線セーショナル2024/11/12ネタバレ愛を注げば注ぐほど、応えてくれる勇ましい漫画 いわゆるガロ系の漫画家の問題は、絵柄がつげ義春に引っ張られ過ぎていて、実際の所新たなオリジナリティに欠けるある意味呪いを抱えている。しかし長い時を経て、ようやくそれを上手く越えられる作家が現れた。ガロの線を残しつつも、新たな絵柄を取り入れガロ特有の重苦しさから解放された、軽やかで風通しの良い線となっている。 主人公ホナミは戦争で母を失い飲んだくれて、新しい母と新たな子供を設けた父と家族を嫌い、よく家出をする。そのせいかホナミはひたすら自立と解放を重んじるキャラである。当時女性で珍しい獣医を目指し、女性が結婚というシステムに縛られ男性に奉仕する関係を拒否し、恋仲の村上とも結婚しようとせず、とにかく解放を重視する。 一方、医者の私は敗戦後、特有の頑固で痩我慢を美徳として生きる典型的な古い男である。本来の気持ちとは相反して強がった言動を繰り返すうちに少しづつ不幸へと向かっていく。 ホナミが犬に左足につかれるのを嫌がるのは自立心のない男に寄りかかられるのを毛嫌いするかの様である。解放を重んじるホナミが踊るシーンが印象的だ。ルックバックの主人公を少し思い出した。犬のベティは私の理想の姿なのだろうか?内面が通じあっている割に犬も解放的である。ホナミとの裸のについての会話にそれを感じる。そして現代の結婚という男女関係にも少し考えさせられる 痩我慢の説川勝徳重 藤枝静男7わかる
線セーショナル2024/10/15ガサツな線の集積が逆に功を奏している例えば、小畑健の様な卓越した絵柄で同じ面白さが獲得できただろうか?もしくは、高橋留美子の様な可愛いらしい絵柄だとどうか?また、萩尾望都の様な豪華絢爛な美しい絵では?はたまた、諫山創の様なバトル漫画でしか機能しないタイプの粗さでは?この作者は確かにまだ、技術は拙いが、どこか主人公の青臭さ満載の行動や表象と、筆者のガサツな青臭さ、技術不足が妙にマッチしていて、(たかだか漫画の絵)にも関わらず、ここまで重苦しい痛みが、紙面を越えて我々の肉体に突き刺さる。内容が重いから苦手などという愚かな感想は置いといて、ここまで重苦しさを線の集積で伝えられるのはしっかりと評価しなければならないのではないだろうか?マイ・ブロークン・マリコ平庫ワカ4わかる
線セーショナル2024/10/12線は運動を越え、躍動するこの作者は漫画の物語やフリ、サスペンス、盛り上げ、伏線、葛藤などのシーンは退屈と思いながら漫画を読んできたのではと思わされるくらい、バトルシーンしか存在しない。ある意味チェンソーマンよりチェンソーマンしている。とにかく目まぐるしくキャラを取り巻く時間と空間が飛ばされアクションのみに傾倒したような荒ぶるような線が、空間をバトルシーンを物語を歪めていく。 この70年代後半から80年代前半の様な絵柄も漫画史的な愛も感じる。荒削りな部分がまだまだあるが、この段階で連載させた編集者にも感心する。 個人的に好みではないが、近年の中でも最も期待を込めたい作品の一つである。龍子 RYUKOエルド吉水6わかる
線セーショナル2024/10/09ネタバレ不干渉というテーマ この作品は愚かな社会システムにより生み出され、気が狂った国民同士による争いを、合法化された復讐という社会システムで抹消するという負の循環によって成り立っている。 そんな世界で認知症の母を抱え、統合失調症を患う主人公のヒロシは生き延びる為、徹底的に他者にも社会問題にも不干渉を貫こうとする。 そんな中、復讐代行の職についた主人公は不干渉を極めた為に、暗殺の際に姿をくらます特技を覚えたのだろう。 狂ってしまった世界を表現する為にボールペンで描いた様な揺ら揺らと不安定な歪んだ線がこちらを刺激するのだ。背景やカット割りがかなり上手い。序盤コマ割りが多く読みづらいが、後半になるにつれどんどん上手くなる。5巻の見開きはついハッとさせられてしまった。 フリージア松本次郎3わかる
線セーショナル2024/10/09ネタバレこの漫画は絶対に擁護しなければならない恐らく弥次郎兵衛と喜多八は他者の走馬灯に入り込む事ができる。死の直前のタヌキや隠れキリシタン、オカマや鳥が生前叶えられなかった望みを肯定するのが彼等の仕事であろう。こういった現実が幻覚か、判別の付かない物語は古くから文学などにも存在するアイデアである。しかし、この漫画がそれらと一線を画すのは、ギャグ漫画として描かれているからだ。どんなに荒唐無稽な事が起きても、結局夢オチという本来許すまじ物語もギャグ漫画というジャンルであれば何が起きても許せてしまうのである。現に普通のギャグ漫画ですら、あり得ない事の連続の描写でリアリティが無いなどと冷静なツッコミなど入れないだろう。 しりあがり寿の、ギャグで世界を変えようとする覚悟のある線が生き生きとこちらを誘ってくるのだ。物語の後半、彼はニーチェの超人思想をテーマに話しを展開していく。それは、このギャグ漫画を無意味な物語にしたくなかったからであろう。弥次喜多 in DEEPしりあがり寿5わかる
線セーショナル2024/10/09未だ至高の存在大友以前、大友以後という言葉が存在する様に、多くの漫画家に影響を与え続けてきたAKIRAだが、それは未だその影響は衰えていない。それは結局のところ少年漫画、青年漫画においてこの漫画の描き込みや、リアリズム、デザインセンス、構図、存在しない背景の描写の技術力に追いついていないからである。確かに大友の絵の影響はあらゆる漫画から腐る程感じるのだが、AKIRAを一つも凌駕してはいない。真似しようとしてどの漫画家も挫折しただけだ。ナルトも攻殻機動隊も亜人も引き画の大ゴマや人間や機械の描写力がAKIRAより簡単である。そして何より誰も大友の絵を真似ても、大友の線の魅力を再現出来ていない。彼の1〜5巻における艷やかで艶めかしい色気漂う線が、この漫画のオリジナリティを保持している。大友の線を細く均一などと表現するのを時々見るが、それは違う。実は細い線の中にも止め跳ね払いが存在する。但し6巻はアニメという線に作家性を出さない媒体を挟んだからか、最早情念すら感じない。前時代の崩壊と新世代による復興というテーマは現在だからこそ読む意味がある様に感じる。AKIRA大友克洋5わかる
線セーショナル2024/09/12漫画の根源的な部分の表現 漫画はそもそも荒唐無稽な内容や寓話を簡潔にまとめられた線の集積で、描かれたカリカチュアである。これは日本の漫画の歴史の始まりとして、鳥獣戯画が上げられることからもよく分かる。 今作はニコラ・ド・クレシーの中でも最も軽やかな線の集積で描かれており、情報量の多いバンド・デシネが苦手な人にはこの作品からオススメしたい。 まさに戯画的な動物である主人公が自分の大切な人を探し求め旅をするのだが、愛おしいい展開がテンポ良く進んでいくので、ニコラ・ド・クレシーの異常な絵の上手さを忘れてしまう所である。サルヴァトール ニコラ・ド・クレシー 大西愛子6わかる
線セーショナル2024/09/12アメコミ入門への1年目 アメコミが苦手な人、読み慣れていない人に是非私は、この作品を推薦します。 補足しておくと、アメコミは発行形式が日本とは違い1巻完結であるため、細かいキャラクターの表象表現や大ゴマのバトルシーンがあるわけではないと言っておきます。 では、アメコミの面白さは何なのか?それはどちらかと言うと小説を読んでる感覚に近く、小説に優れた線の快楽が感じられるテンポの良いビジュアルが提示されていく所だと思う。 小説の様な物語をいかに優れた線を描いていくか、 アメコミはキャラで選ぶのでなく、作家で選ぶべきなのです。バットマン:イヤーワン/イヤーツーフランク・ミラー 秋友克也 トッド・マクファーレン 石川裕人 アラン・デイビス デビッド・マツケリー マイク・W・バー2わかる
線セーショナル2024/09/11日本人が到達出来なかった白黒表現📷 アメコミ界において、フランク・ミラーの影響力が絶大だったのは言うまでもない。それは海を超え、この日本においても同じだ。特に松本大洋の初期の絵柄は明らかな影響が見受けられる。 では、なぜフランク・ミラーの作品が海を越えることが出来たのか?それは、このシンシティという余りに男臭く、色気のあるハードボイルドな物語が、誰もが見れば一発で認識できる程の鋭い暴力的な線と、強い白と黒のコントラストで描かれているからである。 不幸なのは色彩の無い日本の漫画から、この絵柄が出てこなかったことである。 1巻から4巻にかけて線からどんどん面的な絵柄になっていくフランク・ミラーの実験もまた面白い。かなりギリギリまで攻めている。シン・シティフランク・ミラー 堺三保3わかる
線セーショナル2024/08/13ドラマ性がなく快楽主義的原作者のONE特有の過剰に最強であるが故に、無気力という主人公の漫画は最初は読んでいて楽しいが、何十巻と続けられると、こんなもんでいいかの連続となっていて、結局脇役のドラマとして描いて一番ピンチの所で水戸黄門的に主人公が来るまでの一辺倒なストーリーとなってしまう。 作画の村田雄介も、漫画家で最高の画力と賞されるが、実は少年マンガのトップアシスタント的な少年マンガの究極のテンプレ画である。技術はあるが、個性がない。彼の線は商業的な手癖の無い安定的な線である。つまり作家性が無い。 この漫画を読んで、何か人生の大切な教訓や大きな感動が得られる訳ではない。あくまで、敵を倒すカタルシスを麻薬的に受容しているだけである。以上のことからサイタマが敵を倒すたびに、無気力になるのと同時に、読んでいる私の心も無気力になるのである。ワンパンマン村田雄介 ONE27わかる
線セーショナル2024/08/13この二人は運動を描くのが下手あのデスノートやバクマン。を生み出した現存する原作者の中でもトップの大場つぐみは、心理サスペンスや漫画家を目指す二人のドラマなどを頭脳明晰に展開する力はあるが、物理的に相手を倒すというアイデアになると、途端にバトルシーンの振りであるドラマが安っぽくなってしまっている。それぞれが戦わなければならない動機の部分とそれに関係するドラマが安直で悪い意味でベタである。 一方、こちらも漫画界では最高峰の画力とされている小畑健も丁寧かつリアルに描く力はあるが、そもそもこういうリアルな絵を描くタイプの漫画家は線がガッチリとブレなく描かれているため、絵が止まってしまっている。ポーズにはなっているが、アクションになっていない。構図やカメラワークもやたら大ゴマの角度の効いた絵を描くが、それを繰り返しすぎて、段々と迫力に慣れてしまう。あと、この男は引きの絵が全然描けないのでキャラクター位置関係の提示も下手である。 プラチナエンド小畑健 大場つぐみ44わかる
線セーショナル2024/08/07井上雄彦と桜木花道の同一性なぜ不良の主人公がバスケをするだけの物語が傑作となったのか? それは桜木花道がバスケがどんどん上手くなると同時に、作者の井上雄彦の線とコマ割りがどんどん上手くなるこの内容と線の一致による快楽によるものである。井上雄彦の作品全てに共通する‘成長’というテーマが線とコマ割りで惜しげも無く体現されているのだ。スラムダンク井上雄彦5わかる
線セーショナル2024/08/07ジャンプ作品より遙かに上質なエンタメこの漫画が他の作品と比べて、優れている決定的な点はサスペンスである。 サスペンス描写が圧倒的に上手い。世界観設定に対して、キャラクター同士の命のやり取りが行われる際の‘間’の使い方、駆け引きが適切なコマ数で描写されていく。サスペンスを急ぎすぎることも、もてあそぶことも無い適切なコマ数である。線による描写はガッチリと安定感のある線で止まった時の中を表現するには運動的な線よりも、こちらの方が良いのかもしれない。ただ、線は寄生獣の作者、岩明均と似ていてこの作家特有のものは感じられなかった。刻刻堀尾省太5わかる
線セーショナル2024/08/07珍しいパターン基本的に実写化されて、原作を凌駕することなど皆無に等しいのだが、この作品は実写映画の方が、映画史に残る傑作になってしまったという珍しいパターンの作品である。実写化する際に、原作と違うことは、全く問題ではない。そもそも映画の本質は時間と運動であり、漫画の本質は線とコマ割りなのだからいくら原作をそのままやった所で、画面が止まってスライドショーになってしまう。原作の大事な要素だけ抽出することが大事なのだ。実写版の横スクロールシーンのショットは映画史に残るアクションシーンとなった。漫画に関してはミステリー展開を優先しすぎた結果、人間は普通そんな事でそこまでしねぇよ、という無理のある展開となってしまい釈然としないまま終局を迎える。線に関しては可も無く不可も無くといった所。オールド・ボーイ嶺岸信明 土屋ガロン2わかる
線セーショナル2024/06/13ネタバレ恐怖かどうかは置いといて傑作である 楳図かずおが描く恐怖は常に霊や悪魔などの、形而上学的なものではなく、科学的もしくは主観的なものである。つまり超自然的な存在の否定なのだ。愚かな人間達の科学実験により生み出された化け物、もしくは人間の強い精神が生み出したものが常に恐怖の対象となる。 唯心論的な怖いと思うから怖い。怖いと意識した人間は見た目もバケモノみたいに怖くなっていく。怖いと思った人間が世界そのものが怖くなってしまう。すごく主観的な恐怖なのだ。この作品以降に日本の漫画のみならず、海外ドラマなどでもサバイバルホラーが増えていった。この作品とあまりに似ている映画化もされたホラー小説の帝王スティーブンキングのミストが書かれたのは80年代だった筈なので、この作品がいかに先駆的だったかよく分かる 漂流教室〔文庫版〕楳図かずお4わかる
線セーショナル2024/06/06何度も読み返す為の短編集諸星大二郎の作品展は一度買って消費することの出来ない何度も読み返し味わいたくなる様なホラーでもファンタジーでない奇妙な作品群なのだ。特に凝った設定や特殊な演出などは何もしていないのに、諸星大二郎が漫画家of漫画家と言われるのはその線とコマが全てを物語っているからだ。その諸星大二郎にしか出せない奇妙な線とコマ割りがシンプルで不気味な物語に読者を没入させてくれる。これら物語のアイデアとビジュアルは他では絶対に目にすることのない存在感を放った唯一無二の短編集である。諸星大二郎特選集諸星大二郎3わかる
線セーショナル2024/06/05目を背けてはいけない暴力性漫画はキャラだと言う言説が存在するが、この漫画はテロリストが主人公という、漫画史において前代未聞の物語は、よくこの漫画を連載させてくれたことに我々読者は漫画の懐の深さに感謝しなければならない。この漫画を暴力的だからということで嫌うのは簡単すぎる結論の出し方である。しかしこの漫画にはその暴力性や物語の筋を一瞬忘れさせられる様な瞬間のコマが存在する。線画が突出して、上手いという訳ではないが物語の世界観とマッチしてハッとさせられる瞬間が本当にいくつもあるのだ。それは決して過激な暴力シーンではなく、別の瞬間にある。この漫画が突きつけてくる命やそれと切り離せない魂や神という信仰の問題、徹底して馬鹿として描かれる大衆。重い腰をあげながらもその期待にはしっかりと答えてくれる単なる面白いでは終わらせない傑作すぎる漫画である真説 ザ・ワールド・イズ・マイン新井英樹8わかる
線セーショナル2024/06/05ネタバレ自分を偽っている人間達へホムンクルスは頭蓋骨に穴を開けることで他人の内面が視覚化されるというアイデアだけでもビジュアルだけでも読み進めたくなる物語なのだが、主人公の名越が、他者が偽ってきた自身の内面を救済していくたびに、主人公名越自身のそして現代の読者の偽りがあぶり出されてしまうのだ。前作の殺し屋一から遙かにグレードアップされた、絵柄はこの手の青年漫画の中でもトップクラスのリアリズムを醸し出しているホムンクルス山本英夫5わかる
線セーショナル2024/06/05傑作怪奇ミステリー漫画の傑作ミステリーといば?と言われて何が思い浮かぶだろうか、soilはコナンや金田一などのただ面白いだけのミステリーとは違ってミステリーの革新に近づいていくに従って人間が長い歴史の中で常に自分達にとって都合の悪いとされるものを排除してきたという恐ろしいテーマを浮き彫りにしていくのだ。一見綺麗に整えられた新興住宅地soil、一見穏やかな住民達、全てあくまでも括弧付きの一見で、掘り下げていけばいくほどこの町の不気味さが涌いてくるのだ。この物語にのみ相応しいと思わされる様に、一見物差しで引かれたと見まがう整った背景もよく見ると丁寧なフリーハンドで描かれていることにカネコアツシの絵の上手さが分かるSOILカネコアツシ2わかる
線セーショナル2024/06/04五十嵐大介は漫画を愛してはいない?私は漫画を愛してはいない、線を信じていない作家は嫌いなのだが、五十嵐大介は唯一例外である。五十嵐大介は恐らく漫画とは別の抽象的な目に見えないもの(生命への愛やアニミズムなど)を信じている気がする。五十嵐大介の線は他の誰かから影響を受けた形跡がほとんど皆無で、油絵を描くようなタッチで線を加えていく。彼は別に自分の表現したい事がたまたま漫画が描きやすかったから漫画を描いてる感じがする。 五十嵐大介は漫画を愛してはいないが、漫画が五十嵐大介を愛しているのだろうか。海獣の子供五十嵐大介5わかる
線セーショナル2024/06/04ネタバレ革命的な漫画水木しげるの最高傑作は何かと問われた時に私は貸本版の悪魔くんであると断言したい。悪魔くんの千年王国以後のバージョンは凡庸な勧善懲悪に成り下がっていて物語の奥深さがない。貸本版の後に描かれた松下一郎版の千年王国は水木以外の線が入っており、さらに悪魔くんによる革命が達成されたかの様に物語が終わってしまう。この終わり方ではまるで、過剰な左翼思想、革命、70年代の学生運動を肯定してしまっている。 しかし、貸本版の悪魔くんは結局最後に殺されてしまうという終わり方が、アリストテレス的に言う所の、悪は過剰に宿るというテーマを物語で提示していることとなり、人々が受容する物語としてはこちらが正しい。さらに貸本版の悪魔くんの重要な所は世界を救うため悪魔を召喚したら、その悪魔はなんとただの口のうまい金に汚い凡庸な人間が召喚されるという所。そして水木しげる一人で描かれた描き込まれすぎていない、美しいバランス感覚の線によって物語に流れる深く緩やかな線で世界観を表現している。貸本版悪魔くん 【水木しげる漫画大全集】水木しげる39わかる
線セーショナル2024/06/04最も異端かつ独創的な漫画諸星大二郎という作家は他の追随を許すことのない唯一無二の作家である。これは海外の異端な芸術家、映画監督、文豪、音楽家に広げても諸星大二郎の独創性を上回る作家など殆ど存在しない。妖怪ハンターは人間の根源的な知的欲求、未知、何故世界は存在するのかというあまりに壮大で抽象的な概念を諸星大二郎の線に還元している。このいまにも崩れそうで保っているような不気味な線の快楽が我々を未知の世界へ引き込んでくれる。妖怪ハンター諸星大二郎153わかる
線セーショナル2024/06/04漫画史上最高傑作 わずか1冊の単行本の中にものすごく壮大なテーマが託されている。 あえて手前の部屋と向こうの部屋のパースをずらすことで、あちらの世界とこちらの世界の彼岸を再現していたり、ベランダの柵がコマ割りとなっていたり、ここでは書ききれない程の重層的な技法が含まれている。そして、それら全てを包括するように、あえて切り離された記号とも文字とも絵とも捉えられる高野のみが到達出来た線画によって、生と死の彼岸が描かれている。黄色い本 ジャック・チボーという名の友人高野文子5わかる