名無し
1年以上前
自分より一回り年上、40代の方とお話すると、いつもその前向きな姿勢に驚きます。僕自身がフロント2速バック20速ぐらいのとても後ろ向きな人間というのもありますが、基本的な考え方に違いがあるように思います。それに、同じ“前向き”といっても、若者と中高年では全く違います。歳が上になればなるほど、短い期間に激しく燃えるものから、長い期間にジーっと燃える、種火のようなものに“前向きさ”は変化していくように思えます。 『水惑星年代記』は物語自体がゆったりとした“前向きさ”に満ちています。  『水惑星年代記』で描かれる地球は、一度文明が滅びたらしい世界。地上はちょっとずつ水深が上がってきていて、海沿いの都市や、標高の低い島々は水に沈んでいきます。かといって、人類は絶望だけしているわけでありません。失われていった景色に思いを馳せつつも、その目は宇宙へ向いています。『水惑星年代記』では、ちょっと黄昏ながらも次に向かう様々な人が描かれるオムニバス作品です。  それぞれのお話は、時代順に書かれているわけではありませんが、どこかで繋がりを探すことができます。その痕跡を探していくのも楽しみの一つです。  繋がりという意味で『水惑星年代記』の縦糸となるのが「ブラック家」の系譜です。有数の大金持ちであるブラック家の人間はとにかく思い込みで動き、周囲の人間を巻き込み宇宙へと目指していきます。年表上では最初の方に登場するキアラン・ブラックは、有り余る財力を使って“私費”で月面まで来た男。彼は月面事故で遭難しているうちに、偶然“先史文明”と思われる遺跡を発見します。かつて人類は月にまで到達していたという事実は、ブラック家の人々を外宇宙へと誘い、ブラック家の末裔の少女が、物語の最後を飾ります。  宇宙を目指す人々を描く作品以外にも、明るさと言い表せない孤独さを同時に感じさせてくれる人類の創世記「凪と波」や、フルカラーの美しい景色が描かれる「路面電車(トラム)」など、素晴らしい短編はたくさんありますが、私が特に好きなのが『碧 水惑星年代記』に掲載されている「正しい地図」という作品。  この作品は会社を急に辞め、かつて自分が住んでいた町に二十数年ぶりに訪れた中年男が主人公です。彼は、かつての記憶と今を見比べながら町の移り変わりをメモしていきます。あらすじで言ってしまえばそれだけなのですが、とても美しい背景と主人公の印象的なモノローグによって、物語がスっと心に入っていき、彼と同じように“自分の世界”を作っていこうという気持ちが生まれます。そして普段何気なく見過ごしてしまう街の景色が違うもののように感じられてくるのです。
hysysk
hysysk
1年以上前
石川サブロウ先生は『本日も休診』など絶妙に抑えの効いたヒューマニズム(感動を押し売りしない)で素晴らしいのだが、この作品はなかなか手放しで称賛するのは難しい。 主人公で小作人の大山竹蔵と、御曹司の龍太郎が運命に翻弄されながら互いの絵を高め合う。話の途中で黒田清輝や青木繁、ピカソやセザンヌなど美術に興味がなくても知っている実在の人物が登場し、果ては美術学校に落ちたヒトラーまでもが絡んでくる(人物画ができないというエピソードも史実に沿っている)。 表紙だけ見ると「素朴で絵を描くしか能力のない不器用な青年が頑張る話かな?」と思うだろうが、実は『男!日本海』ばりのあほらしさで、竹蔵は女の裸しか描けない。しかも、より良い絵を描くにはセックスをしなければならない…。 現実の美術界はめちゃくちゃ学歴社会な上に、単に美しいとか技術的に優れているというよりは、その作品がどのように歴史を更新しうるかという点が重視されるので、この話のようなことはそもそも起こりえないのだけども、「芸術か猥褻か」という問題や、「誰が歴史を作るのか」といったすっきりした答えがない問題についても考えさせてくれる。 最終的に竹蔵と龍太郎は美術「業界」とは違った道を歩むことになるが、誰に見せるでもなく1万5000ページもの大作(ペニスの生えた少女が戦う話)を描いていたヘンリー・ダーガーなどもいるように、何らかの形で認められることにはなるかも知れない。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
こんなにも素晴らしい傑作が、知る人ぞ知る名作として埋れている…… 果たして、このままで良いのか? 否ッ! 断じて否ッッッ!! 一人でも多くの漫画やSFを愛する人に! そして、この残酷な世界で人生に悩む方、悲しみの淵に暮れている方に!! この至上の愛の物語はもっともっと読まれるべきなのである!!! そんな万感の願いを込め、使命感を持って、今回筆を執っています。     確かに、この『愛人』というタイトル。 ヤングアニマルという掲載誌。 そして、この表紙。 「低俗な成人向け漫画かな……?」と敬遠してしまう気持ちも、解らなくないです。 ですが、それは大いなるミスリードに掛かっているのです! 愛人と書いて「あいれん」と読むタイトル。 そこからは一見して想像できない程に、深遠で重厚なテーマや想いが詰め込まれた、未来SFとなっています。 何せこの作品、創られ方が凄いです。 1999年。 世間ではノストラダムスの大予言を中心に終末論が蔓延していた時。 そんな時代に、連載が始まりました。 時勢に沿ってか、人類が通常の生殖機能を喪い種としての終わりを迎えつつある世界を描いて行きます。 そして、一度の休載もなく2002年連載終了。 ここまでは良かったのです。 しかし、待てども待てども出されない最終巻。 何と、連載が終了してから最後の5巻が出るまでには二年以上も掛かりました。 何故か? それは田中ユタカ先生が全身全霊を賭して、改稿・加筆作業を行っていたからです。 今作のラストは、雑誌掲載版とコミックス版では大きく異なった物になっています。 コミックスで加筆修正が行われる、それ自体はよくあることですが、それに二年が費やされるというのは極めて異例です。 普通に商品として漫画を考えるならば、『愛人』は失格でしょう。 しかし、視点を変えて、一つの作品として考えた時には違って来ます。 その二年間が素晴らしい作品の輝きを、更に途轍もない領域まで磨き上げたと言っても過言ではありません。 今回、この稿を書くに当たって、改めて精読しました。 全編面白いのですが、やはり5巻の部分は格別であり、至高です。 一度築き上げた物を全て崩し、死に物狂いで改めてこの結末を持って来た田中ユタカ先生に対し、私はあらゆる賞賛を惜しみません。 熱い涙無しに読むことなんて、絶対に無理です! ところで、漫画が好きな人なら、一度位は自分で漫画を描いてみたいと思ったこともあるのではないでしょうか。 マンガソムリエである無類の漫画好きの私も、多分に漏れずそんな経験があります。 結構本気で、丸二ヶ月間あらゆる余暇を捨て去り、平均睡眠時間3時間を切る程に根を詰めて、一作を描き上げました。 その時に、自分はこの生活を一生続けるのは無理だな、と諦めてしまったのですが……。 しかし、そんな僅かな時間の中でさえも実感したことがあります。 登場人物に絶大な辛苦を強いる際には、自分でも不可解なほどに嗚咽が止まらなかったり、怒りで情緒不安定になったりするのです。 多くの作家、『ワンピース』の尾田栄一郎先生なども、キャラクターを描く時には感情移入し、同じ気持ちになりながら同じ表情で描くといいます。 それを考えると、『愛人』の壮絶なるクライマックスと格闘している時の田中ユタカ先生は如何許りだった事か…… 田中先生は、『愛人』の連載が終わった後は自分の中に漫画を描く能力が無くなってしまったといい、実際暫く何も描けなかったそうです。 これだけの作品であればそういう事も起こるだろう、と読めば自然に納得できます。 ネタバレになるので語れませんが、一線を画す愛が『愛人』では描かれています。 どこまでも残酷でありながらも、果てしなく美しい世界が、呈示されています。 常に死が共に存在する中で、尊き生への頌歌が謳われています。 こ、ここまで描いてしまうのか……と、半ば放心してしまうような凄味があるのです。 これ位途方も無い作品を描き上げられたら、私なら人生に悔いが無くなるでしょう。 ……本当はその凄さを赤裸々に語りたいんです! でも語れない…… 嗚呼、もどかしい! さあ、早く読んで、誰かこの素晴らしさを語り明かしましょう!! 恐らく生涯顔を合わせることのない、それでもこの世のどこかで一度しかない人生を懸命に生きている誰かに届けば、そんな嬉しいことはありません。 そして、田中ユタカ先生。 こんな大傑作を描いて下さってありがとうございます!     通常版と特別版がありますが、空白の二年間のメイキングを含んだ濃厚なインタビューが掲載されている上下巻の愛蔵版をお薦めします。

こんなにも素晴らしい傑作が、知る人ぞ知る名作として埋れている……
果たして、このままで良...