少女ケニヤ

天才が生まれた一瞬の輝きを閉じ込めた一冊

少女ケニヤ かわかみじゅんこ
TKD
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まず、度肝を抜かれるのが巻頭にフルカラーで収録されている「おなもみ」です。 遠くに引っ越してしまう幼なじみの少女に対する未練を少年の視点から極限にまで削ぎ落とされた台詞と洗練された演出、メタファーを使うことでわずか8ページで描写しきった傑作です。初めて読んだのは何年も前ですが今だにその時の衝撃が忘れられません。特に見開きの一枚絵の構図と吹き出しの位置はこれまでの自分漫画体験には全くないもので「こんな漫画の見せ方があったのか!?」とパニック状態になりました。 また、色彩センスも抜群で少女漫画らしい水彩メインのパステルカラーで実在感がありながらもどこか幻想的な空間を描き切っています。 かわかみ先生の作品、特にこの本に収録されている作品には、女性作家でありながら男性目線のモノローグで男性が女性に対して密かに抱いている感情を暴き出しています。一見すると男性に対して厳しい目線が向けられているように見えますが、逆にそこまで理解してくれた上でこのような作品を書いて世間の男性に対して接しているのだと考えると非常に慈愛に満ちた作品として捉えることができる作品が多いです。 なので、女性はもちろんですが、男性にも読んでいただきたい一冊です。
こちらから入れましょうか?…アレを

夫婦の行き違いを描く実はセンシティブな物語

こちらから入れましょうか?…アレを 松田環
sogor25
sogor25
1話掲載の段階で結構話題になっていた作品。1話を読むとかなり突飛な設定のエロコメディに見えるけど、その実もっとセンシティブなテーマを扱ってる作品、のように見える。 夫・敦が「入れられなく」なった理由。それはひょんなことから妻の優の過去を知ってしまったことに起因する。夫婦だって当然今までの過去の全てを共有してるわけではないから優のほうに落ち度はなく、落ち度がないからこそ自身の現状に対して負い目を感じてしまっている。 一方の妻・優は「こちらから入れる」という方法でなんとか目的を達成しようとするのだが、以前よりは幾分かマシになったものの満たされたかと言われるとそんなことはない。そして自身の知られたくない過去をよく知る男の登場により、彼と夫との間で板挟みの状態になってしまう。 それぞれがやや特殊な秘密を抱えた夫婦だけど、この作品の1番のポイントはその秘密をお互いが相手に打ち明けることなく悩み続けているという点にあると思う。生きていれば誰にだってある"秘密"を極大まで強烈なものとして描いているけど、程度の差こそあれ相手のことを思うためにその秘密を打ち明けられず苦悩する様子には誰もが共感できるはず。むしろ、悩み自体にインパクトがあるからこそ、夫婦の両方に共感できる物語になってるような気がする。 夫婦2人の内面の描写も丁寧だし、内容的には少女マンガと言っても全然差し支えない。そう、アレさえなければね。 1話まで読了
たましいのふたご

「アレックス」と「リーテ」という名前

たましいのふたご 三原ミツカズ
せのおです( ˘ω˘ )
せのおです( ˘ω˘ )
本作は、10月末にあったマンバ読書会「ハロウィンに読みたいマンガ」の会に持って行きました🎃 10月31日、アメリカとドイツの、"世界のはしとはしで同時刻に"死んだ2人の子供、アレックスとリーテ。"片方はニュースになり片方は揉み消された"というプロローグから始まります。 本作は、大きく分けて2つの物語があります。 1つは、霊になったアレックスとリーテのことが見える、本編の主人公たちの話。 もう1つは、アレックスとリーテ自身の話です。 本作の面白さは、この2つの物語が絶妙に交差してオムニバス形式の話が進んでいくことです。 本編では、プロローグとは一転変わり、アレックスまたはリーテのことが見える人物の話が、オムニバス形式で進められます。 生きている頃の記憶が曖昧なアレックスとリーテの霊になった姿は、"魂の双子"、つまり"自分の「半身」がどこかにいる人"にのみ見えます。 本編に出てくる主人公たちは、物理的、または精神的な双子関係にあたる人物について、何かしら悩みだったり葛藤だったり、事情を抱えています。しかし、アレックスまたはリーテと出会うことにより、登場人物たちは気持ちの整理をつけていきます。そしてアレックスとリーテも、徐々に記憶を取り戻していきます。 記憶を取り戻していくうちに、アレックスとリーテは自分たちがなぜ成仏せずに彷徨っているのか、 「僕を見つけて」、 「私を探して」、 現世での目的を思い出していきます。 そして、アレックスのことが見える春陽と、リーテのことが見えるテオの、"魂の双子"同士が出会うとき、アレックスとリーテに何かが起こる…?!✨ 人物が抱えている闇を何一つ取りこぼさず描いている作風や、ファッショナブルな絵柄は、とても三原先生らしいです! 加えて、複雑なストーリーの混ざり合いを読み手に分かりやすく伝える巧妙な物語構成から、三原先生の代表作といっても過言ではありません。 特にラストはもう本当に見ものです…!!😭
真夏のデルタ

満足感の高い1巻完結作品。

真夏のデルタ 綿貫芳子
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
とある3人の高校一年生、ひと夏の出来事。 人の顔色を伺っていい子のふりして勝手に不満を溜めて落ち込む女の子、椎葉。 背が高くてかっこよくて運動も勉強もできて周りの期待とプレッシャーの中で空気を読み続け「いい奴」を演じる男の子、三辻。 周囲からの視線、評価を一切気にしないで好きな美術と好きなだけ向き合う、伸。 付き合っている椎葉と三辻。孤独を楽しむ伸。 椎葉の歪な歯の形をきっかけに、ひと夏限りの三角形が浮かび上がる痛くて淡い思春期の記憶をそれぞれの視点から描くオムニバス。 https://twitter.com/atomicsource/status/1169210747240402944?s=20 「空気読まなきゃ」とか「嫌われないようにしよう」といった部分は多くの人の思春期に共通する息苦しくってたまらない問題ではあるんだけど、その分かりやすい手前の痛々しさだけをピックアップするべきではない奥行きを持った漫画だなと思った。 この漫画の、夏の強い陽射しとそよ風と木陰と美術室の匂いと蝉の声の中で鮮やかに描かれているのは、その時期の一点ではなく成長と変化の軌跡だ。 それぞれの立場の人間がこの出来事を機にそれぞれの方向へ軌道を変えていく。 そのときは運命的に感じるかもしれないが長い目で見ると偶然そこに居合わせたそれぞれの通過点に過ぎない。 それでも多感な時期に起きた出来事は、人生の行く末を変え得る力を持っているものだ。 読んですぐは、 ・変われた人(脱却、変化) ・変われなかった人(後悔、反芻) ・変わらなかった人(自分の価値観を信じて美しいものを追い続ける) の三者を描いているのかもと思ったけど、発言の内容だけ見ればそう単純ではない気もする。 当時は全てだった何もかもは、久しぶりに会えばあの日はあんなこともあったね、なんてささいな想い出のように語られるだろうけど、本当は誰しもが何かしらの形で一生その時代に囚われている。 そんな三者の羽化した先まで美しく描いているので一冊としての満足感がとても高い作品。
はらへりあらたの京都めし

嫌味を感じない楽しい京都

はらへりあらたの京都めし 魚田南
名無し
作者の魚田南先生は実際に京都府の隅っこのほうの 出身のようで、実体験をもとにした 「京都に憧れる京都人」を描いたみたい。 なぜか漫画の中ではムーミンが型崩れしたような「アラタ」 というキャラで登場してくる。 アラタは京都の北の山の上にある美術学校の生徒。 美味しいものを食べたい、出来れば女子大生らしくオシャレに。 幸いにして愉快な仲間とオシャレで美味しい店で 色々な料理を楽しみ味わう機会に恵まれるのだが・・ この漫画の良いなと思った点は、 「どう、これってオシャレでしょ」という ハナにつく嫌味を感じる展開がないところ。 なにせ京都だし、まして美術大学の女子大生。 私が今まで抱いていた京都や女子大生のイメージからすると 「これが京都のオシャレどすえ」という話が出てくるのかと思った。 「涙を流しながらぶぶ漬けを食うハメに」 みたいなシーンが出てきたりするのかと想像していた。 実際、オシャレな店でコジャレた料理を食べるシーン は多かったし、よくある 「貧乏学生が安居酒屋で飲んだくれる」という 基本は貧乏、みたいな話とは大分違ってはいたけれども。 けれどアラタのノリなのかホントの京都のノリなのか、 仲間とクダケタ京都弁で好き勝手言い合いながら食事をする シーンからは嫌味は感じられない。 京都って美味しい食べ物があって楽しい人達がいるんだな、 と思わせてくれる漫画だった。 ・・それが正しいのか誤解なのかまではわからんが 漫画として楽しく読めたのだからOK(笑)。 作風や絵柄に付いては読んだ人で好みがわかれるだろうな、 と思う部分はあった。 全体的には絵もストーリーも綺麗で、ちゃんと 漫画的に面白く描いている部分もあって私好みだ。 だが、料理とかはあまり食欲をそそらない。 なぜだろう? 細い線(フリーハンド中心?)で細かく書き込んでいるし、 料理や食器が微妙に重なった構図とか、 色々とこっているな、と思ったくらいなのだが。 出てくる料理が馴染みの無いものが多いので 味が想像できないからだろうか? 掲載されている各店の料理のお値段などからすると 思ったより安い。 なので京都に行く機会があれば是非食べてみたいが なんせ京都は遠いから、当分は漫画を読んで 想像して楽しむだけだな。