やがて明日に至る蝉
センシティブなシリアスからグルメコメディまで #1巻応援
やがて明日に至る蝉 ひの宙子
兎来栄寿
兎来栄寿
先日、『最果てのセレナード』の記事で触れたひの宙子さんの短編集です。2021年から2023年にかけて『フィール・ヤング』に掲載された5つの作品が収録されています。 ただ、それらの作品の温度差たるや最近の三寒四温な気候に匹敵するほどです。作者自身があとがきで言及しているように「振り幅すごい」。でも、そんなところもまた短編集の味わいの良さの内であろうと思います。 14歳になった主人公が「はる」に手紙を送るシーンから始まる表題作である「やがて明日に至る蝉」は、一見青春群像劇のように見えます。が、読み進めていくとただのそういったお話ではなく、あるテーマに取り組んだ作品であることが解ります。苦心しながら描き切ったであろうことが伝わってくる内容ですが、相変わらず構成力が高いなあと唸らずにはいられませんでした。 続く「折って切らない」も、『フィール・ヤング』らしさを感じる1篇です。マイノリティの生き難さ、とりわけ一番身近な存在である家族から理解を得られない辛さは特別大きいものですよね。最終ページのメールの文面にとても共感してしまいました。同じような共感をするであろう、かつての友人たちが元気に平穏に暮らせていることを祈ります。 「ホタテガイの女」と、「タラバガニの男」はひの宙子さんがギャグやグルメに振り切っても素晴らしい作家であることを示すお話です。1コマ目のセリフが "あなた七輪持ってるでしょう" から始まる男女の物語、端的に大好きです。ここで描かれる、最高のホタテガイやタラバガニのシズル感たるや、並のグルメ番組が裸足で逃げ出しそうなレベルです。色も、音も、匂いも、存在しないはずのモノクロの画面からすべてが伝わってきます。最高のホタテガイを最高に美味しく食べるために、ジョルノ・ジョバーナのように敬語でまくし立てるところの愛しさよ。読んだら貝焼き味噌という犯罪行為を犯したくなること請け合いです。 総じて、お薦めの短編集です。連載の『最果てのセレナード』や、4年前に発売された『グッド・バイ・プロミネンス』とあわせてぜひ。
再生のウズメ
アラフォー引きこもり女性の再起 #1巻応援
再生のウズメ 天堂きりん
兎来栄寿
兎来栄寿
『きみが心に棲みついた』の天堂きりんさんによる最新作です。 28歳のときに、とある事件がきっかけで心を病み身も窶してしまった主人公のウズメ。それから12年間、実家で両親に煙たがられ日々衝突しながらも引きこもり生活を送り続け気付けば40歳。働きもせず、結婚もせず、両親は70歳になりいつ何があるかもわからず未来の見えない日々を生きる彼女が、ひとつの出逢いをきっかけに社会へと復帰していく物語です。 引きこもりというと自由な時間が多くて何でも好きにできて楽しそうに思えるかもしれませんが、当人は常に見えない不安や焦燥感、罪悪感や自己嫌悪など恒常的にストレスに晒され誰からも必要とされずweb上以外では人と出逢ったり話したりする機会もない状態は、むしろ普通に働いて定期的に給料をもらって社会に関わっている方が圧倒的に幸せであったりもします。 また、作中でも8050問題が言及されるように問題は当人にとどまらず家族や周囲の人にも及びます。本作では、その渦中にある母親視点からの想いやエピソードも濃密に描かれることによって、この問題を立体化させて把捉しています。 2022年の内閣府のデータでは日本には広義の引きこもりは75万人ほどいるということで、パーセンテージから見れば僅かではあっても絶対数で考えれば熊本市や新潟市、あるいは浜松市の人口に近いほどの人数がいると考えると社外的に看過はできない課題でしょう。 「容姿の冴えない40歳の引きこもり女性が主人公」というのはいわゆる売れ線作品の特徴からは少し離れており、企画的にも難しさを抱えるテーマだと思います。しかし、だからこそ意義や価値がある作品であり、今の『FEEL YOUNG』が面白い理由の一翼を確実に担っている作品と言えます。 ウズメは引きこもり生活によって鬱屈として多少偏屈になってはいても、根本的に人に対する優しさを持っている人物なので読んでいて清々しさがあります。そんな彼女が、別の現代社会の闇に晒されて歪められてしまった人々との関わり合いを通して、元役者という才覚を活かしながら少しずつ再起していく様は良いものです。物語の始まりや根底のテーマは重いですが、作品全体として見ると暗くなりすぎず前向きに進んでいく雰囲気があります。 巻末のあとがきでは連載が継続するか・3巻か出るかどうかは不透明とのことですが、是非とも続いて欲しい作品です。躓かずに生きていける人の少ない世界に必要な物語です。