向こうの人【電子限定描き下ろし付き】

痛々しいのに目が離せない

向こうの人【電子限定描き下ろし付き】 上野ポテト
たか
たか

読んでいてメチャクチャ辛いのにページを捲りつづけてしまった作品。面白い…! 辛い、と感じたのは、主人公・たくまの性格と振る舞い。 妹に対して身内の特有の無礼さでモノを言い、Twitterで毒を吐き、会社の人間がいかにくだらないかを愚痴る(暗に自分は違うと言いたい気持ちが透けて見えるところがまたムカつく)。 始まって3ページで「うわ、こういうやつ無理だわ…」と思わせる主人公はなかなかいない。 自意識過剰で自尊心が強い小物。 現代文で習った懐かしの「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉が頭に浮かんでくる男。それがたくま。 そんな小物・たくまの振る舞いは見ていて痛々しいのだけど、読者である私もまた小物の自覚があるので、いつの間にか主人公にガッツリ共感していた。 ここまでかなり悪しざまにたくまを語ったけれど、たくまはちょっぴり嫌なヤツなだけで、悪いやつではない。読み進めるに連れて、その人間臭さがとても愛しく感じられる。 「たくまがTwitterでずっと繋がってて時々やり取りするだけのフォロワーの『エス』が、じつは今をときめく人気俳優の『なるさや』だった」という設定だけ読むと、BLでありがちな突飛で薄っぺらい展開のように思うかも知れない。 しかし実際は、2人の感情の動きを非常に丁寧に、かつ最初にたくま視点で描かれた場面をエス視点でなぞり直すため、かなり生々しい物語となっている。 ひたすら2人の内面のゆらぎに焦点をあてた読み応え抜群の作品。エロもないので、ぜひ普段BLを読まない人にも手にとってほしいです。 (画像は3話より。たくまはこ〜〜いう、しょうもねぇところがあるんですよ。で、このあと自己嫌悪する。そこがいい…!)

この音とまれ!

『凝縮された少女漫画』で最高のエンタメ!!

この音とまれ! アミュー
たか
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ブロッコリーのことを「凝縮された森」と呼んだ天才にならい、『この音とまれ!』のことは「凝縮された少女漫画」と呼びたい。この作品はジャンプSQ.で連載されていますが、コマ割りが少女漫画であるため勝手に少女漫画と呼ばせていただきます。 4月にアニメ化されるということで放送前に読んでみたのですが、まあ〜すごい作品でした。何がすごいって、**とにかく見所が多すぎる…!** **・主人公の過去が凄惨(不良に琴職人の祖父の家を焼かれる) ・琴の名家に生まれたヒロインのお家騒動がヤバイ ・顧問が実はめちゃくちゃすごい人 ・ライバル校のキャラがやたら濃い** 辛い過去、ハードな練習、美しい演奏描写、琴の知識、熱い友情、恋の予感と、とにかく注目すべき要素が多いんです。 **私が思う少女漫画の名作の条件の1つは、「ドラマチックな悲劇が起こりそれを愛・友情で乗り越えていく」こと。**『この音とまれ!』はその条件に当てはまる部分がすぎていて、**凝縮された少女漫画としかいいようがない。** まずそもそも**作者(とそのご家族)がお琴の経験者で、琴の演奏描写が非常に優れていて読み応えがある。**そこへさらに、先に挙げたようなヘビーな設定を次々持ってくるもんだから、ドラマが洪水のように襲ってきて読者は感情を付さぶられまくる。そして、思い出したようにヒロインといい感じの雰囲気になるシーンが挟まる。 んもう、最高にエンターテイメント…!! またテーマである**「琴」の演奏シーンの作画は常に大迫力**で、読み終わってソッコーで本物の演奏を比べてしまったほど。作中に登場した、アミュー先生の家族がこの作品のため書き下ろした楽曲はYouTubeで聴くことができます…! https://www.youtube.com/watch?v=Y_Db88Ef6FQ ちはやふるやナナマル サンバツなど、熱い文化部漫画が好きな人は間違いなくハマるので、ぜひ手にとってください!(※なおアニメはおすすめしません!)

痩せたいさんと失恋ちゃん

百合好きならこの作者の組み合わせ、ピンときますよね?

痩せたいさんと失恋ちゃん 安田剛助 文尾文
sogor25
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「私と彼女のお泊まり映画」「草薙先生は試されている。」等、百合に限りなく近い女性同士の関係性を多数描いてきた安田剛助さんが原作、「私は君を泣かせたい」で笑顔あり涙ありの様々な表情を見せる百合作品を描いた文尾文さんが作画というコンビで生み出されたこの作品。 主人公の凛子が初恋の相手である詩織先生と偶然再会するところから、中盤ある理由で詩織先生の家に行くことになるまでの展開の自然さに唸らされる。そして詩織先生が凛子の恋心を意識した辺りから終盤への展開、百合作品でこんな結末されたら悶えてしまう。 原作の安田剛助さんは「じけんじゃけん!」等のコメディの印象のほうが強かったけど、今作はコメディ要素も見せつつ直球の百合ではないドラマ性の高いストーリーを見せてくれる。作画の文尾文さんは相変わらず表情の描き方が上手いし、太ってるという印象を与えてダイエットしてるという設定に説得力をもたせつつちゃんと愛され感のある詩織先生のビジュアルが見事。 その後の物語やサイドストーリーも見てみたいという気にさせつつ、全1巻で綺麗に完結して「いい百合作品を読んだ」と思わせてくれる作品。

五番街を歩こう

「歩こう」の心地よさ

五番街を歩こう 岩館真理子
pennzou
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単行本タイトルはシリーズ名であり、このシリーズは1987年に週刊マーガレットにて掲載された。シリーズはそれぞれ「金魚草のこころ」、「紫陽花の陰に猫はいる」、「カルミア」というサブタイトルが充てられた3話から成る。単行本には短編「月夜のつばめ」(1988年発表)も収録されている。ここでは「五番街を歩こう」シリーズについてのみ記す。 岩館作品を熱心に読めていないため見当違いかもしれないが、シリーズ3話全てに結婚という概念が登場するのが本作の特徴だ。結婚する・しない、結婚後の行き違い、別れた後が物語の要素になっている。それは直接的にあるいは形を変えて登場人物の心に陰を落としているが、物語の最後には解決をみる。この解決は風が通ったような心地よさをもたらし、どこか楽になれた気がしてくる。また、登場人物の悩む内容には読者にとってもわかりポイント(現時点でそう思っているでもよいし、もし登場人物と同じ立場だったら確かにそう思うだろうなーでも構わない)があり、それも心地よさに作用している。 五番街という地名はおそらくニューヨークの五番街(Fifth Avenue)からとったネーミング。ネタ元の街並み通り、作中の街も当時の都会的なビル街となっているが、たまに出てくる庶民的なアイテム(ちくわとか……)やあんまりかわいくない猫にくすりとさせられたりもする。これらの要素は突き詰めると矛盾しているように思えるが、あまり世界設定にはこだわるなということだろう。こだわらない分、物語に集中できる効果もあるかもしれない。 岩館作品に共通しているあまりにも繊細で美しい絵も大きな魅力だが、たまにあるコメディチックな表情付けや演技もほっと一息つけて良い。 前述の通り、本シリーズは結婚という概念の存在感が大きい。つまり、所謂大人の世界を描いている。それが週刊マーガレットに掲載されていたと考えると驚いてしまうが、「五番街を歩こう」~「月夜のつばめ」以降は週マでの作品掲載がないことから、岩館先生の描きたいものが変化していっていると捉えることもでき (作品世界と混同するのは良くないが、3話の終盤の台詞にそのニュアンスを感じる)、そういった意味では過渡期の作品であるかもしれない。前後の作品を読み、その変遷について考えるのもいいだろう。自分はそうしてみようと思います。