クラスにいじめはありません

クズはクズのまま生き抜けるか

クラスにいじめはありません 永瀬ようすけ
野愛
野愛

ずっと通っていたわりに外に出てしまうとどういう組織か見えにくくなるのが学校。 当たり前のように守ってたことや取り組んでたことが社会の常識から大きく外れてたりするのが学校。 個人的にはいい思い出もそこそこあるのに、こういう作品を読むと「学校ってクソだな〜」と安直に思ってしまうのが不思議です。 中学教師・西島が担任する生徒・太田真里奈が自殺した。 人間の血が通ってるまともな教師ならショックを受けるはずなのに、西島は「あああ〜疲れたぁぁ〜しんどぉ〜」としか感じてないのでまじでクズです。 太田がいじめられているのでは?という場面に出くわしても見て見ぬふり、太田が自殺してもいじめなんてなかったと断言し、真実を暴こうとするやつらをどうにかこうにかねじ伏せようとします。 清々しいほどのクズだけど、クズなので清々しくはないんだなあ…。 学校という組織が人を狂わせるのか、狂った人が最後まで組織にしがみつこうとするだけなのか。西島といじめっ子たちがただただクズなだけなのか。 クズはクズのまま生き抜くことができるのか見守りましょう。主人公に一切感情移入できない漫画も案外面白い。

るいるい

百合は廃墟への入口

るいるい 真楠
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

まず百合作品としては、男性が一切出てきませんがエロは多めです。ワードとして出てくる男性は一切姿を見せないので、男性を見たくない百合好きには安心の作品です。 主人公のオンナノコ好きな女子が、包帯美少女に誘われて通称「廃墟部」に入るお話。 部室のある半廃屋や活動で訪れる場所等、廃墟だらけの高校生活……なのですが、最初は廃墟よりもどうしても、女の子達のエロに引き摺られます。 廃墟に興味薄な主人公と包帯少女、先輩達や変態先生の強烈な百合にときめきながら、廃墟への思い入れや訪れた場所にまつわるエピソード等をインプットするうちに、主人公と共にふと、その廃墟を愛おしいと思う、そんな瞬間がやって来ます。 廃墟マニアの世界は「考えるな」てはなく「考えろ、感じろ」です(私が今、考えました)。 そこがどういう場所だったか、その場所で誰が暮らしていたか、何故滅びたか……それらを知ってから朽ちてゆくそこを眺めると、儚い滅びの美が何倍にも増幅される。 思い入れを知っていく事で、ある時廃墟の良さに突然気付く。その現場に読者も居合わせる、という体験が本作なんだと思います。 だからどうか、お気軽に読み進めていってください。分かる瞬間が、どこかで来ます。

青野くんに触りたいから死にたい

2017年からずっと一番好きな漫画

青野くんに触りたいから死にたい 椎名うみ
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

この作者はいわゆる天才なんだと思う。 いつも年末にその年一番良かった、好きだった漫画は何かを考える。 でも結局いつもよく分からなくなりそこから数か月経って、これかもしれないなーというのがふわっと浮かび上がってくる。 それが2017年は『青野くんに触りたいから死にたい』だった。 天然で思い込みが激しいタイプの女の子・優里に青野くんという初めての彼氏が出来るが二週間後に事故で亡くしてしまう。 優里は絶望し死のうとすると、幽霊になった青野くんが現れ…。 という始まり方で、これは一風変わったラブストーリーなのかと思った。 ところが読んでみると、とんでもない、そんなところじゃ収まっていなかった。 女の子の方のタガが外れているので何をしでかすか分からないドキドキ感と、青野くん本人も自覚していない隠された秘密が少しずつ露呈していく描き方がたまらなくゾッとする。 ピンク色イチャイチャからのゾッ、これがたまらない。 黄金比だ。 そして、異常事態を許容してしまうタガが外れた女の子優里ちゃん。 ここには人間の怖ささえある。 この漫画には、論理で捉えられない人たちの逸脱した思考・行動の怖さのようなものがずっと漂っていて、頭で理解できない本能的な部分にこそ恐怖を訴えかけてくるのだ。 なんかよく分からないけど怖いってやつ。 でもこれはホラー漫画では決してない。 1人の女子高生の繊細な恋心と仲間たちの感情の機微、つまりは青春を描いた漫画なのだ。 大好きだ。 この漫画が好きな人には是非、映画『イット・フォローズ』も観てほしいし、『イット・フォローズ』が好きな人にはこの漫画を読んでほしい。 ----------------------------- 追記 2020.07.04 話が続いていくほどに怖くなるこの漫画がなんでこんなに怖いんだろうと考えるんだけど、恐怖の根源ってそもそも理解が及ばないものということに気づいた。 昔から人間は理解できない自然現象や見えないけど確実に存在するもの、光や闇などを神とか悪魔とかの所業として畏敬や恐怖を感じていたから、それに近い気がする。 そこに厳然たる理論が横たわっているはずなのに、自分の理解ではどうにも分解できなくて考えが追いつかない感覚。 僕たちには理不尽にすら感じる霊との関わりの中で、ミオちゃんらの協力で少しずつ法則性が見えてきて恐怖が緩和されてきたようにも感じる。 恐怖に対抗する武器は理解なのかも。 自分自身の読解力のせいかもしれないけど、物語から作者さんの意図を読みきれないのが素晴らしくて、対談相手に『青野くん〜』は切り分けられずに様々な感情が付随して描かれていると言われたのに対して、 「私は、境界線を引きたくないんです。明確に境界線を引くって、何かを切り落とすってことだと思うから。そうすると、解像度が下がるので。」 と言っていて、すごく腑に落ちた。 漫画って線画のように、いかに現実の場面から情報量を減らして伝えたいものを画面に落とし込んで伝えられるかっていうメディアだと思ってたんだけど、それは線画の話であって、感情の話ではない。 一般的にデフォルメされた絵柄の漫画で語られる内容は絵柄に比例してシンプルなものが多いので、思えば『青野くん〜』の絵柄もそういう前提で読んでしまってこの感情の解像度の高さとのギャップに面食らってしまったのかもしれない。 当時テレビ放送時に『魔法少女まどか☆マギカ』にも驚いた記憶がある。 作者が感情ではなく理の人だと分かって、それ故に客観視されたような感情の言語化が果たされているのかと。 『青野くん〜』が三幕構成の話で、「キスを返して」までが一幕、『四つ首様編』までが二幕。 二人と仲間たち、どういう結末に向かっていくのか楽しみで仕方がない。