神様のジョーカー

期待していたのとは違う方向だった

神様のジョーカー 楠みちはる 佐原ミズ
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

何気なく手に取ってみたけど、いい設定だった。 ごく普通の男子大学生の主人公はある特殊な能力を持っていた。 それは、「願いを叶える力」。 ただし、代償は願いを叶えた人の身のまわりの大事なモノや人でバランスを取るかのような不幸が必ず起きるということ。 半信半疑だったその力に確信をもっていくような描写や、能力の分析・検証って面白いよねーといつも思う。 全3巻という短さの中で、その末路に至った人や、かつての関係者を描いていたのは良かったが、思っていたようなワクワクするような展開には転がっていかなかったので少し残念。 主人公にとってあまり大きい波風が立たずにある意味無事に終わってしまい、投げっぱなしのようなむず痒さが残る。 勝手な言い分だが、一度狂おしいほどの強烈な不幸を味わってほしかった。 この能力の肝は、死神?の意図かそうでないかに関わらず、能力を使わなきゃいけない状況・場面に追い込まれていったときに「願う」かどうか、願ってしまった上でどう対処するか、すべてを突き放し孤独に生きるのか、代償を支払わせるためだけの関係を割り切って作るのか、能力自体にどう抗い戦っていくのか、そのあたりをもう少し具体的に見たかった。 映画『ファイナルデスティネーション』的な方向でも面白そうだったけど、作者さんがやりたかった方向とは違うのかなー。 大事な人を守りたい、という部分が強かったから動かせなかったんだろうか。 大事な人を守りたいからこそ、願ってしまう姿を見たかった。 ハンターハンターのハンター試験でも出たドキドキ二択クイズのような、母を取るか、恋人を取るかのような命題がほしかったなー。 運命と諦めないで泥臭く抗うような、そんな漫画を読みたい。

折れた竜骨

魔法×ミステリーの異色作

折れた竜骨 米澤穂信 佐藤夕子
mampuku
mampuku

 12世紀のイングランドを舞台にした「魔法や呪いの存在する世界でのミステリ」という大変意欲的な作品です。作者は「古典部シリーズ」「満願」「王とサーカス」の人気ミステリー作家・米澤穂信。  超常的な力の働く世界で推理によって論理的に犯人を導くことはできるものかと初めは疑いましたが、ふたを開けてみればその美しい論理展開、美しくも切ないラスト、そしてなにより美しい文章にただただ感動させられていました。推理をする上で足場となるべき我々のよく知る物理法則が働くこの世界とは異なる、魔術が発動し、作用する、ローファンタジー世界のルール。このルールを読者に信じ込ませる圧倒的説得力は見事でした。  原作小説の話はこれくらいにして肝心の漫画ですが、背景や服装の細部にいたるまでかなり凝っていて、一つの漫画作品としては満足度の高いクオリティに見えます。ただ、少女漫画風の美麗で(上手い形容詞がみつかりませんが)クリアーな絵が、小説を読んで想像していた不衛生で武骨な中世世界とは少しイメージとは違っていました。例えばヴィンランド・サガやベルセルクのような……まぁでもこの絵はこの絵で素晴らしいので言うだけ野暮ってもんですかね。

死都調布

死都調布、死都調布……

死都調布 斎藤潤一郎
影絵が趣味
影絵が趣味

『死都調布』と題されたこの怪書について何か説明せよ、と言われてみたところで、きっと誰もが口どもって返答に困り果ててしまうことだろう。 本とは、ふつう、一般的に、どこぞの誰かにその内容物を読まれるために、あるいは、どこぞの誰かにその内容物を語りかけるために存在するものだと思うが、この怪書『死都調布』にはそんな内容物はいっさい存在しない、つまり、誰に語りかけることもしなければ、そうであるからして誰からも読まれることはありえない、ただただ『死都調布』としてそこに在るだけである。 頁をめくってみると、第1話、第2話……などと本らしい体裁が整えられているが騙されてはいけない。それらは『死都調布』という題をかりそめに冠せられているだけで第1話も第2話も第3話もありはしない、それらはお互いがまったく無関係に雑然としてそこに在るだけである。そればかりではなく、じっさいに第1話、第2話……と、その中身を読んでいくと、まったく出鱈目なハレンチが繰り広げられているだけで、そこには中身と呼べるようなものはいっさいない、その証拠に「いったい何が書かれているんだ」と尋ねられても、やはり誰もが口をつぐむしかないのである。それでもかろうじて読んでいられるのは、コマからコマへの連動がアクションしているからなのだと思う。アクションとは、つまり、このコマの次にはまったく未知のコマが来るという期待、あるいは期待を裏切られるということだけに関してはぜったいに期待を裏切らないということ、もっといえば、このコマと次のコマとのあいだにはいっさいの文脈がなくお互いがまったくの無関係であるということ。 『死都調布』には、どの話にもかならず風景が描かれただけのコマが挿入されるが、あるいはすべてのコマに風景だけが描かれているのかもしれない。と、するならば『死都調布』とは風景そのものなのかもしれない。風景は誰にも何も語りかけない、ただ悠然としてそこに在るだけである。ところで『死都調布』に続編が出るらしい。そのイントロダクションにはこう書かれている「姓は死都、名は調布…」。これまで『死都調布』と呼ばれるこの作品群がかろうじて『死都調布』であったのは、調布という町で繰り広げられるいかがわしい事件を扱って集めているからだと思われたが、どうやら死都調布という風景は、それ自体が丸ごと動きまわる、ひとつの生命体であったらしい。