描いて下さい」と担当編集からオーダーされたのが始まりなのだとか。 うぐいす祥子さんに………… メジャー感ある少年マンガを…………? 思わず、自分の背景に宇宙空間に佇む何とも言えない顔の猫が浮き上がってきた気がしました。名古屋の喫茶マウンテンに行ってブレンドコーヒーを注文するようなものですよ。 『ドラゴンボール』や『名探偵コナン』くらいしか少年マンガを読んだことがないといううぐいす祥子さんは色々と勉強をして、少年マンガの何たるかを自分なりに解釈して、そうして出来上がったのがこの『僕に殺されろ』だそうです。 …………なるほど。 それはそうです。 うぐいす祥子さんが少年マンガを描いたら、こうなるのは必然ですよね。うんうん、なるほどなー。 ……どうして、どうして…………。 範馬勇次郎も言っています。 「持ち味をイカせッッ」 と。その意味でいえば、うぐいす祥子さんの持ち味は少年マンガを目指したというこの作品でもたっぷりと堪能できます。ただ、やはりその味が顕現すると王道少年マンガとはちょっと、いやかなりベクトルにズレが生じます。そこを楽しめる人にはとても良い作品でしょう。 担当編集さん的には、最初のオーダーから弾道計算したらこの辺に着弾するだろうと見越していたのか、それとも何だか凄いの出てきたけどこれはこれで面白いから良いやなのか、どういう風に捉えているのか気になります。 でも、マウンテンのコーヒーも実は本格的な豆を使用していて飲むと普通に美味しいということは実際に飲んでみなければ分からない訳で。たまにはマウンテンでコーヒーを頼むのも良いと私は思います。 この作品自体もそうですし、この作品を経て更に幅が広がるであろううぐいす祥子さんのこれからがますます楽しみです。

十次と亞一

幻想文学とミステリーと人情 #1巻応援

十次と亞一 コドモペーパー
兎来栄寿
兎来栄寿

切り絵作家でもあるコドモペーパーさんが描く、大正期を舞台にした独特の空気感を纏う作品です。紙の装丁は、その影響もあってかオシャレで素敵なデザインとなっています。時折、普通の絵に交えて切り絵による描写が差し挟まれるのも印象的です。 物語は、タイトルの通りふたりの青年が中心となって紡がれます。 うだつの上がらない漫画家である十次。 色男で売れっ子の小説家でありながら字の書けない亞一。 亞にも「次」の意味があるという点では非常に近しい名前を持つふたりの出逢いから、本作は幕を開けます。 最初は償いから始まり、やがてひとつ屋根の下で暮らすようになり、文字を書くことができない亞一に代わって十次は口述筆記を行います。その、ふたりの力を合わせて幻想文学を作り上げていくところは何とも言えないワクワク感があります。ふたりの関係性を強固にする理由が描かれた上での、134Pのセリフがとても好きです。人間の営みは目に見えないところで誰かに大きな影響を与えているものですね。 しかし、亞一にはどこか妙なところがあり、読んでいるといくつかの謎が出てきます。ある日それは十次に対するとある行為の予告として立ち現れます。コドモペーパーさんの絵は温かみがあってかわいらしいのですが、その絵柄に反して不穏な雰囲気が流れ始めます。 最後まで読めば、すべての謎は綺麗に氷解します。それを踏まえて読む2周目は、端々の描写がまた味わい深くなります。 主人公が物書きであり、また実在の文学作品が登場することもあって文学好きの方はより楽しめるでしょう。そうではなくとも、1冊で綺麗に完結している作品としてお薦めです。

銀の三角

萩尾SFの最高傑作

銀の三角 萩尾望都
兎来栄寿
兎来栄寿

1980年から1982年にかけて『SFマガジン』にて連載された本作は、萩尾望都SF作品の中でも特に好きであるという声がよく上がる作品です。漫画家でも、よしながふみさんや吟鳥子さんなどがこの作品の素晴らしさを折にふれて称賛しています。 萩尾望都さんは1969年にデビューし、1972年の『ポーの一族』や1974年の『トーマの心臓』で大人気を博し、多くの名作を通して少女マンガというジャンルの可能性を大きく拡張しました。そして、1975年には初のSF長編作である珠玉の名作『11人いる!』を発表。その後もSFジャンルでも『ブラッドベリSF傑作選』や『百億の昼と千億の夜』など原作付きのものや『スター・レッド』など続々と名作を描き続け、作家として円熟味が出てきたころに描かれたのがこの『銀の三角』です。 二億五千万年の周期で一巡するのを一宇宙年とする遠大な世界観の下、1000年以上を生きられる人が存在するようになった宇宙を舞台に繰り広げられる壮大な叙事詩です。読んでいる間は現実から浮遊し、最後のページを読み終えた後も暫し余韻に浸り魂が充足を得ます。 時空間を行き来するストーリーで、登場人物もクローンが登場することで話としてはかなり複雑で難解になっておりSF初心者には少々薦めにくいです。それでも表面をなぞるだけでも楽しむことはできて、しっかりと噛み砕いて味わおうとすればその分の深みを提供してくれる絶妙なバランスを保った作品です。 2000年前後からヴィジュアルノベルのジャンルで隆盛し、その10年後くらいにコンシューマーやアニメなどの世界でも遅れてブームとなったとある構成も、このころから巧みに用いていたことに読み直すと気付かされ改めて敬服します。 登場するガジェットも、今見ると現代にあるタブレットのようなものが使われているなど時代を先取ったものもありつつ、逆にそんな未来にあっても普遍的に残る音楽という文化で人の心が動く部分に感じ入るものがあります。 ラグトーリンの凛とした眼差しの美しさ。 ミューパントーの歌う見開きの神話的な荘厳さ。 表紙や扉絵のカラーイラストの美麗さも含めて、萩尾望都さんの紡ぐ絵の魅力が特に溢れている作品でもあります。 これだけの物語が、たった1冊の中で繰り広げられるという恐るべき密度に戦慄します。 流石に古びている部分もありますが、それでも今読んでもなお美しい言の葉と画力に、そしてその茫漠たる世界観に心酔します。紛れもなく、人類の至宝のひとつです。