名無し
1年以上前
ハジメくんって、仕事中毒とか仕事至上主義ではなかったよね。 間違いなく仕事はまじめにやっていた。 そして出世欲とか給料アップ願望もないわけじゃなかった。 けれど野心とか野望とかは殆どない感じだった。 正義感の固まりでもないし、スチャラカ社員でもない。 正論を主張することもあれば怖気づいたり誘惑に負けそうになることもある。 苦労を楽しむほどの大人物でもない。 どちらかというと おひとよしで苦労もするけれど、苦労が報われたり笑い話になることともあるっていう話が多かった感じ? なので多少は「そんなに都合がよく解決しないだろ」って話もあったと思うが、ソレも含めて、サラリーマンが読んでリラックスできる漫画だったように思う。 ハラハラするような出世争いや企業戦争、24時間戦えますかみたいな仕事馬鹿賛美、そんな漫画じゃ、仕事に疲れたサラリーマンは読んで息抜きにならないでしょ、という漫画だったと思う。 確か最期も「出世して終わり」ではなかった。 それどころか連載終了後に後日譚みたいな短編で、 「いまは無職」みたいなエピソードもあったような。 その辺もふくめて、単なるサラリーマン賛歌ではないジワッと感じるなにかはあった。 関係ないけれど、コンタロウ先生がよく描く 主人公達がなにかに驚いてズッコけるシーン。 これが好きだった。 大抵、相手に意外なことを言われて吉本新喜劇みたいにズッコけるのだけれど、 余分な動作を表す線や擬音なんか描いてなくて、 コケて両足が天井をむいていたり、腰砕けになっていまにも倒れそうなシーンが静止画みたいに描かれているやつ。 ベタな表現で大昔から今に至るまで数え切れないほどの漫画家が似たようなコマを書いているけれど、コンタロウ先生のかくズッコケはなぜだかみょうに好きで印象に残ってしまう(笑)。
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
1年以上前
ジャンプ+で隔週連載中。 高校生の性や恋、友情に関するものすごく繊細な部分を直接的な言葉に頼らずとても丁寧に描いている作品。 よくある高校生の青春ものかと思ったらもっともっと深いところまで連れていってくれる。 高校3年4月、太一は小学校からの幼馴染だがあまり話さなくなった人気者のトーマと、彼のことが好きな小動物系女子の双葉と同じクラスになり、変わりたいと願う双葉に協力することにしたのだが努力は空回り人間関係は複雑に絡み始める。 1話目からもしや、という布石が思春期の人間関係の中に丁寧に散りばめられていて、読み飛ばしてしまいそうな仕草や視線の中に恋心が織り込まれているから一コマも見逃せない。 男と女、男と男、女と女、恋と憧れと友情と混ざり合い交錯する。 この漫画の会話って実はすごくて、限りなくリアルな話し言葉になっているのがたまらない。 他の漫画だと今井哲也『ハックス!』や、ヤマシタトモコ作品に感じられる。 「んー・・」「「・・えっと・・あの・・あのね・・」 のような、呼吸の間やスッと言葉が出てこないときの感じを出すので、人によっては間延びして感じられたりだるくなる人もいるかもしれない。 でも僕は好きだ。 人と人の間、つまり「人間」の関係性をこれでもかと丁寧に描いている。 言葉にならない、できない感情を丹念にすくってくれる。 社会に蔓延る様々な生きづらさを高校生たちに背負わせてるが、そこに救いを見せてくれそうで期待してしまう。 終盤に近づいてきたようではあるが、どのように収束するのか楽しみだ。
影絵が趣味
影絵が趣味
1年以上前
『死都調布』と題されたこの怪書について何か説明せよ、と言われてみたところで、きっと誰もが口どもって返答に困り果ててしまうことだろう。 本とは、ふつう、一般的に、どこぞの誰かにその内容物を読まれるために、あるいは、どこぞの誰かにその内容物を語りかけるために存在するものだと思うが、この怪書『死都調布』にはそんな内容物はいっさい存在しない、つまり、誰に語りかけることもしなければ、そうであるからして誰からも読まれることはありえない、ただただ『死都調布』としてそこに在るだけである。 頁をめくってみると、第1話、第2話……などと本らしい体裁が整えられているが騙されてはいけない。それらは『死都調布』という題をかりそめに冠せられているだけで第1話も第2話も第3話もありはしない、それらはお互いがまったく無関係に雑然としてそこに在るだけである。そればかりではなく、じっさいに第1話、第2話……と、その中身を読んでいくと、まったく出鱈目なハレンチが繰り広げられているだけで、そこには中身と呼べるようなものはいっさいない、その証拠に「いったい何が書かれているんだ」と尋ねられても、やはり誰もが口をつぐむしかないのである。それでもかろうじて読んでいられるのは、コマからコマへの連動がアクションしているからなのだと思う。アクションとは、つまり、このコマの次にはまったく未知のコマが来るという期待、あるいは期待を裏切られるということだけに関してはぜったいに期待を裏切らないということ、もっといえば、このコマと次のコマとのあいだにはいっさいの文脈がなくお互いがまったくの無関係であるということ。 『死都調布』には、どの話にもかならず風景が描かれただけのコマが挿入されるが、あるいはすべてのコマに風景だけが描かれているのかもしれない。と、するならば『死都調布』とは風景そのものなのかもしれない。風景は誰にも何も語りかけない、ただ悠然としてそこに在るだけである。ところで『死都調布』に続編が出るらしい。そのイントロダクションにはこう書かれている「姓は死都、名は調布…」。これまで『死都調布』と呼ばれるこの作品群がかろうじて『死都調布』であったのは、調布という町で繰り広げられるいかがわしい事件を扱って集めているからだと思われたが、どうやら死都調布という風景は、それ自体が丸ごと動きまわる、ひとつの生命体であったらしい。