兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/20
令和のGTO #1巻応援
ちょうど四半世紀前の1998年に反町隆史さんと松嶋菜々子さん主演のドラマ版が始まり、大人気を博した『GTO』。私は和久井繭くんが大好きでした。何なら『GTO パラダイス・ロスト』も連載中なのですが、「『GTO』ってまだやってるの!」と驚く人も多いかもしれませんね。 そんな『GTO』のDNAを感じさせる、同じくマガジン系レーベルから送り出された型破りな教師が主人公で一癖も二癖もある生徒や同僚たちと渡り合っていく学園群像劇です。 骨格は同じではありますが、いわゆるZ世代の生徒たちを描いていることで現代的な読み味となっています。配信者として人気になっている子がいたり、スマホを持っているのが当たり前であったりする時代。女子高生がSNSや動画を見てお金持ちのキャバ嬢に憧れていることが一部で話題となっていましたが、現代ならではの教師の大変さはあるでしょうし、その一部が描かれます。それ以外でも、そこかしこで令和的な価値観が現れてきます。 しかし、『3年B組金八先生』と『GTO』でもガワは大きく違っても根底にあるものは共通していたように、『ストロングスドウくん』も時代が違う作品であっても通底するものがあります。それは、どこまで行っても究極的には人間対人間の物語であるからでしょう。結局、子供が信頼できる大人というのは本気で自分たちのことを考えて向き合ってくれる大人です。 須藤先生はヒゲにサングラスの巨漢で見た目こそカタギに見えず、職員会議をサボって屋上で筋トレしているような自由人ですが、その部分ではどの教師よりもしっかりとしており魅力的です。1巻では描かれないのですが、連載中の部分で明かされつつある須藤先生がどうしてそういう風になっていったのか、というエピソードがとても好きです。 脇役である西先生の物語にも良い味があり、もちろんたくさんの生徒たちにもそれぞれの物語があって、学校という特異な空間の中での群像劇として秀逸です。 これから先、更に面白くなりそうでテーマも深まっていきそうですので楽しみです。 なお、作者の瀬澤さんのこちらの読切も非常にお薦めです。 第89回 青年部門 大賞「さらば太陽」瀬澤ノブコ(25歳・東京都)|小学館 新人コミック大賞 https://shincomi.shogakukan.co.jp/viewer/89/04/201.html
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/18
主人公になれない主人公 #1巻応援
先月完結巻の2巻が発売した『私が15歳ではなくなっても。』で、その異才を遺憾なく発揮していたあむさん、やはり好いです。 『うちのアイドルが可愛いすぎる! アンソロジーコミック』に収録されている、あむさんの「特別じゃない、君が特別。」。こちらを単話で買って読むこともできます。シーモア先行配信で1ヶ月前に発売していましたが、今日から他の電子書店でも展開されているようです。 まず、表紙絵の引きが強いですよね。今をときめく『【推しの子】』にも負けていないと感じます。そして、その画力がかわいい部分だけでなくエグい部分にも用いられているのが良いです。 アイドルアンソロ収録作品ということでアイドルを題材にしており、『私が15歳ではなくなっても。』ほどまではダークではないのですが、輝くスターたちの裏で燻って儚く消失していく地下アイドルの、現実にもあるであろう無数の物語のひとつが描かれます。それはまるで、小さな星の輝きを太陽がまるごと飲み込んで巨大な力で宇宙から消失させてしまうかのように。 自分のマイナスの立ち位置を正しく認識して、すべき努力を言語化して、少しずつでも前に進もうとするその先に待ち構えるもの。短編だからこそ描ける特別ではないから特別で、主人公ではない主人公。 「夢を追う時」から始まるモノローグは蓋し名言です。 あむさんの描くマンガをもっともっと読みたいと思わせてくれる、24Pです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/17
理想の葬儀を叶えてもらえるとしたら #1巻応援
あなたは、自分の葬儀をどのように執り行って欲しいですか? 私はとりあえず吉野山に灰を撒いてもらえればそれ以上望むことはないのですが、高校生の時はMALICE MIZERの「虚無の中での遊戯」を葬式のBGMにして欲しいな〜などと思っていました。 35歳の主人公の健子は、結婚を考えていた恋人が実は妻帯者で、別れた後に自分も妊娠していたことを流産した後に知り、敗血症になり3週間入院して、会社を辞めて実家に帰るという過酷なスタート。 再会した幼馴染から仏具屋さんが葬儀屋さんになることも結構ある、特別な資格の取得なども必要なく本人のやる気次第という話を聞いて「ご本人様プロデュース葬」を行う葬儀屋を開業する準備を進めていきます。 葬儀とはいっても、死後のことばかりではなく生前葬という選択肢もあり、しかも多様化の現代にあってはもし望むならいろいろな形が可能になるのだなと考えさせられました。 恋愛関係に発展することを匂わせる良いメンターや、 「商売はアイディアとご縁!」 と、勇気づけてくれる顧客との出逢いもあり、周囲の温かい協力も得ながら少しずつ社会復帰を進めて行く様が良いです。誰かに喜んでもらえる仕事ができることで、自分自身も再び笑顔になることができる。人の世の素敵なサイクルに、読んでいるこちらも温かい気持ちになります。 しかし、葬儀に際しては人間の醜い部分を見ざるを得ないこともあり一筋縄では行かないだろうなということも強く感じさせます。時には失敗もしながら、それでも失敗した時こそチャンスでもあるということもエピソードで描いていきます。 男性ふたりと三角関係になる部分も見所のひとつでありつつ、少し変わっていながら誰にとってもいつか関わる仕事マンガとしても、一度大きな挫折をしてしまった人が人生を立て直す普遍的に誰かを勇気付けられる物語としても味わえる作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/16
マンガで楽しむ干将・莫耶
『蓬莱トリビュート 中国怪奇幻想選』に始まり、『竜王の娘 中国幻想選』、『狐の掟 中国幻想選』に続く中国古典が原作となるシリーズの最新巻が1年半ぶりに発売となりました。 「無名の剣」(原作:『捜神記』) 「母大蟲」(原作:『萬暦野獲編』) 「僧侠」(原作:『西陽雑俎』) 「弓勝負」(原作:『朝野僉載』) 「怖がりの老師」(原作:『閲微草堂筆記』) 「ある男の善行」(原作:『閲微草堂筆記』) の6編が収録されています(「僧侠」、「怖がりの老師」は『蓬莱トリビュート』からの再録)。 中国古典を原典に忠実にコミカライズするのではなく、大胆な解釈と現代風アレンジを施して提供する有名作といえば何と言っても『封神演義』ですが、鮫島さんのマンガ力の高さや魅力的な絵はまるで短編で『封神演義』的なことをやり続けているような感覚です。 本巻で個人的に最も好きなのは、表題作にもなっている「無名の剣」。古典やRPGなどが好きな方であれば、一度は耳にしたことがあるであろう名剣干将・莫耶にまつわるお話です。『捜神記』を原作にした本作は、旅人と楚王とのやり取りに改変があり屈指の見どころとなっています。とりわけその時の旅人の表情が、鮫島さんの味がよく出ており堪りません。 「母大蟲」の、傍若無人ヒロインぶりも現代的な感じで呈されると人気の出そうなキャラだなあと思います。スナック感覚で殺される方はたまったものではないでしょうけれど。 「弓勝負」は二編に分割されており片方は「督君謀と王霊智」、もう片方は「飛衛と紀昌」。師弟の在り方が対比的なふたつが並べられることで、単独でも楽しめる作品の味わいが相乗効果で増しています。紀昌と飛衛は、中島敦の「名人伝」でも有名な弓の名手ですが、贅沢を言えば不射之射のところまで鮫島さんの絵で見てみたかったです。 「ある男の善行」は、白無常・黒無常のデザインがひたすら好きです。 このシリーズを期に中国古典に興味が出る人もきっと多いでしょうし、意義のあるコミカライズだと思います。特に中国古典に強い興味がない人でも純粋に現代のエンターテインメントとして楽しめますし、その深奥には何百年・何千年経っても色褪せず残り続けるであろう人間世界における真理や普遍性が宿っているので、一度手にとって見てはいかがでしょうか。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/15
復讐の連鎖か、それ以上なのか #1巻応援
成年向け雑誌でも一般誌でも活躍しているモモヤマハトさんによる一般誌最新作。 モモヤマハトさんは何と言っても心を抉るような展開を得意としていますし、本作も1話からそういった方向へと疾駆していく設定です。 7年前に最愛の妹である由里が強姦され自殺してしまったことを受け、犯人である塾講師を殺して刑務所に入っていた主人公・一馬。出所後、既に生きていることに未練はなく、すぐに由里のもとへ行こうと思っていたところで殺した男の娘と思しき少女・椎花と出逢い関係を持ち始めていきます。 死ぬつもりだったにも関わらず母親からは 「あなたは十分苦しんだ  これからは自分の幸せだけを考えなさい  また家族で一緒に頑張っていこう」 と精一杯の笑顔で生を願われ、そして自分が憎むべき仇であろう椎花と逢って精神がグチャグチャになる主人公とその行く末が見どころです。椎花は椎花で他にもいろいろな背景があり、どこに進むにしても地獄。 今回は表紙絵も綺麗で売れ感もありますし、モモヤマハトさんのラフな線が重なって味になっている絵が好きです。 精神的なダメージを負うのはほほ確実としても、サスペンスとして続きが気になる構成です。今までの作品が好きだった方も、そうでない方にもお薦めします。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/14
幕末博徒譚 #1巻応援
皆さん、ギャンブルマンガは好きですか。私は好きです。時に命や命以上のものを賭け、知力を尽くしてバチバチにぶつかり合う様は手に汗握ります。 本作は、幕末を舞台にしたギャンブルマンガ。主人公の医者・夜市(やいち)が「天下博徒御前仕合」に出る権利を持つ博徒の最高峰「真剣士」を目指し、1万両献上の条件を達成すべく江戸時代に実際に行える賭博勝負がテンポよく次々と行われていきます。 ギャンブルにつきもののイカサマももちろんありますし、一方で心理戦に偏った勝負もあり見応えがあります。1巻ではサイコロや花札といったメジャーなものもあれば、ちょっと奇抜な種目も。 ギャンブルマンガでよくあるのが相手を暴の力で圧倒して不戦勝にするか負けても反故にしてしまえば良いのでは? という状況。それをケアした上で外連味とエンタメ性を最大限に与えた『嘘喰い』という先達もいますが、本作でも博打で負けた相手の武力行使に対しては用心棒の左門次といういぶし銀なサブキャラクターを配置することで上手く解決しています。普段は好々爺然としていながら、いざというときの格好良さたるや。『青色ストライプ』好きだったマンとしては、森田賢司さんの真剣での殺陣の良さに感じ入ります。 今後も色々な江戸時代ならではの博打が出てくると思いますし、「天下博徒御前仕合」に出てくる真剣士たち、あるいは外ツ国の者たちとの勝負はこれまで以上に熱くなるはずなので期待しています。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/13
幻覚に狂う者たち #1巻応援
📷
1話を読んだときから「推したい!」と思っていた本作。遂に待望の1巻が出ました。 中小のデザイン会社に勤務する会社員の市田希(34)が、過酷な日々の労働や面倒な人間関係というストレスに晒されながらも「推しのスケベ」により活力を得て生き続ける物語です。 対象は違ったとしても、推しの存在によって心を浄化して毎日を過ごしている方は強いシンパシーを得られる作品でしょう。 私もさまざまなジャンルの濃厚な方と関わってきており、その中には希さんのようなとにかくスケベが大好きな方もいました。某Fや某Tへの課金がエグく、そこの日々のランキングにより二次創作の潮流の変化をダイレクトに感じているというその知人に本作を勧めたら、大笑いしながらところどころで「わかるわかる!」と強く共感してくれました。 作中で 「推しの絶望顔が見たい」 「推しカプのハッピーエンド∞見たい」 「推しカプを正史にしえ己の幻覚を正当化したい」 「推しの大スカ激しめが見たい」 「推しのグロッシーでウェッティーな人体損壊が見たい」 「推しの初夜マルチバース全て見てえ」 などのプラカード・看板をそれぞれが掲げるシーンがありますが、人の数だけ哲学があるというのと同様に一人の中であっても時に矛盾した感情や欲望が同居しているよなぁと思います。 カオスの中で確かなことは、希が言う通りすべては幻覚であるということ。でも、私たちは幻覚に生かされているしこれからも幻覚に獣偏に王って生きていくのでしょう。そして、幻覚のために争い傷つけ合うこともある、因果な生き物。女オタクならではの界隈の空気感のリアルな絶妙さは、ちいかわなら怖くて泣いちゃうところです。あとがきによれば本作は単なるオタク讃歌ではなく、そこを描いた上で掘り下げた先の深い部分が本懐のようですので、今後も楽しみです。 1巻の範囲で言うと、鈴子とのエピソードや 「オブラートで己の欲望をガチガチに包まないと飲み込めないのだと思います」 のような言語化の鋭さがとても好きです。 あまりに好きなパワーワードが多いので、今回は作中の強い言霊を一枚の画像にまとめてみました。感じるものがありましたら、ぜひご一読ください。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/12
″好き″こそパワー! #1巻応援
いま私は……『SPUNK - スパンク! 』が大好き!! この楽しいは譲らない!! 難しいことを平易に、子供でも解るように変換して伝えられることこそが真の賢さであるという風に言われることがあります。部分的には解らなくもありません。 しかし、世の中にはどう頑張っても単純化できない(あるいはすべきでない)複雑なものも存在します。それは、まさしく新井英樹作品のようなものです。 新井英樹さん待望の最新作『SPUNK - スパンク! 』を3行でまとめろと言われれば、まあできなくはないでしょう。あらすじに書かれている情報をまとめて呈することは可能です。しかし、本作は第1話だけでもあまりに膨大な情報量が詰まっています。3行まとめでは、そこに存在する数多の機微を欠いてしまうわけです。 主人公の栗田夏菜が、幼い頃から人形より怪獣やゾンビが好きで、男子と遊ぶのが好きだったこと。 絵やマンガやロックや映画が好きだったこと。 吉田戦車や岡崎京子の良さが解る中学生で、自分でもマンガを描いてたこと。 男子とばかり遊んでいたら、女子グループからイジメられたこと。それに対して、全校集会で校長と取引して大々的に反抗したこと。 自分と同じ白線の上を歩くのが好きな返り血塗れの女(彼氏を刺殺した直後)の「譲るなJK どんと行け人生こっからだ」という言葉が心に刻まれていること。その女は次の瞬間トラックに跳ねられ潰れ肉片となったこと。それを見て何故だか元気を貰って笑ったこと。 その夏にナンパして来た男とホテルで初体験を済ませたこと。その頃に酒・タバコ・薬も一通り通ってお金のために法律無視のバイトも色々とやったこと。 高校卒業後は映画を撮りたくなり専門学校に通い始めたこと。 その後、六本木のクラブでホステスとして働く中で暴力団の若頭に気に入られたこと。 その若頭が実はドMであり、そこから女王様としての道に開眼していったこと。 縦横無尽にS道を驀進する自分が大好きであること。 これでもかなり端折っており、実際の第1話ではより濃密な人生が詰め込まれています。ひとつひとつの表情や、手指の演技に明確な意志がたくさん込められています。この文章を読むより、1,2巻をまとめて買ってそれを読み通し味わって欲しいです。切に。 そうした複雑さこそ世界や人間の在り方や本質に迫り相似している部分でもあります。人は往々にしてシンプルで解りやすい答えや飲み込みやすいものを欲します。しかしながら、こうした複雑で咀嚼も嚥下もし難いものと全力で格闘し、自分のものにしていく時間は人生において非常に大切であろうと思います。 『SPUNK - スパンク!』1話が世に出たときのキャッチフレーズ、「『好き』をナメるな」という言葉が私は心底大好きです。 人間の好きという気持ちから発せられるエネルギーを信じているから。 自分自身も、好きだけを突き詰めて生きてきたから。 他者の好きを突き詰め煮詰めたものが、大好きだから。 嫌いが生むものより、好きが生むものの方が強くて素晴らしいことが圧倒的に多いから。 わざわざ嫌いなものに自分から近付いていって誰も(自分も)幸せにしないことに貴重な人生の時間を費やすより、自分の好きな対象を愛することに1秒でも多く使った方が皆幸せになるのに、と常々思っています。故に、この作品の主人公・夏菜の自分の感情にとことん素直で好きを貪欲に突き詰める生き方は大変痛快で大好きです。 そして、本作の鍵となる人物は夏菜と対照的な冬実。SMバーの面接に行ったところで「私ごときが」と、入門を躊躇している彼女。名前の字面からして夏と冬で、性格的にもイメージそのままで奔放な夏菜に対して真面目で大人しく抑圧的な冬実は、夏菜から見ても理解しがたくつまらない存在です。しかし、常連客のひとりは冬実の潜在能力を感じ取っており、冬実の変化と共に物語はドライヴ感を増して疾走していきます。疾走感マシマシのパートの一連のセリフは、声に出して読みたくなる魅力があります。そして、読んでいるだけで新しい扉が開けるようなパワーが宿されています。 「SMも人生も笑いである」 「切実と滑稽の世界へようこそ」 酸いも甘いも散々噛み分けた先にある人の生の境地が、ここにはあります。SMバーを訪れる客たちも、それぞれ物語の主人公になれるような人生を背負っています。普通なら悲劇と呼ばれる話であっても、笑い話として笑い飛ばし蹴り飛ばす。そんな力強さと優しさに満ち溢れていて、読むとSPUNKを与えられます。 普通のマンガの主要人物たちには幸せになって欲しいなと思うことが多いのですが、彼女たちに関してはもう幸も不幸もすべて人生の一部であり等価値で何が起こってもいいし、どっちでも面白いと思えます。ただただ、見ていたい。何とも不思議な読み心地です。 雑誌で読んでいても十分面白いのですが、『SPUNK - スパンク!』は単行本になってこの世界だけに集中・没入して読むのが最も楽しめるなと感じました。1,2巻が同時発売となった理由も、よく解ります。2冊まとめて買って一気に読むことを強く推奨します。続きが気になった方は、新発売のビーム最新号で続きを読むこともできます。 『ザ・ワールド・イズ・マイン』、『なぎさにて』、『SCATTER あなたがここにいてほしい』、『ひとのこ』など超大な物語を経てこの個々人の物語に辿り着いているその意味も、読むことで言葉でなく心で伝わることでしょう。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/11
誰にも解ってもらえないことでの苦しみ #1巻応援
カサンドラといえば『北斗の拳』や『クレイモア』、『バットマン』や『ソウルキャリバー』などさまざまな場所で目にする名前ですが、元々はギリシャ神話に登場する可哀想な王女です。太陽神アポロンに言い寄られ、予知能力を授けられるもその能力で自分がアポロンによって不幸になる未来を視てしまったことでアポロンの求愛を拒否。するとアポロンより「正しいことを告げていても誰もそれを信じなくなる」という呪いをかけられてしまうという酷いお話です。カサンドラは有名な「トロイの木馬」もあらかじめ見破っており、そのことを伝えたにも関わらず呪いにより誰にも信じてもらえなかったという逸話もあります。 その名を冠するのが、本作で扱われる「カサンドラ症候群」。「ある種の障害や特性により心が通わない夫(または妻)をもったパートナーに生じる心身の不調」というように定義されます。かつては「鏡症候群」と呼ばれ、最近では「カサンドラ情動剥奪障害」(Cassandra affective deprivation disorder)や、「カサンドラ愛情剥奪症候群」(Cassandra affective deprivation syndrome)とも呼ばれているそうです。 非常に苦しんでいる当事者に反して、周りの人の理解を得られず更に苦しみを深めてしまう様子はなるほどカサンドラと重なるものがあります。 主人公のアコは、最初はちょっと変わった人だけど自分と感性は合うかもと結婚した夫と、どうも意思疎通が上手くいかないことに徐々に気付いていきます。それでも諦めずにコミュニケーションを取り続けようとするも、それらがことごとく失敗し、とりわけ子供ができた時ですら無反応であったり、生まれた後も子育てに無関心で子供の命や未来に関する部分ですら大きな断裂があったりすることが致命的となります。ですが、家族や友人にはまるでその大変さが理解されず何なら「うちよりいい旦那で羨ましい」などと言われてしまう辛さによって病んで行ってしまいます。 鬱病などと同じく、真面目で責任感が強い人ほどカサンドラ症候群にもなりやすいというのが辛いところです。通常でも大変な子育てが、パートナーによって更に何倍にも辛く苦しいものになっていくという状況は実際に体験してみないと理解され難いものではあろうと思います。 本作は非常に根深い問題を多層的にはらんでいます。ASDと一口にいってもその状態は人それぞれなので一概に括ってしまうのもどうかという部分はあります。 とはいえ、個人で抱えるにはあまりにも大きい懊悩。筆者自身がカサンドラ症候群の存在を知って救われたのと同様に、本書を通して同じような苦しみを抱える方が少しでも救われて欲しいです。自分と同じ苦しみを抱えているのがこの世界で自分だけではないのだと教えてくれるのも、マンガや物語や本の大きな役割なのですから。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/10
猫に興味がある方に #1巻応援
猫と暮らすにあたって知っておいた方がいいたくさんのことを、マンガ8割・文章2割でかわいく解りやすく伝えてくれる1冊です。 猫は何を思ってどう行動するのか、それに対して人間はどのように対処するのが良いのか。 猫は欲求を抱いているときにどのようにそれを伝えてくれて、人間はどのように察するべきなのか。 トイレ以外の壁などに排泄するとき。 フードの食べムラがあるとき。 噛みグセがあるとき。 家に迎え入れてずっと懐かないとき。 多頭飼いしたいとき。 実践的で多種多様なケーススタディを通して、猫に対する知識を深められます。私は猫は好きですが、飼ったことはないのでなるほどと学ぶところがたくさんありました。 特に、犬の場合は当たり前でも猫は気まぐれだからとされないケースもあるクレートトレーニングは、災害時における避難の際などに必要になるので猫の場合も絶対にやっておくべきであること、また具体的なクレートトレーニングの進め方も解説されます。 すべての動物に言えることですが、おおよその傾向はあるものの猫にもさまざまな性格の子がいるので、杓子定規に「猫に対してはすべてこう!」とするのも好ましくはないということもしっかり語られます。それぞれの個性は尊重してあげたいですね。 これから猫を飼いたいと思っている方、あるいは猫を飼い始めたばかりであったり身近に飼い始めた人がいる方、また猫に嫌がられずに撫でられるようになりたい方には良い本です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/09
子育てと、終活と。 #完結応援
今この世界に生きている私たちは、誰しもがとんでもない確率と幸運の上に生きているーー そんな当たり前すぎることを、逆に当たり前すぎるからこそ忘れてしまいがちです。 生まれてきたこと、生きていること。 そのかけがえのなさ。 そして、それを成り立たせてくれている人々。 それは何も直接関わる家族や知人だけではなく、身の回りにある物品やこれまで飲み食いした物ひとつひとつの向こう側にいるそれに携わった人々も。 70歳で初の出産をする『セブンティウイザン』では赤ちゃんであったみらいちゃんは、数々の困難もありながらすくすくと成長し『セブンティドリームズ』開始時点では3歳になり幼稚園に通うようになりました。 子供を育てることの難しさ、大変さ。 その合間に訪れる、言葉にできないほどの嬉しさや幸福。 みらいちゃんを始めとする子供の目線からの思考や言動が非常にリアルで、自分が子供のころの思い出が蘇ってきます。感情をまだうまく処理できない友達との付き合い方の難しさや、何気ない一言が嬉しかったり傷ついたりする様などなど……。 タイム涼介さんが実際にご自身の子育てで経験したこともふんだんに含まれているであろう粒度の高いひとつひとつのエピソードから、知り合いの子供の成長を見ているような、あるいは自分ではしたことのない子育てをしているような気分にさえさせてくれます。モロー反射やラン活といった言葉は、この作品で学びました。 しかし、希望に満ち溢れたみらいに対して朝一たちは否が応でも残された時間の短さを常に意識させられる日々。子育てと終活、あらゆる人にとって他人事ではないふたつの軸が同時並行で語られていくからこそ、私はあらゆる人がこの作品を読む価値があると感じます。 ときに辛い現実も襲いかかります。2人目不妊や、終盤ではコロナ禍という未曾有の事態に陥った世界で生きる子供たちなど、困難なテーマも描かれます。今この作品を描くのであれば、そこから逃げてはいけないだろうという覚悟も感じました。 人は、人に何を伝えて、何を残していくのか。 何を幸せとし、何を喜びとするのか。 前作『セブンティウイザン』から全体を通して、人間が生きる上で大切なことがたくさん描かれている作品です。 先月、完結巻が発売となりましたが最後の5~7巻は紙媒体では発売されず電子限定となってしまっています。見つけにくくなってしまっているのが非常にもったいなく、多くの人に読まれるべき素晴らしい作品です。いつか『セブンティウイザン』同様に実写化などしてより広く知られて欲しいと切に思います。 子供の目線でも読んで感じるところは多いと思いますし、ぜひ親子で読んで語り合ってみても欲しい作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/08
行く道にあるもの #1巻応援
初老を星雲に喩える詩的な1ページ目から始まる本作は、50代半ばになり実家に帰って母とふたりで同居するようになった生活(with猫)を描くエッセイマンガ。 母娘ともに頑固で、よりにもよって結婚式のときに決定的な決裂があり、両者の親同士の面会の機会も作らなかったという筆者。そんなことがありながらも、歳を重ねたことによってお互いにパワーがなくなり、母の体調が悪くなってきたことも切っ掛けとなって一緒に暮らすようになったという流れに人生を想います。 まず、筆者個人の体験として更年期の多様な辛さ(大事な打ち合わせ中にすら眠ってしまう異常な眠気、若いときには普通にできたことが全然できなくなってしまったりするやるせなさ、些細なことであり得ないほどイライラしてしまう様など)が克明に描かれます。今日某SNSで「絶好調を100とするなら40…いや35ってとこか」というモラウを挙げて「40歳超えてから毎日これ」という呟きがバズっていましたが、筆者いわく「ピチピチなんだよ40なんて あとになってわかるよ」とのこと。 こればかりはなってみないと解らないことですが、30代ですら20代のころと比べると大分老化を感じている現在、それでも後から考えれば今なんてまだ全然若くて健康な内に入っていくのだろうなということは想像に難くありません。なればこそ、この体が元気に動く内に、為せることや為したいことは為しておきたいなと思います。 また、自分たちの体だけでなく家もところどころ老朽化してガタがやってくる様子が描かれます。大規模なリフォームをするほどのお金もなく、また愛着もあり、ガムテープで補修して騙し騙し暮らしていく姿には切なさと親しみを覚えます。 お互いに大人しくなったとはいえ、また血の繋がった家族であるとはいえ、たとえばトイレットペーパーはシングル派かダブル派かなどの違う部分がありときに諍いも起きます。しかし、それでもかつて子供のころにあったような母親との幸せな時間を少しずつ取り戻していく諸々のシーンは静かに胸を打ちます。 親との関係性も含め、これからの日本では独居世帯に加えてこうした老老世帯もますます増えていくのでしょう。そうしたときの道標となりうる、先達のありがたい教えが込められた作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/07
「奈良マジエモい部」、私も入りたい #1巻応援
📷
現住所は東京ですが、魂は奈良県民なので全力で推したい作品がこちら。 「倭まほろば郷土研究部」、通称「奈良マジエモい部」の活動を通して、奈良の歴史や現在の見どころ、名産やグルメなどを楽しく知ることのできる4コママンガです。 ヒロインの春日大社の神鹿が化けた姿であるハルヒノさんは、ウマ娘ならぬシカ娘といった風情(不敬)。普通の人には人間にしか見えないハルヒノさんですが、東京から転校シてきた主人公の中西ちあきくんにだけは本来の姿に見えてしまうところからふたりの少し特別な関係性も始まりほんのりほんのり進展していきます。 最初は基本を押さえて奈良公園や東大寺などの超有名どころから始まりつつ、ならまちミジンコブンコのスパイスカレーなど近年人気のスポットも登場。 「斑鳩、明日香、吉野もお薦めだぞ」 と、私の故郷である吉野を推してくれるハルヒノさん、推せます。 十津川の谷瀬の吊り橋は高さ54mで全長は300m近く風の強い日には渡るのもかなり怖いですがDQウォークでもランドマークに指定されたところで迫力満点ですし、1巻後半でフィーチャーされる洞川は街全体が昔ながらの温泉街の独特の雰囲気が強く漂っていて素晴らしいですし、作中で描かれる面不動鍾乳洞はRPGのダンジョンのような風情もあってライトアップは綺麗ですし何よりそこに辿り着くために乗るトロッコが非日常感満載で楽しいところなので、ぜひ一度観光に行ってみて欲しいですね(饒舌早口)。 4コママンガですが、1ページまるまる使ったワイドタイプであり背景がかなり精緻なので、舞台探訪欲を掻き立てられます。実際に現地に行ってみたら、ほぼ同じ景色が広がっているので感動することでしょう。 1300年の歴史を身をもって知るハルヒノさんがガイドしてくれる奈良紀行は、とても豊かで楽しい学びです。逆に、そんなハルヒノさんが現代文化に触れるときのギャップの面白さも良い感じで描かれています。 魂が奈良県にある方には問答無用で、そうでない一般の方にも日本の歴史や文化が詰まった作品として推せますし、また奈良に旅行に行く際にはお供として携えていって欲しい作品です。 なお、単行本巻末にはおまけとしてかわいさマシマシなハルヒノさんらの初期デザイン案が載っていますが、個人的には現行のカッコよ美しさマシマシなハルヒノさんがより好きです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/06
美形シュールギャグの新星 #1巻応援
漫画家の中でも、ギャグ漫画家というのは一際大変であろうと思います。読者を笑わせることのできるギャグをコンスタントに生み出し続けるということの、どれだけ大変なことか。作品を連載していく中で「笑いとは何か」、「面白いとは何か」という正解のない根源的な問に立ち向かい続けねばなりません。 そんな問に悩み悶え苦しむのが、本作の主人公・江萌井哀花(えもいあいか)です。才色兼備の美少女で両親も官僚というスーパーお嬢様ですが、 "‥‥どうして人は金玉という言葉をつくったの?" "私ならきっと安易に「ちん玉」と名付けてた‥ 悔しい‥そこで「金」を出せなきゃプロにはなれない‥‥" と真面目に悩み、ギャグ漫画家を目指している異色の少女です。 学校一面白いとされている田中さんら他のキャラクターたちとの絡みも通しながら、ときに下ネタや変顔などパワー系も交えたギャグをガンガン繰り出していきます。基本的に哀花はお嬢様なので一定の品格はベースとして存在しながらもそこからどんどん崩れていくギャップや、さまざまなツッコミどころ、特異なシチュエーションの面白さなどが病み付きになります。 木村龍介さん名義で描かれていた「【読み切り】青春、失格。」の頃から類稀なるシュールギャグのセンスが好きでしたが、その更に前の「話にならない恋の話」のときから比べても短期間で画力もグッと上がり、哀花のキャラクター単体でも成立するほど外見も中身も魅力的です。 最初に『天才バカボン』を抱えているように、歴代のギャグマンガへのリスペクトを感じる部分も好きです。 『パタリロ』、『B.B.Joker』、『坂本ですが?』、『ふうらい姉妹』、『あそびあそばせ』など、美しいキャラが狂ったギャグを見せる作品が好きな方には強く推薦します。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/05
こういう強さも、ある #1巻応援
松永久秀、斎藤道三と並び戦国三大梟雄と称される宇喜多直家を描いた戦国4コママンガです。 かわいらしい絵ながら、内容はしっかりとしていることに定評のある重野なおきさん。「梟雄」と呼ばれた男の激烈な生き様を、多分にギャグも交えながらもシリアスに描いていきます。普通に劇画で描かれるとエグい内容になりそうなところですが、重野さんの絵だからこそ重くなりすぎません。ただ、戦国時代の凄惨さもしっかりと感じさせてくれる絶妙なバランスです。 なお、作者自身の注釈がありますが「宇喜多直家については『備前軍記』という軍記物が元となっており真偽不明の部分も多いのであくまで物語として楽しんでください」とのこと。実際、他の戦国三大梟雄についても近年の研究によればそこまで残忍でもなかったということが明らかになってきているそうです。歴史の授業で習うことも少しずつ変わっていきますし、その辺りも逆に醍醐味ですね。 ダメ人間である興家と、豪傑な母親の間に生まれた直家の人生は、大きな没落から始まります。そこから這い上がっていく様は、まさに下剋上のお手本でありドラマチックです。 後に彼と激しく鎬を削ることになる浦上宗景は、「酒宴大好き!宗景さん」というサブタイトルのスピンオフを出してもいいくらいのウェイ感全開面白パリピ兄ちゃん。しかしそんな表の顔の下に、たまに鋭く強かな眼光が宿るいいキャラとなっています。 祖父の仇敵と絶妙な距離感を保ったり、妻の父親を殺す命を受けたりと乱世らしい選択を迫られることの連続の中で少しずつ成長していく直家は、立派で魅力的な主人公です。一風変わった節約術など、治世部分にも面白さが色々とあります。 普通の歴史ものが苦手な人でも、少し違った毛色で楽しめるかもしれません。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/04
カオスを味わう美少女デスゲーム #1巻応援
『バード』や『GAMBLE FISH』の青山広美さん原作の美少女頭脳戦マンガということで、注目していた作品。いつだって私たちは『トーキョーゲーム』の幻影を追い求めているのです。 ところが、1話を読んだだけで「一発逆転の頭脳決戦」というサブタイトルから想像するよりも断然パワフルな作品だと理解しました。 ・「覇道学園」(通称「外道学園」「反吐学園」)というネーミング ・喧嘩十段で9人のタマを潰したという令嬢 ・その令嬢が上空1万mでドアの開け放たれた飛行機の中、生身で風圧に対抗してドアを閉める ・一列になったり二列になったりする機内 ・さくらうめさんの描く女の子は基本的にかわいいのに突然作画が適当になる ・クラスは20人のはずなのになぜか最初の投票は30人いる ・典型的な狂った富豪がいるのはまだしも数が多すぎる ・破骨島のアクセスや立地が悪すぎる上にあれだけの数の富豪たちが快適に生活できるライフラインや設備があるのか謎 などなどツッコミどころが多すぎて追いつきません。 その後も、カウントダウン残り1秒で開けたら1秒で全員脱出は無理なので不合格なのでは? 数学って聞いただけで恐ろしくて眠れなくなるとは? などなど常に疑問符が浮かび続けます。 ピアノが得意な美人の楓さんとの百合展開なども期待できそうな展開でしたが、完全にそれどころではありません。 破天荒さが目立ちますが、 「問答無用のエゴイスト! 掟破りのマキャベリスト!」 のような疾走感のある言い回しなどは癖になります。  『彼岸島』などを楽しめる方にお薦めしたい作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/02
恋愛における速度差が浮かび上がらせる本質
新海誠さんの『秒速5センチメートル』は2007年公開。 この『秒速5000km』は2010年に出版。 タイトルをどれだけ意識して付けたのかは不明ですが、少なくともこの両作品の間には『君に届け』と『島耕作』くらいのスピード差があります。それは、実際の日本と海外における恋愛の速度差がかなり如実に表れている部分で興味深いです。 ただ、どちらも作品を彩る独特の色合いのセンスが抜群で、かつ存在する男女感の甘苦さという点で共通しているのは面白いです。この重なりから、場所を隔てても変わらない人間の本質が浮き彫りになってきます。 本作は2011年のアングレーム国際漫画祭最優秀賞を受賞した作品で、ここマンバでも原正人さんがかねてより注目しており邦訳化したいと仰っていた作品でもあります。今回、この日本語訳版が出たのは海外マンガファンからすれば念願が叶ったというところでしょう。 透明水彩で描かれるオスロのフィヨルドや、エジプトの黄砂に咽せるような熱気と夜の寒さは非常に鮮やかです。筆者のマヌエルさん自身が「知らないことについて語ることはできない」という教えからオスロやヴェネツィア、また建築家としてアスワンに住んでいた経験を元に描いており「たぶん、漫画を描くことを通じて、これらの土地をより深く、それまでとは違った仕方で理解するようになるのだと思います」と語っているのは興味深いです。 求めていたはずの幸せをどこかで見失いながら生きる人間たちの姿は、国境を越えて読む者の胸に響きます。 「私はまた息ができるようになった」 のような印象的な言葉のセレクトが、そうした感情を増幅させています。 普段、海外作品にはあまり触れないという方もこの機会にいかがでしょうか。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/06/01
魑魅魍魎跋扈する魔塔 #1巻応援
「お前なんて安い低層階に住んでるくせにっ!」 子供同士の喧嘩ですら、こんなセリフの出てくる世界の何と歪なことか。 Twitterで大人気の窓際三等兵さんが原作の、タワマンを舞台にした群像劇です。 野球少年の息子を持つ九州から引っ越してきた淵上家の舞の視点から始まり、瀧本家、堀家の3つの家庭の様子を中心に描いていく構成となっています。 田舎では誰もそんな話はしていなかったのに、東京に来たら皆が子供の受験の話で持ちきりというのは大いにあるあるでしょう。私も、都心で育ち小学校6年生のころには半分くらいの生徒が登校しなくなりそれぞれ家庭教師や塾で毎日12時間以上勉強しているような環境にいたので、理解できる部分は非常に多いです。 夫の勤め先・年収・学歴や、子供の成績・特技、住んでいる階層など、すべてにヒエラルキーを作り終わりなき不毛なマウント合戦が繰り広げられる世界はそこらのホラーよりよほど恐怖に思えます。これが現実にも存在するので恐ろしいです。読んで、恐らく死ぬほどマウントを取られ続けて心を擦り減らしてきたであろう母に思わず改めて感謝してしまいました。 ただ、この作品の面白いところはステレオタイプなマダムとマウントバトルするだけではなく、それぞれの家庭の外から見た部分とは違う内情が描かれていくところです。どんなに華やかに思えたり羨ましいと思えるところでも、その裏には何があるか解らないというのもまたリアルです。そして、逆に元々は普通の田舎の家庭であった淵上家が都会の文化に染まり狂っていくところも見ていて苦しいですが見ものです。グラハム子さんのかわいい絵柄がクッションになっていますが、総じて現代の「人間」が色濃く描かれています。 ある種、今のタワマン最高層並に豪奢な生活をしていた友人の家庭の闇を直視した経験もあるので「幸せとは何だろう」「それは相対比較し続けた先に見つかるものなのだろうか」と考えずにはいられません。タワマンに限らず、SNS全盛で人間は羨望や嫉妬という感情を抱きやすい時代です。皆『ブッダ』や『咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A』を読んで、他人と比べて苦しむことから解き放たれて生きれば良いのにと思わざるを得ません。それができないから苦労するのもまた真理なんですけれども。 余談ですが、「第4章 嫌よ、埼玉なんて住みたくない」というサブタイトル、そして「埼玉はね みんな色々抱えてるのよ」というセリフが愛しくて堪りません。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/05/31
征夷大将軍と蝦夷のロミジュリ #1巻応援
『東京心中』や『ジドリの女王』で知られるトウテムポールさんが歴史マンガ、しかも戦国や幕末などタレント揃いの時代ではなく奈良時代の坂上田村麻呂を描いていくという挑戦的な内容には期待に胸が躍りました。 なお、BLレーベルで出されており公称も歴史BLではありますが、少なくとも1巻の時点では男性同士で抱擁し合う程度でむしろ歴史マンガとしての趣が断然強いので、男性でも抵抗なく読めるでしょう。 阿倍内親王=孝謙天皇が寵愛した僧侶・道鏡が完全なイケメンとして髪の毛フサフサで描かれていたり、少しだけファンタジー要素も出てきたりしますが、基本的には史実に忠実なドラマを描こうとしているのが伝わってきます。 権力闘争が激しい時代において後の桓武天皇である山部王と、幼少期の坂上田村麻呂である利仁の国を良くして民を助けたいという志を同じくするふたりの出逢いから歴史が動き出していきます。 利仁は他人のために自分のものを躊躇なく分け与える清廉な心を持っていますが、優婆塞の老人に「本当に人を助けたことがあるかい?」「それは自分の力ではなく与えられたものではなかったかい?」と問われるシーンがとても良いです。理想だけでも、力だけでも、世界を良くすることはできないという厳しい現実を受け入れながら彼はどのように成長して行くのか。 更に、その優婆塞との暮らしの中で農耕や麻を使った布作り、ヘクソカズラの実を用いた調薬など当時の庶民の暮らしぶりが丁寧に描かれていくところは学びもあります。 今後の描写次第では学級文庫に置くには難しいかもしれませんが、奈良時代の歴史を学ぶ際に読んでおけば解像度が一段高まること間違いなしの良質な歴史マンガです。 なお、坂上田村麻呂といえば征夷大将軍であり蝦夷の征伐を成し遂げたことで有名ですが、彼はそのときの好敵手に対して敵味方を越えた友情があったという話もあります。BLという題材においては非常にうってつけの関係性であり、良い種の蒔かれたその部分が今後どのようにエモーショナルに描かれて行くのかは本作の最大の焦点で非常に楽しみです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/05/29
憧れの田舎暮らしと都会の利便性の両立 #1巻応援
都会に住む人が、田舎にしかない自然や忙しなくない時間の流れに憧れを抱くケースは多々あります。かくいう私もそのひとりでした。 本作の冒頭で、長野の名もなき林の中で裸足で川に入り青空の下で清冽な空気に全身を浸した瞬間に主人公の麻胡(まこ)が ″困ったな まだ帰ってもないのに  またすぐここに来たい″ という想いが浮かび上がり、そしてその直後に ″そっか  「また来たい」んじゃないや″ と気付いて、夫に「東京で働いて長野に住む」と宣言し二拠点での生活を始めていくシーンが描かれます。ここにまず大きな共感を覚えました。 私も吉野山の世界遺産になる程の絶景と空気の美しさにほぼ同様の想いを抱いて、移住しつつ何かの際には東京へ出向いていた経験があるので正に「まだ帰ってもいないのにまたすぐここに帰りたい」「何なら永住したい」という感覚になりました。コンクリートの山によって空も狭まった場所で疲弊していると、緑の中で呼吸することで人間に還れる感覚があるんですよね。 ただ都会には都会にしかない便利さや人が集まっているが故に催される営みもあり、それはそれで大きな価値です。仕事を含めた多くのことがインターネットを介しリモートで行えるようになってきてはいても、どうしても大きなイベントは都会中心で(最近はそういったものもオンラインで行われるようになってきましたが)、リアルの場に行かないと人との生の交流という真価は味わえません。田舎に憧れ田舎で暮らしてみてから初めて解る都会の良さや田舎の大変さもあります。 ″梅ささみ一本だけ焼いてもてなしていただくのって  都会のうれしさだったのね″ の部分も高解像度です。 そしてこの作品でも描かれている部分ですが、人付き合いは田舎で暮らす上での大事な課題です。最近でも話題になっている事件がありますが、その土地の権力者が大変な人物だと大きな苦労を強いられることになります。上手く行けば良いのですが、ずっと住む上では死活問題です。 しかしながら、そういった部分はあったとしても、夜に見える美しい星空ひとつでお釣りがくるものでもあるんですよね。人の世の事柄など、全て些末になり吹き飛んでしまうような。私も引退したら田舎に居を構え直したいです。 この物語の中ではコロナ禍という状況というのがひとつのキーポイントとなっており、その中での夫婦間の関係の亀裂の入り方、そこから取り直して共に進んで行こうとする瞬間の細やかな機微などにイシデさんらしい良さがよく出ています。夫婦に留まらず、人と人とが上手くやって行くために大切なことがいつも描かれているところが好きです。 また、木曽の名産「酸茎(すんき)」を使った新たな名物を作ろうとするところの楽しさなども。麻胡のフードライターという職業はイシデさん自身食べるのが大好きであることから設定されたそうですが、同じく食べることが大好きな私は豊かに描かれた食べ物のシーン全般興味深く読めました。 舞台となる長野も個人的に思い入れのある地なので、非常にfor meな作品でした。麻胡と扇の夫婦が、どのような壁にぶつかってどのように乗り越え、どのように人生を満喫していくのか。続きもとても楽しみです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/05/28
知的財産について学べる物語 #1巻応援
KONAMIがウマ娘を訴えたことが話題になっている昨今。 とりわけゲーム会社は非常に微に入り細に入り様々な特許を握っているので、様々な理由からやっていないだけでその気になればいくらでも訴訟はできると聞きます。ただ大きな会社ほどお互い様なところもあるので、任天堂とコロプラの時のようなあまりに酷いことがない限りはそこまで大きな訴訟には至らないケースが多い、という中で今回の件は久々に大きいのが来たなと思います。 個人的にはメタルギアシリーズやゴエモンシリーズなど好きだったこともありKONAMIに思う所は多々ありますが、法的にはKONAMIの所作は正当なもので後は専門家の判断を仰ぐことになるでしょう。 本作は、そんな知的財産の難しい扱いを描いた小説を原作とするコミカライズです。面白く、ためになる作品です。 知的財産部、通称「知財部」に主人公・藤崎が製品開発部から異動となり、弁理士の北脇と衝突しながらも「侵害予防調査」など今までとは異なる仕事に向き合っていく姿が描かれていきます。 第2話冒頭で描かれる、会社の人間の特許出願に対する腰の重さや古い認識は、現実にも多くの企業に存在するところでしょう。 白い恋人のパロディである面白い恋人はどういう立ち位置や解釈になるのか。 自分が描いたキャラクターの権利を他人に主張された時どうすれば良いのか。 契約書を読みこまずに一方的に被害者意識を持ってSNSで自社を叩くインフルエンサーにどう対処していくべきなのか。 現実にも類型がたくさんあるであろうケースを通して、合理性だけでは立ち行かない人間を相手にした時の難しい判断を迫られるビジネスの姿が描かれていきます。 マンガを担当する臼井ともみさんの絵の良さもあって、原作の面白さを減じることなくマンガとしての魅力を生み出しています。 楽しみも、学びもある良い作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/05/26
デザイン仕事の色々が解る4コマ #1巻応援
広告制作会社のお仕事4コママンガです。筆者が現役で働きながら概ね実体験に基づいて描かれているということで内容がかなり細かいところまで描写されており、もしデザイン関係に興味がある方は読んでおくとかなり有用な知識がたくさん身に付きそうです。 ひげ、秀丸、隷書などフォントに関する部分はもとより、フォントによっては字と字の間のスペースにばらつきが出てしまうのを修正する「カーニング」という作業のやり方なども事細かに解説されます(なお、私にはその見栄えの悪さがまったく理解できないため、デザインや絵を描くような仕事はつくづく向いてないなと思います)。 お店ののぼりやスーパーのチラシがどのような作業工程で作られているのか、よく世間でデザイナーの方々が悩まされているという 「良い感じ! 良い感じだけどもう一声!」 のようなふわっとしたオーダーにどう応えていくのかなど、見ながら少し胃が重くなる展開もありつつ、知らない業界でありながらその成果物は日頃よく目にするものなので、大小のさまざまなネタになるほどなるほどと頷きながら楽しめました。 物語を盛り立てるのは、かわいい社員たち。 父親が大手印刷会社の会長というお嬢様でDTPオペレーターに配属されるハイル。 デザイナーで社畜体質のある凜々。 同じくデザイナーでダイエット中の環奈。 クリエイティブディレクターの時東。 関西弁のアートディレクター・華子。 同じく、アートディレクターの眼鏡っ子・恵梨。 仕事やそれ以外の日常風景を通して、彼女たちのキャラも少しずつ解ってきます。 とりあえず、凜々さんには少ししっかり寝て欲しいです。 なお、目次のデザインなども凝っていて好きです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2023/05/26
20歳JKの甘い受難 #1巻応援
加瀬まつりさんの初連載作品。 中卒の工場労働者だった主人公が、缶ビール片手に高校に入学する方法を調べながら20歳で初めて高校に通い始めてJKになるという少し異色の設定ではありますが、別マ色全開のラブストーリーです。 自分が20歳で、何なら同級生よりも新卒の教師の方が年が近いという状況であるため自分から男女問わず一線を引いてしまうものの、それをどんどん突き崩されていく攻防に思わず顔が綻んでしまいます。 ヒロインの吉野さんは黒髪ロングの清楚系美人で見た目では20歳とは判らず、個人的に応援したくなる要素しかありません。加瀬まつりさんの作画が良くシンプルにかわいい上に、絆されていく場面のかわいさは尚更です。1話最後の表情とか、私服のときの表情とか最高ですね。 高校生の時分の1歳差って極めて大きいので、ましてや5歳差があると相当意識はしてしまうところではあると思いますが、半世紀少し経とうものなら75と70でほぼ誤差ですからね。末永く幸せに爆発して欲しいです。 良い少女マンガは脇役も良い法則から見ると、同じクラスで早々と友達になってくれる美山さんや小村崎さんら、友人キャラもいい感じです。個人的に好きなのは、若宮くんを追いかけて高校に入学した謎のオタク系ぽっちゃり男子。 初連載作品とは思えないほどの安定感があり、単行本発売を機に今後ますます人気が出ていきそうだなと感じます。今後も楽しみです。